表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/40

第七話 ゲーマーの逆鱗

 その日の夜、二つ目の氷像が現れた。


 アイリスは夕食会を終え自室に戻る道すがら、王城の中庭が騒がしいことに気づいた。

 遠くからでも見える、巨大な氷の輝き。

 中庭の中心にある、建国以来、優雅に水を噴き上げ続けてきた大噴水が、一夜にして巨大な氷のオブジェへと姿を変えていたのだ。

 それは、勇壮なグリフォン・ゼファーにまたがり、天空へと剣を掲げる、聖女アイリスの像だった。


 そのあまりに劇的な光景に、一部の王侯貴族は「聖女様を称える、謎の芸術家による贈り物だ!」と喜び、騒ぎはさらに大きくなる。

 しかし、アイリスだけは、その贈り主の、見えない視線を感じていた。

 最初の氷像には反応しなかった自分に業を煮やし、行動をエスカレートさせている。

 それは、ファンや信奉者の行動ではない。

 まさしく、ストーカーのそれだった。

 正体不明の犯人への恐怖が、じわりと彼女の心を蝕んでいった。


 そして、その夜。ついに、ノクトの我慢は、限界を超えた。

 王城の最も高い塔の、決して誰も入ることのできない一室。

 ノクトは、特注の椅子に身を預け、目の前の巨大な魔力モニターに映し出されたゲーム画面に没頭していた。

 超高速のマナ通信網に直結された、完璧なプライベート空間。

 彼が今、熱中しているのは、新作の超大作シミュレーションゲーム『帝国興亡記IX』。

 何百というパラメータ、複雑に絡み合う外交と内政、そしてリアルタイムで進行する大規模な戦闘。

 彼のゲーマーとしての魂を、これ以上なく満たしてくれる、最高の時間だった。

「ふん、やはりこの時代、騎馬隊による側面攻撃からの、魔道士部隊による一斉掃射が定石だな。敵将、あまりに無能…」

 ノクトが、敵の最終防衛ラインを突破し、ほくそ笑んだ、その瞬間だった。

 ピクッ。

 画面が、コンマ数秒、一瞬だけカクついた。

「…ん?」

 気のせいか、と彼は首を傾げる。

 我が塔の回線は、神域の速度を誇るはず。

 ラグなど、原理的に存在しない。

 だが、その微かな違和感は、すぐに、無視できない現実となった。

 敵の本拠地へ総攻撃を仕掛ける、最も重要な局面。

 断続的に、しかし確実に、画面に処理落ちが発生し始めたのだ。

 それは、まるで、完璧に調律されたオーケストラの演奏に、不協和音が混じるような、耐え難い不快感だった。

 ノクトはコントローラーを握りしめ、眉間に深い皺を刻む。

 これまで、些細なマナ干渉は、彼の塔の結界が自動的にフィルタリングしていた。

 だが、ここ数日の干渉は、明らかに増大していた。

 それは、単なる魔法の余波ではない。明確な意図を持った、大規模な魔力の変動だ。


 彼は、ここ数日アイリスから送られてきた報告を、頭の中で整理し始めた。

 氷像。

 一夜にして現れた、実物大の、精巧な氷の彫像。

 あれは、単なる彫刻ではない。

 対象の魔力を物質化させ、それを遠隔から操る、最高度の転移魔法が用いられている。

 そして、その魔法を操る者は、自分の作品を「贈り物」と称している。


 王城の噴水。

 これもまた、一夜にして氷の像へと姿を変えた。

 対象は、グリフォンに乗ったアイリスの姿。

 前回のものよりも、さらに大規模な魔法が使われている。

 そして、その魔法は、王都全体のマナ通信網に微弱なノイズを発生させていた。


 ノクトは、不快感を通り越し、怒りに変わっていく感情を自覚する。

 彼の完璧な引きこもりライフ。

 最高のゲーム環境。

 その全てを、見知らぬ誰かが、くだらない「芸術」とやらで汚染しようとしている。

「……あり得ん」

 彼は低く唸った。ゲームの処理落ちが、さらに頻繁になっていく。

 ラスボスとの最終決戦。二百時間を超えるプレイ時間の全てを懸けた、最後のコマンドを入力しようとした、まさにその刹那。

 画面が、致命的に、コンマ五秒間、完全にフリーズした。

 その、わずかな時間差が、完璧だったはずの彼の戦術を、根本から覆した。

 ラスボスの一撃が、彼の皇帝ユニットにクリティカルヒットする。

 モニターに映し出された「GAME OVER」の無慈悲な文字。

「……………っ!!」

 静寂の中、ノクトが握りしめたコントローラーが、ミシミシと嫌な音を立てた。

 彼の、穏やかで完璧な引きこもりライフ。

 彼の、何よりも神聖な、ゲーム時間。

 それを邪魔する、ゴミは…

「……どこの、どいつだ……ッ!!」

 私怨は、ついに臨界点に達した。

 ノクトは、これまで無視を決め込んでいた、アイリスからの報告を思い出す。

 氷像。

 高度な転移魔法。

 それらが引き起こす、空間への微弱なマナ干渉。

 王都全体のマナ通信網に、ノイズ(ラグ)を発生させている、唯一の原因。

 全ての線が、繋がった。

 次の瞬間、アイリスの脳内に、これまでにないほど冷たく、そして怒りに満ちたノクト()の指令が、雷鳴のように轟いた。

『新人。今すぐ、氷像のところへ行け』

(え…? 神様…?)

『いいから、行け。そして、その氷像に残された魔力の残滓を、詳細にスキャンしろ。一ミクロンの誤差もなく、だ』

 突然の、あまりに真剣な声に、アイリスは戸惑いを隠せない。

 しかし、その声に込められた、絶対的な怒りの波動は、嫌というほど伝わってきた。

『――俺の安眠とネトゲを邪魔する害虫は、社会的に抹殺する。徹底的に、だ』

 犯人の正体も、その目的も、まだ何も分からない。

 だが、事態は、一人の引きこもりゲーマーの、あまりに個人的な、そして壮大な私怨によって、大きく動き出そうとしていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ