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薔薇は満月に咲かない  作者: Rii
第2幕

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第48話 北境の墓標

王都を出発してから三日目。


討伐隊が北境の森へ到着した頃には、雨はすっかり上がっていた。しかし森には濃い霧が立ち込め、昼だというのに薄暗い。湿った土の匂いが、空気の底に沈んでいた。


ルカリウスが率いる東部隊は、北境守備隊長バルトを副官とし、二十名で編成されている。王室騎士団から選抜された精鋭と、北境守備隊の混成部隊だった。


北境の森へ入る直前。ルカリウスは周囲を見渡した。


「報告より多い可能性もある。警戒を怠るな」


騎士たちが緊張した面持ちで頷く。


事前調査では東側に出現した魔物は六体。だが実際に確認された数は、それを大きく上回っていた。


「……ルカリウス司令官」


先頭を進んでいた騎士の声が強張る。霧の向こう。赤い光が揺れた。


一つ。二つ。三つ。そして四つ。さらに霧の奥にも赤い光が揺れている。数は分からない。


「……多すぎる」


「報告では六体だったはずです」


狼に似た巨体が、ゆっくりと霧の中から姿を現す。


毛に覆われた巨体。狼に似た頭部には赤い角が生えている。その牙は吸血族のものより長く、獲物を噛み砕くためだけに存在しているようだった。


先頭にいた魔物が、不意に足を止めた。赤い瞳が、真っ直ぐルカリウスを見つめる。唸り声が消えた。まるで何かを確かめるように。そして次の瞬間。怯えるように一歩後退した。


「討伐体制!」


ルカリウスの命令で、騎士たちが一斉に散開する。飛びかかってきた魔物の牙を躱し、その首筋へ剣を叩き込む。一体。だが次の瞬間には別の魔物が横から襲いかかった。


「右から来るぞ!」


怒号が飛ぶ。霧の中では位置の把握も難しい。想定以上の数に、騎士たちも次第に押し込まれていった。それでもルカリウスの剣は止まらない。霧を裂く銀閃が次々と魔物を斬り伏せていく。


ルカリウスの剣が最後の魔物の首を断つ。巨体が地面へ崩れ落ちた。


倒れた骸が霧の中にいくつも横たわり、湿った土には赤黒い血が染み込んでいる。


ルカリウスは静かに剣を振った。その隣でバルトが深く息を吐く。


「これほどの大型種が同時に現れるとは……警戒を強めて正解でしたね」


「被害は」


「軽傷者が数名です」


ルカリウスは頷いた。


「……妙だな」


バルトが眉を寄せた。


「何か気になりますか」


ルカリウスは答えず、魔物の死骸へ歩み寄る。その胸元へ視線を落とした。毛皮の奥に黒い痕が見えた。剣先で毛を払う。騎士たちが息を呑んだ。


「これは……」


そこには焼き印のような紋様が刻まれていた。自然についた傷ではない。誰かの手で刻まれたものだ。


「魔物に刻印を?」


騎士達が青ざめる。バルトも顔をしかめた。


「私は北境で生まれ育ちましたが、こんなものは見たことがありません」


そして何より、この魔物は死の直前まで何かに怯えていた。斬られることへの恐怖ではなく、もっと別の何かに。


「何かがおかしい」


ルカリウスは剣を納めた。


「周辺を調べる」


森を奥へと進んでいく。先導するのはこの地を熟知しているバルトだった。しかし途中から、ルカリウスの方が迷いなく進み始めることにバルトは違和感を覚えた。まるで土地勘でもあるかのように。


「ルカリウス司令官はこの地を訪れたことがあるのですか?」


「いや、ない」


「不思議ですね。ですが、この先は行き止まりのはずです」


ルカリウスは歩みを止めない。胸の奥がざわついていた。理由は分からないが何かがある。そんな確信だけがあった。


やがて一行は巨大な岩壁へ辿り着く。蔦に覆われた崖。その中央に、崩れかけた石造りの入口が隠されていた。騎士たちがざわめく。


「こんな場所……」


バルトが目を見開いた。


「ここは知られていない場所なのか?」


バルトは首を縦に振り頷いた。


「北境守備隊の地図にも、記録にもありません」


北境守備隊長を務めて二十年以上になるバルトでさえ、初めて見る場所だった。地下へ続く階段を降りる。松明の火が石壁を照らしていく。朽ちた柱。崩れかけた天井。人の気配など何百年もなかったような空間だった。


やがて最奥の広間へ辿り着く。そこには巨大な石碑が立っていた。風化しているはずなのに、刻まれた文字だけは不自然なほど鮮明だった。


石碑の周囲には崩れた壁画が残されていた。騎士の一人が松明を掲げる。


「ずいぶん古くに作られた壁画のようですね」


壁画には角も牙も持たない人々が描かれていた。王冠を戴く男。その背後には巨大な魔物と思われる黒い影。


「北境の古い伝承に似ています」


バルトが低く呟くと、ルカリウスは聞き返す。


「伝承?」


「北境には、神話以前の時代に人間の王がいたという伝承があります」


「人間の王?」


騎士達が顔を見合わせる。バルトは壁画へ近づいた。


「北境には、そうした古い伝承が多く残っているのです」


バルトの言葉を背に聞きながら、ルカリウスが石碑へ指先を触れた瞬間。胸の奥が脈打つ。手のひらから伝わる感覚に、なぜか懐かしさを感じた。冷たい石なのに、温度があるみたいだった。


(この感覚はなんだ?)


石碑に刻まれていた文字を、バルトが読み上げた。


「月が失われる時──封印は終わる」


バルトはそこで言葉を止めた。石碑の下部には、さらに文字が続いている。


「王は再び選ばれる」


その言葉を聞いた瞬間。胸の奥が妙にざわついた。理由は分からない。だが、聞き流してはいけない言葉のような気がした。


ルカリウスの胸元で、銀のケースが微かに熱を帯びた。思わず手を当てる。中にはローゼリアの血から作られた保存血。だが熱はすぐに消えた。


「まるで今のことみたいだな……」


騎士たちが顔を見合わせ、憶測を騒ぎ立てる。その中でルカリウスは、ひとり黙ったままだった。


「王……?」


バルトが掠れた声を漏らす。その時、奥から崩落音が響いた。全員が振り返る。土煙の向こう。ひとつの墓標が姿を現していた。古い石造りの墓。そこに刻まれた紋章を見た瞬間、バルトの顔色が変わる。


「この紋章……」


「どうした」


「見覚えがあります。父が管理していた古文書に載っていた紋章です」


「古い文献に詳しいのか?」


「父がヴェルモント家の文献管理を任されていたので……子供の頃に見せてもらった記憶があります」


「確か……滅んだ王家に関する記録だったはずです。詳しい内容までは覚えていませんが」


「そうか」


滅んだ王家。人間の王。どれも自分には関係のない話のはずだった。それなのに、胸の奥のざわつきだけが消えない。


ルカリウスは右手小指に刻まれた赤い薔薇に視線を落とした。その手を、静かに握りしめる。


「先に王宮へ報告を送れ」


「魔物の数が報告と違った以上、また現れる可能性がある。部隊は町の被害状況の確認と、魔物に備える」


再び墓標へ視線を向ける。松明の火が揺れるたびに、刻まれた紋章が浮かんでは消えた。なぜか、そこから目を離せなかった。

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