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薔薇は満月に咲かない  作者: Rii
第1幕

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12/21

第12話 視線の行き先

「解散とする」


大広間の空気は、解散のざわめきへと変わりつつあった。貴族たちは小声で囁き合いながら散っていく。アストレイオン王は側近と短い言葉を交わし、玉座の奥へと姿を消した。


扉が閉じる音が、遠くで小さく響く。広間に残った緊張だけが、切り離された布のように床へ落ちた。


残されたのは、中央に立つローゼリアと、数歩離れて佇むセラフィオン。そして──広間の壁際に立つ、ルカリウス。


視線が、静かに交差する。衝突ではない。けれど、確かに火種を含んだ交差だった。セラフィオンが先に口を開いた。


「“条件付き”とは?」


声は穏やかだ。感情の波は見せない。けれど、観察者の目は崩れない。その視線だけが、ローゼリアの“選択”の中心を正確に捉えていた。


「……場所を変えましょう」


ローゼリアは周囲を一瞥し、歩き出す。人払いの意味を理解したセラフィオンも、同じ歩幅で並んだ。少し離れ“護衛の距離”を保ちながら、ルカリウスも後を追う。


広間を抜け、長い回廊へ。窓から差し込む昼光が、二人の影を床に伸ばす。光は白いのに、会話の温度だけが、ひどく冷静だった。


足音が石床を打つたび、言葉の前触れみたいに反響する。だからこそ、沈黙が余計に重い。


「あなたは、なぜ今になって現れたの」


「王都の空気が動いていたからです」


短くそう答えてから、セラフィオンは少し間を置いた。


「……あなたを守るためでもある」


ローゼリアの鼓動が、ひとつ強く跳ねた。白い光の中で、その跳ねだけが妙に鮮明だった。


「守る?」


「アストラ家は、王族の血……すなわち、この国の均衡を守る側の家系です」


それは完璧な理屈。けれど、視線は逸れない。“血”の話をしているのに、その目はずっとローゼリアの輪郭だけを追っている。理論の仮面の下で、感情が呼吸していた。


「愛人という形を提案したのも、そのためです。正式婚約は政治の矢面に立つ。愛人であれば、自由度が高い。近距離で見届けることも可能──」


「見届ける?」


「はい」


淡々と。冷静に。その冷静さが、逆に不穏だった。


「あなたの血は、安定していない」


ローゼリアの空気だけが止まる。それ以上は踏み込まない。踏み込めば、ローゼリアが引くと知っているからだ。


「今はそれだけ言っておきましょう」


ローゼリアは目を細めた。


「私を、監視する気?」


「いいえ」


セラフィオンの青い瞳は揺れない。


「私はあなたの選択を奪うつもりはありません」


その言葉には、ほんのわずかに熱が混じっていた。気づかぬほど小さな、しかし確かな温度。


「……元々は、あなたが婚約者だったと聞いたわ」


「はい」


即答。否定も弁明もないことが逆に重い。言葉が少ないほど、過去は濃くなる。


「それでも、婚約は望まないの?」


セラフィオンは一瞬だけ黙った。青い瞳が揺れたのは、光のせいではない。


「望む、という言葉は正確ではありません」


丁寧に整えた返答。逃げではない。掟の輪郭を、ぎりぎりで隠す言い方だった。


「……私は、あなたを一度失っています」


「望めば──あなたは私を選びますか?」


静かな問いだった。挑発ではない。むしろ──願いに近い確認だった。


ローゼリアは答えない。答えられない。その沈黙は、拒絶よりずっと残酷だった。


その沈黙を、セラフィオンは理解している。それでも視線を外さない。外さないことだけが、唯一の欲の告白になる。


「私は合理的な人間です」


そう言いながらも、視線は外さない。


「ですが、合理だけで動いているわけでもない」


風が回廊を抜ける。遠くで金属が鳴る音。距離を空けて後ろを歩く、ルカリウスがわずかに身じろいだ。


「愛人契約は制度です」


「その視線の行き先を──今からでも変えられるでしょうか」


その言葉は、熱を持たないのに、深いところへ落ちた。野心でもない。欲望でもない。計算の奥に隠し持っていた感情が、ほんの一瞬だけ顔を出す。


ローゼリアの指先が、かすかに震えた。震えたのは恐れか、懐かしさか。判別はつかない。空気が、さらに動く。


後ろで、ルカリウスの瞳が鋭く光った。


──あの男は危険だ。理由は分からない。ただ、本能だけが拒絶していた。

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