第41話 王が見るもの
「絶対に目立つな。全てにおいて手を抜け」
父は、何度もそう言った。まるで──息子の存在そのものを、世界から隠したいみたいに。
初めて剣を握ったのは五歳の頃だった。父に認められたかった。ただ、それだけで強くなりたかった。
婚外子。貴族社会では、珍しくもない。父はレヴァイン子爵家当主、母は使用人。よくある話だ。けれど自分は“不義の子”ではなかった。レヴァイン家には正妻が存在しなかったからだ。
自分が生まれる八年前、政略結婚だった元子爵夫人は義兄を産んだあと男と駆け落ちして消えたらしい。だから母は酷く虐げられていたわけではないし、父と母は仲が良かった。少なくとも幼い頃の自分には、普通の家族に見えていた。
ただ、レヴァイン家は“子爵家”とは名ばかりで、没落寸前。金も権威もない。それでも父はかつて王室騎士団の団長だった。国最強の騎士。なのに、自分が生まれた途端その地位を捨てた。そして王都から離れた。まるで、何かから隠れるみたいに。
父は優しかった。けれど同時に、俺を“存在してはいけないもの”みたいに扱った。母と自分を、徹底的に隠すような田舎での生活。それでも父の手は温かかった。剣を教わるたびに、その手だけを信じていた。
母が亡くなったタイミングで、父は王命によって王都に呼び戻された。かつて王室騎士団長だった父の復帰。胸が高鳴った。なのに──復帰した父の地位は王室騎士団中堅クラスだった。
父に剣を学んだ自分ならわかる。父の実力はこの程度ではない。未だに父の行動、言動、すべてにおいて理解ができないまま──
父の背を追い、最年少の十四歳で騎士となった。それでも父の言葉だけは、ずっと消えなかった。そうして辿り着いた場所が王室騎士団の副団長。
騎士の世界では、身分よりも剣が物を言う。強ければいい。手を抜かなければ、団長などすぐに届く。けれど──手を伸ばしてはいけないと言われている場所だ。王室騎士団の頂点。騎士の最高峰。王には届かない。けれど、誰より王に近い場所。
(──滑稽だな)
飢えている。ずっと、飢えたまま。
ローゼリア・ヴァル・ノクティス。その存在だけが、押し殺していた何かへ静かに火を灯す。王座。そして──彼女。欲しいと思ってしまった。
……ただ、ずっと欲しかった。本当は欲しかった。
だからこそ。今さら、手放せるはずがなかった。
◇◇◇
“月輪の間”は、異様な静けさに包まれていた。天井近くの月紋章だけが、空白を誤魔化すみたいに輝いている。
ローゼリアが足を踏み入れた瞬間。視線が、一斉に止まる。誰も口には出さない。だが──気づかないはずがなかった。ローゼリアの首筋。ルカリウスの耳元。隠し切れない噛み痕。そして何より。二人の香りが、完全に混ざっている。それは一時的な接触ではない。互いを侵し、溶け合い、深く染み込んだ痕だった。
「……コホン」
貴族の一人が気まずそうに視線を逸らす。その空気に耐え切れず、エリオが俯いたまま肩を震わせる。声を殺しているのに、隠せていない。
「……ごめん。笑わないのは、無理」
エリオの笑い声が落ちた瞬間。
「ローゼリア、前へ」
アストレイオン王の声にローゼリアは一歩進む。その瞬間、場の空気がわずかに締まった。数人の貴族が、息を呑む。
セラフィオンだけは黙ったまま二人を見ている。青い瞳は静かだった。静かすぎて、逆に痛いほどに。
「現在、王家では婚約継続について再協議が行われている」
「アストラ家との婚約は、本来“均衡維持”のためのものだ」
アストレイオン王はゆっくりと目を閉じた。深い疲労を押し隠すみたいに。そして、言葉が落ちる。
「ローゼリア」
「王族の婚姻に自由は無い」
金の瞳がルカリウスへと向けられた。ルカリウスの指先が動いた。
「……婚約は継続とする」
「ローゼリア・ヴァル・ノクティスと、セラフィオン・ヴァル・アストラの婚約を、王命として維持する」
それは祝福ではない。均衡を繋ぎ止めるためだけの、冷たい決定だった。ローゼリアの指先が、わずかに震える。
その瞬間。背後で、ルカリウスの気配が低く沈んだ。飢えと執着、そして奪われることへの拒絶。紫の瞳の奥で、金が静かに揺れる。けれど、ルカリウスは何も言わなかった。ただ、引き留めるみたいな視線だけが、痛いほど絡みつく。
(もう──私は誰の花嫁にもなれないのだから)
それでも、ルカリウスが生きていられるなら。ローゼリアは深く息を吸い込む。アストレイオン王の金の目を、まっすぐに見据える。
「──王命、承りました」
ローゼリアの声が“月輪の間”に静かに響いた。




