第三話 光輝魔術師の美学
王立魔術学院。
そこは、建国以来、幾多の偉大な魔術師を輩出してきた、知と伝統の殿堂である。
風雪に耐えた重厚な石造りの校舎、歴史の重みを物語る尖塔、そして学生たちの知的好奇心を見下ろすように佇む、威厳に満ちたガーゴイルの彫像。
その全てが、学院の長い歴史と格式を雄弁に物語っていた。
だが、その日、その神聖なる学び舎の美学は、一人の男によって、根本から揺さぶられようとしていた。
「ノン! ノン! ノン! 断じてノンだ!」
学院の中庭に、芝居がかった、しかし心からの否定の声が響き渡った。
声の主は、光輝魔術師ジーロス。
魔王討伐の功績により、この伝統ある学院の「名誉顧問」という、破格の地位を与えられた英雄、その人であった。
彼は、講義の依頼も、研究への協力要請も全て「僕の芸術的インスピレーションを刺激しない」という理由で断り、ここ数週間、ただひたすらに、学院の建築様式にケチをつけるという、極めて迷惑な活動にのみ情熱を注いでいた。
彼の華麗な指が指し示した先には、雨垂れの跡さえも歴史の風格と感じさせる、一体のガーゴイル像があった。
「見てごらん、この野暮ったいデザインを! 機能性ばかりを重視し、美的センスが微塵も感じられない! これは石像ではない、ただの醜悪な石の塊だ!」
彼の周りには、彼の特別講義(という名の建築批判会)に集まった数名の学生と、困り果てた表情の老教授たちがいた。
「ですが、ジーロス顧問。そのガーゴイルは、建国以前からこの地を守ってきた、歴史的にも非常に価値のある…」
「歴史だと? フン、古いだけが価値ではないのだよ、教授」
ジーロスは、扇子を優雅に広げると、自らの計画を熱っぽく語り始めた。
「僕の構想では、まずこの醜い石塊を撤去し、代わりに、僕自身をモデルにした、高さ10メートルの純白のクリスタルの彫像を設置する。そして、僕の光魔法を組み込み、時間帯によって七色に輝きを変える、インタラクティブ・アートへと昇華させるのだ! 素晴らしいだろう!?」
(((素晴らしくない…!!!)))
その場にいた全員の心の声が、完璧にシンクロした。
その、芸術という名のテロ行為がまさに計画段階から実行段階へと移ろうとしていた、その時だった。
「―――ジーロス卿。少々、よろしいかな」
中庭に響いたのは、低く、乾いた、そして一切の芸術的感性を含まない、現実的な声だった。
声の主は、白髪を几帳面に撫でつけ、高価だが装飾の一切ない、実用的なローブをまとった老人。
ソラリア王国財務大臣、ボードワン卿。
国家予算を司り、無駄な銅貨一枚たりとも見逃さない、王国で最も現実的な男であった。
「おお、大臣殿。ちょうどいいところに来た。君にも見てもらいたい、僕の新たなアートプランを…」
「その件で、お話が」
ボードワン卿は、ジーロスの言葉を、ぴしゃりと遮った。
「先日、学院長経由で、あなた様から提出された『王宮美化計画』の予算申請書、拝見いたしました。…あれは、一体、何の冗談ですかな?」
その声には、怒りというより、純粋な、そして底の知れない困惑が滲んでいた。
「冗談? ノン、あれは僕の情熱そのものだ!」
「城壁に巨大なクリスタルを埋め込む、その費用、国家予算の三パーセントに相当いたします。玉座の間の天井をオーロラにするための維持費は、年間で騎士団一個師団を養える額です。正気ですかな?」
「君は、美を金で測るのかね? この計画は、値段がつけられないほど価値があるのだよ」
「価値があるからこそ、値段がつくのです! そして、その値段を支払うのは、我々国民の血税なのですぞ!」
「野暮だね! アートとは、情熱なのだよ!」
「ですが、その…城壁にクリスタルを埋め込むとなると、防衛上の問題が…」
「問題ない! 僕の光魔法で、敵の目も眩ませてやろう! 美は、最強の防衛なのだ!」
話が、全く噛み合わない。
芸術論と、財政論。二つの平行線は、永遠に交わることはなかった。
ついに、ボードワン卿は、最後通告を叩きつけた。
「結論を申し上げます。あなたの計画は、財政的にも、防衛的にも、そして常識的にも、全て却下です」
「…なんだと?」
ジーロスの顔から、笑みが消えた。
「君のような、美的センスの欠片もない俗物に、僕の崇高なアートが理解できないのは分かっていた。だが、それを否定する権利は、君にはないはずだ」
「権利ならございます。この国の財政を預かる、財務大臣として」
二人の間に、火花が散る。
ついに、ジーロスは、実力行使に打って出た。
「…いいだろう。言葉で分からぬのなら、見せてあげるしかない。僕のアートの、その神髄を!」
彼が指を鳴らすと、学院の校舎全体が、まばゆい光に包まれた。
次の瞬間、そこにいた全員が、目を疑った。
重厚な石造りの校舎は、まるで少女趣味の砂糖菓子のように、キラキラと輝くピンク色のクリスタルへと姿を変えていた。
威厳のあったガーゴイル像は、陽気なオペラを歌い始め、尖塔の先では、ミラーボールのように光る玉が、クルクルと回転している。
「どうだね! これぞ、僕の芸術の一端だ!」
ジーロスが、勝ち誇ったように胸を張る。
ボードワン卿は、あまりの光景に、腰を抜かしそうになっていた。
「ば、馬鹿者ぉおおお! 国の重要文化財に、なんということを! 今すぐ元に戻さんか!」
財務大臣の絶叫が、オペラを歌うガーゴイルの陽気な歌声と、奇妙なハーモニーを奏でる。
王立魔術学院は、その創立以来、最大の危機(美的センス的な意味で)を迎えていた。




