表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
薔薇は満月に咲かない  作者: Rii
第2幕

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

58/66

第58話 失われた月

王宮最奥。誰もいない執務室に静寂が落ちていた。


窓の外に広がる夜空は暗い。本来なら満月が浮かんでいるはずの場所には、何もない。その空を見上げながら、アストレイオン王は一人立っていた。


机の上には古い羊皮紙が広げられている。王家にのみ伝わる禁書。代々の王が受け継いできた記録だった。


アストレイオン王は静かに頁を捲る。そこに描かれていたのは、ひとつの儀式。王と王妃。そして満月。血で描かれた円環。その中央に刻まれた古い文字。


『月の楔』


アストレイオン王は目を伏せる。


「時間がない……」


誰にも聞こえない独白だった。失われた月は自然現象ではない。封印が弱まっている証。だからこそ婚姻を急がなければならない。


本来ならば一年かけて行う儀式。だが、もう待てない。アストレイオン王は机の上の肖像画へ視線を落とした。若き日の王妃。そして幼いローゼリアとルシエル。


「すまない」


父としてではなく、王としての謝罪だった。その時だった。


コンコン。扉が叩かれる。


「国王陛下。アストラ大公が謁見されたいと」


「通せ」


しばらくして、扉が開いた。セラフィオンが静かに一礼する。アストレイオン王は羊皮紙を裏返し、視線を上げた。


「何用だ」


「北境から追加報告です」


セラフィオンは一枚の報告書を差し出した。アストレイオン王はそれを受け取り、文字を追う。そして止まる。


『遺跡内部で異常振動を確認』


『周期的な魔力波動を観測』


『封印術式との類似性あり』


長い沈黙。やがて王は報告書を閉じた。


「やはりか」


「ご存知なのですか」


アストレイオン王は答えない。代わりに窓の外を見る。月のない夜空。


「封印が、弱まり続けている」


独り言のような声だった。セラフィオンは一拍置いてから、静かに口を開く。


「国王陛下」


「なんだ」


「一つ、お聞きしてもよろしいでしょうか」


「ローゼリア王女殿下の婚姻を急がれる理由は、本当に政治だけですか」


アストレイオン王の視線が、窓の外からセラフィオンへ移る。


「何が言いたい」


「血印です」


執務室の空気が変わる。


「王族性の維持と婚姻の時期。偶然にしては出来すぎています」


セラフィオンは続ける。


「そして何より」


青い瞳がまっすぐ王を射抜く。


「ローゼリア王女殿下は、ご自身の持つ血印について知らなさすぎる」


一呼吸置き、セラフィオンは静かに続ける。


「王族性の維持。婚姻の時期。失われた月。そして我がアストラ家が代々王族の婚姻に関わる理由。全てが偶然とは思えません」


「……そこまで辿り着いたか」


長い沈黙の後だった。アストレイオン王は小さく息を吐く。


「お前は幼い頃から勘が良すぎるな」


「ならば教えてください」


セラフィオンは一歩も引かない。


「ローゼリア王女殿下は何を知らされていないのですか」


アストレイオン王はしばらく窓の外を見ていた。失われた月。誰よりも見慣れたはずの夜空。やがて、静かに口を開いた。


「……お前は」


「ローゼリアを愛しているのか」


セラフィオンは答えなかった。否定も肯定もしない。アストレイオン王は小さく息を吐く。


「そうか」


視線を窓の外へ戻す。


「お前が死んでいないことなど、ずっと知っておった」


セラフィオンの指先が、わずかに強張った。


「……陛下」


「アストラの掟も知っている」


「王家を守るためなら己の人生すら差し出す。アストラの者は代々そうしてきた」


アストレイオン王は振り返らない。


「お前も、そのつもりだったのだろう」


「だがな、アストラ大公。……いや、セラフィオン」


アストレイオン王が初めて振り返る。


「お前は一つだけ間違えている」


「……何を」


「アストラは王家を守る。だが、王家はアストラを守らぬわけではない」


セラフィオンは返す言葉を失った。指先が無意識に握り込まれる。


「だからこそ、お前には同じ道を歩ませたくなかった。ローゼリアも同じだ」


アストレイオン王は言葉を切った。窓の外では、月のない夜空だけが広がっている。


「だが、ローゼリアは禁忌を使った」


その言葉だけが重かった。


「未来を変えた代償は、いずれ支払わねばならぬ」


セラフィオンは無意識に拳を握る。ローゼリアの右手首に広がる薔薇の痣。日に日に濃くなる赤。それが意味するものを、彼は誰より理解していた。


「だから婚姻を急ぐのですか」


「……それも理由の一つだ」


その言葉に、セラフィオンの胸がわずかに軋んだ。


「だがな」


アストレイオン王はゆっくりと振り返った。金の瞳に映るのは、娘でも婚約でもない。もっと大きな何かだった。


「私が最も恐れているのは、ローゼリアの死ではない」


「では何を」


アストレイオン王はしばらく黙っていた。ただ、失われた月があるはずの場所を見つめる。そしてようやく唇を開いた。


「この国の終わりだ」



◇◇◇



王の執務室を出ると、回廊の先に見覚えのあるキャラメル色の髪が見えた。


「研究者さん!」


エリオは嬉しそうな笑顔を向けると、ひらひらと手を振った。


「……エリオ王子殿下」


「国王陛下と話してきたんでしょ?」


セラフィオンは足を止めた。


「聞いていたのですか」


「まさか」


エリオは手を添え、大げさに首を横に振った。


「でも、だいたい想像はつくよ」


金の瞳が細められた。


「婚姻の儀のこと?」


セラフィオンは答えない。エリオは小さく笑った。


「やっぱりね」


そして窓の外を見た。月はない。あるはずの場所だけが、ぽっかりと空いている。


「研究者さん」


懐中時計を指先で回しながら、エリオは呟く。


「どうして国王陛下は僕を王にしたがると思う?」


セラフィオンは答えなかった。エリオはくるりと懐中時計を回す。カチ。時計が閉じる。


「簡単だよ」


金の瞳が月のない夜空を見上げた。


「リアが禁忌を使ったから」


セラフィオンの視線がわずかに鋭くなる。


「国王陛下は気付いてる。気付いてないわけないよね」


エリオは肩をすくめた。


「だって、あの人は王だもん」


「そして、ノクティスの血を引く王族は、もう他にいない。王はいつだって最悪を考える。次がいないのなら……ってね」


「研究者さん」


エリオが振り返る。


「ルカ兄のこと、まだ繋がってないの?」


「……何の話ですか」


エリオは答えない。ただ、懐中時計を指で弾く。


「僕ならそっちを先に調べるかな」


「国の終わりより、ずっと近くに答えがあるから」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ