第13話 王になれない家
回廊を抜け、静かな謁見室へ入ると、重い扉が背後で閉じ、広間のざわめきが完全に遮断された。
ルカリウスは扉の外に立った。踏み込まない。それが護衛の線引きだった。
音が消えると、光の白さだけが際立つ。高窓から差し込む白い光が磨かれた床を冷たく照らし、青い衣を纏った男の輪郭を静かに縁取っていた。
セラフィオンは一定の距離を保ったまま、先に頭を下げた。その所作には無駄がなく、卑屈さもない。ただ、正確だった。
「先ほどの提案が性急に映ったのであれば、謝罪します」
声音は澄んでいる。余裕はあるが、誇示はしないその態度に、ローゼリアはゆるやかに目を細めた。
「愛人契約のことかしら」
「私はあなたを利用するつもりはありません。ただ、守れる立場に立ちたい」
その一言で、空気がわずかに変わった。研究者の理論ではない。家を背負う当主の声だった。
「アストラ家は王族と並び得る血筋です。ですが──王位には触れない。それは建国以来、一度も破られたことのない掟です」
淡々とした説明。その裏に、個人的な時間が滲む。
ローゼリアが返す言葉を探すより早く、セラフィオンの青い瞳がほんのわずかに揺れた。王になれない──その言葉の奥には、幼い頃から積み重ねてきた時間が沈んでいる。
──白い光の中、青の記憶が浮かぶ。
◇◇◇
まだ背丈の低い少年。黒髪は今より短く、青い瞳は素直で、隠すことを知らない。
「王女殿下を守るのは、私の役目です」
星図を抱えながら、母上に胸を張って言った。自分より二歳年下の、白薔薇の庭園で一度だけ会ったことのある王女。
「早く……また、お会いしたいな」
婚約者という言葉を、疑いなく未来だと思っていた頃。けれど──双子の王子が死んだあの日。王家から直系の男子が消えた。
同時に、アストラ家に受け継がれる掟が二人を引き離した。王になってはならない。王配となってもいけない。アストラ家は“支える側”として生きる。
「もう……会えないのですか」
婚約は、静かに消えた。消えたのは紙の上だけで、感情まで消えたわけではない。
生きているのに、死者として扱われる。それが、王女から遠ざかるために許された唯一の方法だった。
死んだことにされたのは、最も波風が立たないからだ。生きていることは、時に罪になる。
守るということは、時に、手放すことでもある。
◇◇◇
高窓から落ちる白い光が、セラフィオンの青を静かに現実へ引き戻す。
「それだけではありません」
青い瞳の奥に、かすかな熱が宿る。
「あなたが何かを背負っていると感じたからです。あなたの周囲で、異変が強まっている」
ほんのわずか、衣の内側で指先が動いた。星詠みの盤に触れてはいない。けれど、観測者の本能が反応している。
「私は研究者です。異常は放置しない。そして王族の血は、無防備であるべきではない」
ローゼリアは瞳だけをわずかに細めた。
「満月を待つのであれば、それまで近くで守ります」
ローゼリアの瞳が鋭くなる。
「……なぜそれを知っているの?」
「古い血統の家なら、断片は知っています」
セラフィオンはそれ以上を語らなかった。
「愛人契約は、形式上の盾として有効だと思います」
肯定でも拒絶でもない。事実の確認だった。
「それは私が決めるわ」
ローゼリアのその一言で空気が締まった。
「あなたは“近くに立つ権利”を得るだけ。満月の夜、私が誰を選ぼうと、あなたは口出ししないで」
はっきりとした線引きの提示だった。
「それを決めるのは元からあなたです」
セラフィオンは、目を逸らさない。
「私は王族の血を守る立場にある。あなたの“選択”を尊重することも、その一部です」
そこで言葉を切った。セラフィオンの視線がふとローゼリアの右手へ落ちる。小指に浮かぶ紫の薔薇。
「……困りましたね」
「え?」
「いえ、何でもありません」
ローゼリアは息を吐くと、まっすぐと青い瞳を見つめた。
「形式上の契約は、認めるわ」
「あなたを縛るつもりはありません」




