第七話 ゲーマーの逆鱗
その日の夜、二つ目の氷像が現れた。
アイリスは夕食会を終え自室に戻る道すがら、王城の中庭が騒がしいことに気づいた。
遠くからでも見える、巨大な氷の輝き。
中庭の中心にある、建国以来、優雅に水を噴き上げ続けてきた大噴水が、一夜にして巨大な氷のオブジェへと姿を変えていたのだ。
それは、勇壮なグリフォン・ゼファーにまたがり、天空へと剣を掲げる、聖女アイリスの像だった。
そのあまりに劇的な光景に、一部の王侯貴族は「聖女様を称える、謎の芸術家による贈り物だ!」と喜び、騒ぎはさらに大きくなる。
しかし、アイリスだけは、その贈り主の、見えない視線を感じていた。
最初の氷像には反応しなかった自分に業を煮やし、行動をエスカレートさせている。
それは、ファンや信奉者の行動ではない。
まさしく、ストーカーのそれだった。
正体不明の犯人への恐怖が、じわりと彼女の心を蝕んでいった。
そして、その夜。ついに、ノクトの我慢は、限界を超えた。
王城の最も高い塔の、決して誰も入ることのできない一室。
ノクトは、特注の椅子に身を預け、目の前の巨大な魔力モニターに映し出されたゲーム画面に没頭していた。
超高速のマナ通信網に直結された、完璧なプライベート空間。
彼が今、熱中しているのは、新作の超大作シミュレーションゲーム『帝国興亡記IX』。
何百というパラメータ、複雑に絡み合う外交と内政、そしてリアルタイムで進行する大規模な戦闘。
彼のゲーマーとしての魂を、これ以上なく満たしてくれる、最高の時間だった。
「ふん、やはりこの時代、騎馬隊による側面攻撃からの、魔道士部隊による一斉掃射が定石だな。敵将、あまりに無能…」
ノクトが、敵の最終防衛ラインを突破し、ほくそ笑んだ、その瞬間だった。
ピクッ。
画面が、コンマ数秒、一瞬だけカクついた。
「…ん?」
気のせいか、と彼は首を傾げる。
我が塔の回線は、神域の速度を誇るはず。
ラグなど、原理的に存在しない。
だが、その微かな違和感は、すぐに、無視できない現実となった。
敵の本拠地へ総攻撃を仕掛ける、最も重要な局面。
断続的に、しかし確実に、画面に処理落ちが発生し始めたのだ。
それは、まるで、完璧に調律されたオーケストラの演奏に、不協和音が混じるような、耐え難い不快感だった。
ノクトはコントローラーを握りしめ、眉間に深い皺を刻む。
これまで、些細なマナ干渉は、彼の塔の結界が自動的にフィルタリングしていた。
だが、ここ数日の干渉は、明らかに増大していた。
それは、単なる魔法の余波ではない。明確な意図を持った、大規模な魔力の変動だ。
彼は、ここ数日アイリスから送られてきた報告を、頭の中で整理し始めた。
氷像。
一夜にして現れた、実物大の、精巧な氷の彫像。
あれは、単なる彫刻ではない。
対象の魔力を物質化させ、それを遠隔から操る、最高度の転移魔法が用いられている。
そして、その魔法を操る者は、自分の作品を「贈り物」と称している。
王城の噴水。
これもまた、一夜にして氷の像へと姿を変えた。
対象は、グリフォンに乗ったアイリスの姿。
前回のものよりも、さらに大規模な魔法が使われている。
そして、その魔法は、王都全体のマナ通信網に微弱なノイズを発生させていた。
ノクトは、不快感を通り越し、怒りに変わっていく感情を自覚する。
彼の完璧な引きこもりライフ。
最高のゲーム環境。
その全てを、見知らぬ誰かが、くだらない「芸術」とやらで汚染しようとしている。
「……あり得ん」
彼は低く唸った。ゲームの処理落ちが、さらに頻繁になっていく。
ラスボスとの最終決戦。二百時間を超えるプレイ時間の全てを懸けた、最後のコマンドを入力しようとした、まさにその刹那。
画面が、致命的に、コンマ五秒間、完全にフリーズした。
その、わずかな時間差が、完璧だったはずの彼の戦術を、根本から覆した。
ラスボスの一撃が、彼の皇帝ユニットにクリティカルヒットする。
モニターに映し出された「GAME OVER」の無慈悲な文字。
「……………っ!!」
静寂の中、ノクトが握りしめたコントローラーが、ミシミシと嫌な音を立てた。
彼の、穏やかで完璧な引きこもりライフ。
彼の、何よりも神聖な、ゲーム時間。
それを邪魔する、ゴミは…
「……どこの、どいつだ……ッ!!」
私怨は、ついに臨界点に達した。
ノクトは、これまで無視を決め込んでいた、アイリスからの報告を思い出す。
氷像。
高度な転移魔法。
それらが引き起こす、空間への微弱なマナ干渉。
王都全体のマナ通信網に、ノイズを発生させている、唯一の原因。
全ての線が、繋がった。
次の瞬間、アイリスの脳内に、これまでにないほど冷たく、そして怒りに満ちたノクトの指令が、雷鳴のように轟いた。
『新人。今すぐ、氷像のところへ行け』
(え…? 神様…?)
『いいから、行け。そして、その氷像に残された魔力の残滓を、詳細にスキャンしろ。一ミクロンの誤差もなく、だ』
突然の、あまりに真剣な声に、アイリスは戸惑いを隠せない。
しかし、その声に込められた、絶対的な怒りの波動は、嫌というほど伝わってきた。
『――俺の安眠とネトゲを邪魔する害虫は、社会的に抹殺する。徹底的に、だ』
犯人の正体も、その目的も、まだ何も分からない。
だが、事態は、一人の引きこもりゲーマーの、あまりに個人的な、そして壮大な私怨によって、大きく動き出そうとしていた。




