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第35話 臨時通商長の終わり
監査の翌日、王都から届いた通達には、見慣れた二文字がなかった。
『エレナ・ヴァイスを、ノルトエルト港通商長に任ずる』
臨時が消えている。
何度読み返しても文字は変わらなかった。机の端へ置いた旧辞令が急に軽く見える。
「おめでとうございます、通商長」
ラースが真っ先に頭を下げ、続いてクララ、ユッタ、ノーラまで声を重ねた。港の空気が少しだけ明るい。役職一つで世界が変わるわけではない。けれど責任に対応する権限が、ようやく追いついた。
通達の最後には、冬備蓄契約の統括を命ずるとある。祝いだけでは終わらせないらしい。むしろありがたかった。
「休ませる気がないわね」
私が呟くと、アーベルが珍しくはっきり笑った。
「君に暇を与えると、別の帳面を探し始めるだろう」
「否定できません」
私は新しい印を掌で確かめる。重みは前と同じはずなのに、手の中での収まり方が違った。借りた席ではなく、自分の席に置く印だからだろう。
「冬の契約、きれいに締めます」
「ああ」
「そのあとで、少しだけ祝ってください」
言いながら頬が熱くなる。だがアーベルは真顔のまま頷いた。
「いくらでも」
それだけで十分だった。




