第17話 愛人の署名、偽りの印章
リディアの尻尾は、思ったより近くに落ちていた。
臨時市場の初日を終えた夜、ヘルミナから追加便が届く。中には王都港湾局で最近処理された免税申請の写しが入っていた。
私は一枚目を見た瞬間、背筋が冷えた。
申請者欄の署名が、どう見てもリディア本人なのだ。しかも肩書は“上級監査官代理”。
「代理任命の記録なんてないはず」
私は震える指を止め、すぐに印影を確認した。押されているのは監査室保管の補助印。けれど縁の欠け方が違う。偽物だ。
翌朝、私はアーベルと共に詰所の机で写しを並べた。
「署名は本人の癖が出ている。けれど印章は別物です」
「つまり、自分の名で偽印章を使った」
「おそらく、ギデオンが本印の運用を隠し、リディアが現場書類を回していた」
私は紙へ赤線を引く。偽印が押された書類は三件。いずれもベッセル商会とセルジュ商会に有利な免税か係船優遇だ。
「これで愛人殿の“知らなかった”は使えません」
私は即日、王都会計監査院宛ての緊急照会を作成した。偽印章の疑いは通商不正より重い。王家の印章管理に触れるからだ。
昼過ぎ、王都から先行使者が駆け込んできた。四十一歳の会計監査官オットー・メルナー。無愛想だが仕事は早い男で、昔一度だけ案件で組んだことがある。
「エレナ。お前、辺境でも派手にやっているな」
「褒め言葉として受け取るわ」
彼は書類を見るなり顔色を変えた。
「これは本当にまずいぞ。偽印章が事実なら、航路局だけじゃ済まん」
「だから呼びました」
オットーは深く息を吐き、すぐに言った。
「三日後、桟橋で公開監査をやる。王都の使者も呼ぶ。逃がすな」
決まりだ。
私が積み上げてきた帳簿と印影は、ようやく王都を正面から叩ける形になった。
「エレナ」
去り際、オットーが珍しく柔らかい声で言う。「よく耐えたな」
私は首を振る。
「耐えたんじゃないの。仕事をしただけ」
でも、その一言が少しだけ胸に染みた。




