第49話 繋がる点
「カシアン様。北境討伐の報告書です」
ローゼリアとの婚約が白紙となってから数ヶ月。カシアンは王都の屋敷ではなく、北境にあるヴェルモント公爵家の本邸で過ごしていた。
アストレイオン王に下された処分は軽くはない。王都での監視。王宮への出入り制限。そして北境の一部領地返還。それでもヴェルモント家は北境最大の領主だ。失った領地はわずか。財力も影響力も、まだ健在だった。
「討伐隊は魔物を掃討したようです」
執事が報告書を差し出す。カシアンは何気なく書類へ目を落とした。だが次の瞬間。その指が止まる。
「……この紋章は」
見覚えがあった。幼い頃、父の書斎で一度だけ見た古い文献。だが内容までは覚えていない。ただ一つだけ。父が珍しく険しい顔をしていたことだけは覚えていた。
「カシアン様?」
執事が怪訝そうに眉を寄せた。カシアンはすぐに表情を戻す。
「この紋章はどこで発見された」
「北境東部の森です。討伐隊が発見した遺跡にあったとか」
カシアンは再び紋章へ視線を落とした。
「ご存知なのですか?」
カシアンは答えない。ゆっくりと立ち上がる。窓の向こう。霧に沈む北境の山々を見つめた。雲の底が重く、光を閉じ込めたまま動かない。
「……父上の書庫を開けろ」
その声に、執事は息を呑んだ。
「ですが、あの部屋は当主様の許可がないと――」
「開けろ」
初めてだった。カシアンが焦りを滲ませたのは。もう一度だけ紋章へ視線を落とす。胸の奥が嫌なほどざわつく。まるで、開けてはいけない扉を前にしているようだった。
「確認しなければならないことがある」
◇◇◇
王宮でも北境討伐の報告がされていた。月輪の間では、三日に一度。評議と報告が行われる慌ただしさだった。
「西部隊、大型種八体、重症者二名、軽傷者十名。東部隊、大型種十体、軽傷者五名……」
報告書を受け取ったセラフィオンの手が止まる。
「東部隊の方が討伐数は多いようだが。被害が少ないな」
「副団長ルカリウスが前線に立っていたそうです」
「……なるほど」
(無事のようだな)
添付された遺跡の写し。そこに描かれていた壁画。そして石碑の文言。
『月が失われる時。封印は終わる。王は再び選ばれる。』
青い瞳が細くなる。
(王……)
北境の地はアストラが最初に降り立った土地。建国神話では、アストラとノクティス、そしてルミナスが国を築いたと語られている。だが、それ以前に生きていた人間達については、ほとんど記録が残されていない。
「北境で発見された墓標の紋章について、王宮の記録には残っているのか」
セラフィオンの問いに、室内が静まり返った。答えたのは長年書庫を管理する書記官だった。
「……その件につきましては」
書記官が言い淀む。
「王宮にも記録が残されておりません」
「ただ、北境の古い貴族家には独自に保管された文献があるとも聞きます」
そもそも人間は短命だ。建国以前から続く家系など、もう残っていないだろう。だが、わずかな痕跡くらいなら北境の地に残されている可能性はある。
「北境……ヴェルモント家か」
ヴェルモント家は元々アストラ家の傘下にあった。しかし、ローゼリアとの婚約が決まって以降、その動きは明らかに変化していた。
他の貴族達が退室していく中、セラフィオンはしばらく石碑の写しを見つめていた。
(偶然とは思えないな)
静かに席を立つ。その足は王女宮ではなく、王宮内にある大公執務室へ向かっていた。
◇◇◇
執務室の扉が閉まる。その直後。影のような男が現れる。
「大公」
「調べは進んでいるか」
アストラ家直属の諜報員だった。王宮にも存在を知られていない影の部隊。代々アストラ家だけに忠誠を誓う者達だった。
「ルカリウス・レヴァインの母方について、進展がありました」
影のような男は書類を差し出した。セラフィオンは数枚を流し読みし、視線だけを上げる。
「報告を」
「レヴァイン子爵家の使用人となる前、ヴェルモント家で働いていたようです」
「記録上、その女に姓はありません」
「名も?」
「正式な記録は残っていません」
「ただ、当時の使用人達の証言では……『リシー』と呼ばれていたようです」
「愛称か」
「おそらくは」
「出生も?」
「不明です」
「ヴェルモント家に現れた時点で既に記録がありません」
「しかし、妙な点が二つあります。一つ目は、ヴェルモント公爵家ほどの家が、出自の知れない女を側近くで雇うのか。二つ目は、公爵家から子爵家へ行く理由です」
「続けろ」
「どうやら、レヴァイン子爵本人がその女を連れ出したようです」
「根拠は」
「ヴェルモント家の古い使用人の証言です。ですが、その経緯を示す記録が消されています」
「消されている?」
「はい。当時、子爵は北境の戦に従軍していたことになっています。しかし、その女と接触したとされる数日間だけ足取りが追えません」
「当時のレヴァイン子爵は王室騎士団、団長です。足取りが消えるには不自然すぎます」
「なるほど」
「女については、公爵家では人目につかない場所で働かされていたようです。使用人ではありましたが、自由に行動できた形跡はありません。軟禁に近い状態だった可能性があります」
「公爵の妾だった可能性は?」
「その形跡はありません」
「では子爵が連れ出した理由は」
「保護した可能性があります」
「あるいは」
セラフィオンが静かに言葉を継いだ。
「彼女自身が、保護しなければならない存在だったか」
執務室に沈黙が落ちた。窓の外では夜が深まっている。蝋燭の火だけが、静かに揺れていた。
セラフィオンは目を伏せた。ヴェルモント家。北境の遺跡。出自不明の女。そしてルカリウス。
点だったものが、少しずつ線になっていく。
「……繋がり始めた」
無意識に呟いていた。だが、それが意味するものを口にするには、まだ証拠が足りなかった。
それでも確かなことが一つだけある。ルカリウス・レヴァインへ続く線は、北境へ向かっていた。




