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第三十九話 平穏な(?)日常

 史上最悪の迷惑コンビ、レイラとミストが王都から追放されてから、数週間が経過した。

 彼らが作り出した狂気の舞踏会は、王宮の公式発表では「英雄たちを称えるための、最新魔術を駆使した、いささか過激なサプライズ演出」として処理された。

 一夜にして凍結され、解凍された貴族たちは、後遺症でしばらく風邪を引いた者もいたが、概ねその説明を受け入れ(あるいは、受け入れざるを得ず)、王都には、ようやく、見せかけの平穏が戻っていた。

 空を覆っていた不気味なオーロラは消え、マナ通信網も安定を取り戻した。

 人々は日常へと帰り、そして、英雄たちもまた、それぞれの「日常」へと帰っていった。


 王城の最も高い塔。

 ノクトは、今、人生で最も神聖で、最も重要な儀式に没頭していた。

 ゲームではない。

 失われた二百時間の魂を取り戻すための、「セーブデータ復旧作業」である。

 彼の部屋は、普段の怠惰な雰囲気が嘘のように、緊張感に満ちていた。

 床には、複雑怪奇な魔方陣(に見える、ただのデータフローチャート)が描かれ、壁には、破損したデータの構造解析図が、びっしりと貼り付けられている。

『新人。緊急だ。破損したデータセクタは、レイラとミストの混沌とした魔力によって「汚染」されている。この汚染を浄化し、正常なマナ構造に再構築するためには、大量の純粋な魔力が必要だ。その安定供給源として、王城の宝物庫にある「千年樹の樹液を固めた琥珀」が、高純度のマナ・コンデンサの代用品として最適だと結論が出た。一刻も早く入手せよ』

 アイリスの脳内に響くノクト()の声は、もはやポテチを要求するそれではない。 自らの世界の再建に没頭する、創造主のそれだった。

(千年樹の琥珀…。確か、先々代の国王陛下が、友好国から献上されたという、国宝級の…)

『ああ、それだ。ついでに、塩キャラメル味のポップコーンも頼む。糖分が、思考を加速させる』

(…結局、おやつのおつかいですか)

 アイリスは、完璧な笑みの下で、ぐっと奥歯を噛み締めた。

 彼の要求は、もちろんそれだけに留まらない。

 破損したセーブデータという名の「呪われた魔力構造体」を浄化・再構築するため、彼の塔は、現在、王城の魔力炉を二十四時間体制で独占している。

 さらには、「演算補助用の冷却材」と称して、国宝級の魔法触媒や、希少なドラゴンの鱗まで、湯水のように消費していた。

 財務大臣が先日、血の涙を流しながら「聖女様…このままでは、我が国の財政が、セーブデータとやらに滅ぼされてしまいます…!」と訴えてきたのも、無理はなかった。

 彼の復旧作業は、もはや、小規模な戦争に匹敵するほどの国費を、日々、食い潰し続けていたのだ。


 そのアイリスは、再び、聖女としての「平穏な日常」に戻っていた。

 つまり、貴婦人たちとの、地獄のお茶会である。

「まあ、聖女アイリス様! 先日の舞踏会でのサプライズ、本当に素晴らしかったですわ! 氷の彫像になった時は、少し肌寒かったですけれど、お肌が引き締まったような気もしますのよ。オホホホ…」

「ええ、ええ! あの虹色の幻、まるで夢のようでしたわ。陛下も、粋な演出をなさるものですこと!」

 アイリスは、完璧な淑女の笑みを顔に貼り付け、内心では、遠い目をしていた。

(あの地獄絵図を、サプライズ演出…。この人たちの神経は、一体どうなっているのでしょうか…)

 数週間前、世界の危機を回避するために、狂気の魔族と死闘を繰り広げていたはずの自分が、今、その戦場となった場所で、のんきな感想会に付き合わされている。

 魔王軍と戦っていた頃の方が、よほど心労は少なかったかもしれない。

 彼女の憂鬱は、平和と共に、再び、深く、濃くなっていた。


 そして、アイリス分隊の他のメンバーもまた、それぞれの、あまりにも迷惑な日常へと、完璧に復帰していた。


 王国騎士団第一訓練場では、ギルの雷鳴のような檄が、今日も変わらず響き渡っている。

「なってないであります! あの程度の氷のゴーレムに手こずるとは! 姉御は、あんなもの、指先一つで粉砕できるでありますぞ!」

 舞踏会での一件に「感銘を受けた」彼は、王立魔術学院に無理を言って、訓練用の氷のゴーレムを大量に作らせ、それを仮想敵とした、新たな地獄の訓練メニューを騎士たちに課していた。

 訓練場は、もはや、氷の破片と、騎士たちの悲鳴が飛び交う、極寒の戦場と化している。

 騎士団長アルトリウスの胃は、先日、ついに穴が開いた。


 王立魔術学院では、ジーロスが、自らの新たな美学「偶然が生み出す混沌の美」の布教に、情熱を燃やしていた。

 彼によってピンクのクリスタルへと変えられた校舎は、今や、彼の「インスピレーション」によって、毎日、その形を変え続けている。

 ある日は、校舎のあちこちから、非対称に、グロテスクな触手のような塔が伸び、またある日は、全ての窓が、統一感のない、バラバラのステンドグラスに変わった。

「素晴らしいだろう! この、予測不能なフォルム! これこそが、芸術の最先端なのだよ!」

 彼の芸術テロに、学院の教授たちは、もはや抵抗することを諦め、財務大臣のボードワン卿は、ジーロスと顔を合わせるたびに、血を吐くようになった。


 王都の商業地区では、テオの「聖女アイリスファンクラブ」が、今や、国境を越える巨大商業組織「アイリス・コネクション」へと、その名を変えようとしていた。

 レイラのコレクションを売りさばいて得た莫大な資金を元手に、彼は、次々と新しいビジネスに手を出している。

「ひひひ…! 『公式ライセンス商品・氷結舞踏会記念ブロマイドセット』、ついに完成だ! メインは当然、聖女様と英雄様ご一行の写真。だがな、セットには一枚だけ、おまけの『シークレットカード』を付ける。それが、凍った大臣の間抜けな顔写真よ! 熱心な信者は聖女様のカードを欲しがるが、物好きな連中や、貴族を笑いたい庶民は、このおまけ目当てでセットを買う! 二重に儲かるって寸法よ!」

 彼は、あの悪夢の一夜すらも、完璧な商品へと変え、莫大な利益を上げていた。

 その商魂は、もはや、ノクト()をも恐れぬ領域に達していた。


 そして、シルフィ。

 彼女は、あの氷の迷宮を「クリア」したことで、自らの方向音痴に、絶大な、そして根本的に間違った自信をつけてしまっていた。

「大丈夫です! あの迷宮を抜けられたのですから、このお城の構造など、もう完璧に把握しました!」

 そう言って、自信満々に自室を飛び出した彼女が、三十分後、王家の宝物庫の、巨大な金庫の上で泣いているのが発見されたのは、もはや、王城の日常風景の一つだった。

 衛兵たちの間で「コード・エルフ」と呼ばれていた彼女の捜索任務は、今や「コード・エルフ・アドバンス」へと、その警戒レベルが引き上げられていた。


 混沌。

 それこそが、英雄たちがもたらした、平和の、もう一つの名前だった。

 アイリスは、貴婦人たちとのお茶会をどうにか終え、ノクト()に命じられた国宝とポップコーンを手に、国王の下へと向かう。

 その道すがら、訓練場から聞こえるギルの怒号と爆発音、学院の方角で輝く悪趣味なピンク色の光、そして、宝物庫から衛兵に救出され、しょんぼりと歩いてくるシルフィの姿を目にした。

(…本当に、平和に、なったのですね…)

 彼女は、なぜか、涙が出そうになるのを、必死でこらえた。

 その時だった。

 脳内に、歓喜に満ちたノクト()の声が、高らかに響き渡った。

『―――やったぞ、新人ッ! 復旧率、百パーセント! 俺の二百時間は、ついに、我が手に戻ってきた!』

 その声は、世界を救った時よりも、遥かに、嬉しそうだった。

『祝杯だ! 今すぐ、南方の諸侯からしか献上されないという、幻の『トリュフ香る、悪魔のコンソメポテチ』を入手してこい! これは、最優先事項だ! 今すぐにだ!』

 アイリスは、深いため息をついた。

 だが、そのため息には、いつものような疲労だけでなく、ほんの少しだけ、安堵の色が混じっていた。

 二百時間の呪縛から、ようやくノクト()様が解放される。それさえ終われば、きっと、もう少しだけ、穏やかな日常が…。

 そんな、淡い期待を胸に、彼女は、次なる限定ポテチをどうやって手に入れるか、その段取りに、早くも頭を悩ませ始めるのだった。

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