第54話 繋がる線
北境にあるヴェルモント公爵家本邸。重厚な書庫には古い羊皮紙の匂いが満ちていた。
カシアンは机に広げられた報告書へ目を落とす。北境で発見された墓標。古代王家と思われる紋章。そして耳飾り。父の書庫から見つかった古い文献を捲る。やがて、ひとつの頁で指が止まった。
「……やはり」
そこに描かれていた紋章は、報告書に記されていたものと完全に一致していた。建国以前に存在したとされる、人間の王家の紋章。
その時だった。文献に挟まれていた一枚の紙が、ひらりと床へ落ちる。カシアンはそれを拾い上げた。
柔らかなミルクティー色の髪。静かな微笑み。年齢は二十代前半ほど。そして左耳には紫色の耳飾り。
「……美しいな」
思わず漏れた言葉だった。見覚えがある。幼い頃、母が何度も名を口にしていた女。父が最後まで手放せなかった相手。そして手に入れることができなかった女。いつの間にか消えていた、噂だけで知っている女。母はその名を聞くたびに機嫌を悪くした。
「父上の想い人か」
カシアンは苦笑した。燭台の炎が揺れる。書庫の空気が、わずかに冷えた気がした。
肖像画を見る。報告書を見る。もう一度、肖像画へ。
「まさか……」
偶然にしては出来すぎている。だが、その答えはまだ見えなかった。
その時、ノック音と執事の声が扉の向こうから響いた。
「カシアン様」
「なんだ」
扉を開けないまま返事だけをする。
「ヴェルモント家の書庫の情報を共有するようにとの王命です」
カシアンは無意識に肖像画を握り締めた。あまりにも早い。まるで王宮が、自分と同じ場所へ辿り着いたかのように。
◇◇◇
王宮の大公執務室。セラフィオンが北境から届いた報告書へ目を通していた。
窓の外には曇天。光は入るのに、温度がない。ジュニパーの冷えた香りだけが、静かに室内に満ちていた。
墓標。王家の紋章。そして耳飾り。その文字を見た瞬間、青い瞳がわずかに細められる。
「……耳飾り?」
脳裏に浮かぶのは、あの日の光景だった。ローゼリアを抱き上げたとき、偶然目にした古びた木箱。中には肖像画と、紫色の石を嵌めた耳飾り。ルカリウスが装飾品を身につける男ではないことくらい知っている。だからこそ、印象に残っていた。
そしてアストラの文献に描かれていたアイテムの一つでもある。星詠みの盤、血印、懐中時計、耳飾り。それらが同列に描かれていた。
(なぜ、あれをルカリウスが持っていたのか)
セラフィオンは報告書を引き寄せる。
『古代王墓より発見された耳飾り。紫色の石を嵌めた銀細工。片方のみ確認』
指先が止まる。片方のみ。
その時、執務室の扉が叩かれる。
「大公」
「入れ」
影のような男が姿を現した。アストラ家直属の諜報員だった。
「ヴェルモント家より書庫資料が届きました」
机へ置かれた資料の束。セラフィオンは最上部の書類へ目を落とす。そこに添付されていた一枚の肖像画。柔らかなミルクティー色の髪。静かな微笑み。そして左耳には紫色の耳飾り。セラフィオンの視線が止まった。
「……この女は」
肖像画を手に取る。報告書。耳飾り。肖像画。そしてルカリウスの木箱。全てが同じ場所を指している。肖像の女は髪色も瞳の色もルカリウスとは異なる。だが鼻筋と口元は驚くほど似ていた。
「ルカリウスの母親か」
そう呟いた瞬間だった。視線が肖像画の裏面で止まる。掠れた文字が書かれている。
『エリシア』
部屋の空気が、一瞬だけ変わった気がした。セラフィオンの指先が止まる。
「……エリシア」
記憶の底に沈んでいた報告書が浮かび上がる。使用人達が"リシー"と呼んでいた女。ヴェルモント家が隠し、レヴァイン子爵が命を賭して連れ出した女。そして王墓から発見された耳飾り。
「エリシア……リシーか」
「一致しましたね」
影の声に、セラフィオンは静かに息を吐いた。
「ただの使用人ではないな」
その時。コンコン。別の来客だった。
「大公、国王陛下がお呼びです」
「……わかった」
セラフィオンは肖像画から視線を離さないまま、ゆっくりと目を伏せた。
王墓。耳飾り。エリシア。ルカリウス。まだ答えは見えない。けれど確実に、何かが近づいている。その予感だけが、冷えた室内で静かに熱を持っていた。




