第三十五話 結界の崩壊
天と地で放たれた二筋の閃光は、狂気の舞踏会に、暴力的なまでの終止符を打ちつけた。
魔力の心臓部であるシャンデリアとパイプオルガンを同時に砕かれ、レイラとミストが作り上げた巨大な結界は、もはやその形を維持することができずに、断末魔の悲鳴を上げていた。
キィィィィン…という、ガラスが割れるような甲高い音が、空間全体に響き渡る。
天井を覆っていた氷の鏡に、蜘蛛の巣のような亀裂が走り、次の瞬間、無数の氷の破片となって降り注いだ。
床や壁を覆っていたミストの幻術は、まるで不具合を起こした映像のように、激しいノイズと共に明滅し、景色が現実と幻の間を何度も行き来する。
甘美なワルツを奏でていた幻影のオーケストラは、耳障りな不協和音を立てながら、一体、また一体と掻き消えていく。
そして、芸術品のように凍りついていた貴族たちを覆っていた氷が、急速に融解し始めた。
彼らは、何が起こったのか全く理解できないまま、濡れた礼服とドレス姿で、ぶるぶると震えながらその場にへたり込んでいる。
ほんの数分前まで、美と狂気が支配していた異質な空間は、今や、ただただ、水浸しで、残骸が散らかった、無残な大広間へと戻っていた。
その、混沌の中心。
全ての魔力の源を絶たれ、完全に無防備な状態で立ち尽くす、二人の魔族の姿があった。
「そん…な…私の、美しいシャンデリアが…」
「馬鹿な…私の、完璧なオルガンが…」
レイラとミストは、自分たちの力が、あまりにもあっけなく失われたという現実を、受け入れられずにいた。
彼らは、もはや、世界を脅かす魔王軍四天王ではない。
ただの、自慢のオモチャを壊されて、途方に暮れる子供のようだった。
その、無力な二人の姿を、アイリスの脳内にいるノクトは、冷たく、そして満足げに見下ろしていた。
『フン。サーバーの核を破壊され、強制的に実体化したか。哀れなものだな』
ノクトの声は冷静だったが、その奥には、二百時間のプレイ時間を失ったことへの、未だ鎮まることのない激しい怒りが、地獄の業火のように渦巻いていた。
彼の「お仕置き」は、まだ始まったばかりだった。
『新人。…ゴミ掃除の時間だ。奴らが、この惨状から立ち直り、新たな悪戯を思いつく前に、完全に無力化する』
その冷徹な指令を受け、アイリスは頷いた。
彼女は、仲間たちに向き直り、リーダーとして、力強く、そして簡潔に命じた。
「ギル! テオ! 二人を捕縛して!」
「「承知!」」
二人の男は、その信頼に満ちた声に、完璧に応えた。
ギルが、獲物を狩る獅子のような、凄まじい速さで、二人の背後へと回り込む。
レイラとミストが、その殺気に気づいて振り返った時には、すでに遅かった。
ギルの、丸太のように太い両腕が、二人の体をまるで小脇に抱えるかのように、軽々と締め上げていた。
「なっ…離しなさい、この野蛮人!」
「この…! 非論理的な! ゲームの敗者に、このような暴力的な結末を用意するとは! 君たちのプレイヤーは、最低限のルールも知らないのか!」
二人は、最後の抵抗を試みるが、魔力を失った今、その声は、ただただ、虚しく響くだけだった。ギルの、鋼鉄の筋肉の前では、赤子の抵抗にも等しい。
「ひひひ…! ご苦労さん、ギル。あとは、俺に任せな」
そこに、テオが、胡散臭い笑みを浮かべて近づいてくる。
「おい、あんたら。危険物を隠し持ってねえか、身体検査させてもらうぜ。これも、王国の平和のためだからな」
テオは、大義名分を掲げながら、ギルに拘束されて身動きが取れない二人の懐を、手早く、そして極めて専門的な手つきで探り始めた。
「な、何をす…! それは私の、魔力増幅用の宝石…!」
「おっと、こんなところに幻術用の触媒が。危ねえ危ねえ、没収だ」
レイラとミストの抗議も虚しく、テオは、二人が身に着けていた高価そうな装飾品や、金貨の入った財布を、次々と「危険物」として認定し、瞬く間に、自らの懐へとしまい込んでいく。
それは、もはや身体検査ではなく、ただの追い剥ぎだった。
その、あまりにも手際の良い捕縛劇を、残りの仲間たちが見守っていた。
「…フム。まあ、結末は少々、美しくないが…」
ジーロスは、扇子で口元を隠し、腕を組んだ。
「あの醜悪な結界が、木端微塵に砕け散っていく様は、ある種の『破壊の美学』を感じさせなくもなかった。…うん、私の新たな芸術の、良いインスピレーションになったよ」
彼は、この惨状すらも、自らの美的センスのフィルターを通して、ポジティブに解釈していた。
その隣で、シルフィは、捕縛されたレイラを、じっと見つめていた。
周囲の氷が全て融けていく中で、彼女の手の中にある氷の薔薇だけは、まるで魔法のアイテムのように、その輝きを一切失わずに咲き誇っている。
そして、てくてくと、レイラの元へと歩み寄る。
「あの…」
シルフィは、美しい氷の薔薇を、レイラの目の前に、そっと差し出した。
「…悲しいのですか? これ、とても綺麗です。見ていると、少しだけ、元気が出るかもしれません」
純粋な、善意。
悪意も、計算も、皮肉も一切ない、ただ、相手を思いやる、優しい言葉。
だが、その言葉は、今のレイラにとって、何よりも残酷な刃だった。
自らが作り出した、最高の芸術品。
それを、まるで子供をあやすかのように、哀れみの情と共に差し出される。
「…………っ」
レイラの、完璧なポーカーフェイスが、初めて、ぐにゃりと歪んだ。
その瞳に、屈辱の涙が浮かぶ。
シルフィの、あまりに無垢な一撃は、ミストのプライドを砕いたアイリスの言葉の刃とは、また違う意味で、レイラの心を、深く傷つけたのだった。
こうして、史上最悪の迷惑コンビは、捕らえられた。
だが、戦いは、まだ終わっていない。
これから始まるのは、国を救うための戦いではない。
「失われた二百時間のプレイ時間」の恨みを晴らすための、ノクトによる、あまりにも個人的で、陰湿な「お仕置き」の時間なのだ。
彼女の脳内に、満足げな、そして、これから始まる復讐劇への期待に満ちた、ノクトの冷たい声が響いた。
『よし。…「トラウマ植え付け作戦」、一段階目完了だ。…さて、新人。本当の地獄は、ここからだぞ』




