第四話 信仰ビジネス
ソラリア王都の商業地区。その一等地で、今、最も熱い注目を集めている建物があった。
かつては由緒ある貴族の屋敷だったその場所は、今は悪趣味なまでに金で装飾され、正面には巨大な看板が掲げられている。
『聖女アイリス様ファンクラブ本部』
その看板の下では、早朝から長蛇の列ができていた。
病の治癒を願う者、聖女の武勇伝を聞きたがる者、そして、限定販売の「聖女様ブロマイド(テオ画伯による棒人間の絵)」を求める者たち。
その熱狂と混沌の中心、建物の最上階にある豪華な執務室で、一人の男が悦に入っていた。
不徳の神官、テオ。
魔王討伐の功績により与えられた莫大な報奨金を元手に、彼は自らの商才(という名の詐欺の才能)を遺憾なく発揮し、この信仰ビジネスを一代で築き上げたのだ。
「ひひひ…! 今日の売上も上々だぜ」
テオは、革張りの椅子に深く身を沈め、机の上にうず高く積まれた金貨の山を、うっとりと眺めていた。
部屋の中は、高級な香木の匂いと、金の匂いが混じり合っている。
壁には、彼が描いたお世辞にも上手いとは言えない聖女アイリスの肖像画が、これまた悪趣味な金色の額縁に収められていた。
「会長! 在庫がもう切れそうです!」
元魔王軍のゴブリンを安月給で雇った秘書が、慌てた様子で部屋に飛び込んでくる。
「『聖女様の奇跡の聖水(ただの井戸水)』の瓶が、もうありません!」
「なにぃ!? すぐに空き瓶をかき集めてこい! 井戸はまだ枯れてねえだろうが!」
「は、はい! それと、『力持ちギルの剛力にあやかれる木片(ただの薪)』も、残りわずかです!」
「ちっ、ギルの奴に、もっと訓練で丸太をへし折るように言っとけ! 原価ゼロの商品が一番儲かるんだからよ!」
テオは、もはや神官ではなく、悪徳企業の会長そのものだった。
彼が分厚い帳簿を、パタンと小気味よい音を立てて閉じた、その時だった。
「テオ会長に、お客様でございます」
秘書が、緊張した面持ちで告げる。
「ソラリア王国商工会の、会頭様が、お見えです」
「…ほう?」
テオの目が、ギラリと光った。
ついに、大物が食いついてきた。
応接室に通されたのは、肥え太った、しかしその目だけは剃刀のように鋭い、初老の男だった。
ソラリア王国商工会会頭、バルザック。
この国の商業を、裏も表も知り尽くした、百戦錬磨の商人だ。
「これはこれは、会頭様。こんな場末の事務所に、何の御用で?」
テオは、胡散臭い笑みを浮かべて、バルザックの前に座った。
バルザックは、値踏みをするような目で、テオをじろりと見つめた。
「単刀直入に言おう、テオ殿。あなたの商売、少々、度が過ぎてはいないかな?」
「と、おっしゃいますと?」
「『聖水』と称して井戸水を売りさばき、『剛力の木片』と称してただの薪を売る。…感心はしないやり方だ。我が商工会にも、あなたへの苦情がいくつか届いておる」
バルザックの言葉には、明確な脅しの色が滲んでいた。
だが、テオは動じなかった。
「ひひひ…会頭様。あんたは、分かってねえな」
「なに?」
「俺が売ってるのは、水や木じゃねえ。『物語』と『希望』でさ。人々は、聖女様の奇跡を信じたい。その物語に、金を払っているんだ。中身がただの水だってことは、心のどこかじゃ、みんな分かってるのさ。それでも、祈るための『形』が欲しい。俺は、その手助けをしてやっているだけだ」
その、あまりにも堂々とした開き直りに、百戦錬磨のバルザックも、一瞬、言葉を失った。
テオは、畳み掛ける。
「それに、だ。俺の背後には、誰がいる? 救国の聖女、アイリス様だ。そして、そのアイリス様は、国王陛下が絶大な信頼を寄せておられる。俺の商売にケチをつけるということは、国王陛下のご威光に泥を塗るということでもある。…その意味、賢明な会頭様なら、お分かりでしょう?」
「…!」
バルザックの額に、脂汗が浮かぶ。
目の前の男は、ただの詐欺師ではない。
「聖女」という、この国で最も強力なブランドの威光を、完璧に理解し、利用している。
そして、そのブランドは、王家という、絶対に逆らえない権力と直結している。
「…それで、本日は、何の御用でしたかな、会頭様?」
攻守は、完全に、逆転していた。
バルザックは、深いため息をつくと、その態度を改めた。
「…テオ殿。いや、テオ会長。…あなたに、一つ、ご相談がある」
「ひひひ…! なんなりと」
「我が商工会と、あなたのファンクラブで、業務提携を結びたいと考えておるのだ。聖女様のブランドを、我が商工会が推挙する商品の『公認』として、お貸しいただけんか。もちろん、売り上げの一部は…」
「五割だ」
テオは、即答した。
「売り上げの五割を、ファンクラブへの『寄付』という形で、納めてもらう。そうすりゃ、あんたらの会社も、節税対策になるだろう?」
「ご、五割!?」
「嫌なら、いい。俺は、他の組合と手を組むだけだ。聖女様のブランドを使いたいって奴らは、ごまんといるんでね」
あまりに強気な交渉。
だが、バルザックには、もう、それを飲む以外の選択肢は、残されていなかった。
数分後。
震える手で契約書にサインをしたバルザックが、青ざめた顔で、部屋を後にした。
一人残されたテオは、執務室の窓から、活気に満ちた城下町を見下ろしていた。
かつては、この街の裏通りで、日銭を賭けていた自分が、今や、この国の商業に大きな影響力を持つ商工会と、対等以上に渡り合っている。
(ひひひ…! 神様相手の大博打も悪くなかったが、人間相手の博打も、やめられねえな…!)
彼の不純な野望は、もはや、小銭稼ぎのレベルにはなかった。
この国で、最も金と情報が集まる場所。
その頂点へと、彼は、着実に、駒を進めていた。
聖女の威光という、最強のカードを手にして。




