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第二十八話 真実のダンス

 アイリスが、星々が渦巻く「星の紋様の扉」を通り抜けた先は、彼女が数時間前に脱出したはずの、王城の大広間だった。

 いや、違う。

 そこは、ミストの幻術によって、現実を遥かに超えるレベルまで「美化」された、理想の舞踏会場だった。

 床は星屑を練り込んだかのようにキラキラと輝き、天井は天幕のように開けて、本物の夜空と無数の星々が広がっている。

 壁際には、先ほどまでいたはずの宮廷楽団ではなく、透き通るような体を持つ幻影のオーケストラが、この世のものとは思えないほど甘美で、そして物悲しいワルツを奏でていた。

 そして、フロアを埋め尽くしているのは、氷の彫像と化した貴族たちではない。

 皆、完璧な笑みを浮かべ、優雅な仕草で談笑する、美しい幻影の紳士淑女たちだった。

 あまりの幻想的な光景に、アイリスは一瞬、息を呑んだ。

『フン。ステージの背景素材(アセット)を使い回しか。手抜きだが、照明(ライティング)特殊効果(エフェクト)は悪くない。描画(レンダリング)品質だけは評価してやろう』

 アイリスの脳内に響いたノクト()の冷静なレビューが、彼女をすぐに現実へと引き戻した。

(神様…。ここは…)

『ああ。ミストが作り出した、奴の自己満足の劇場だ。気を抜くなよ、新人。メインクエストの始まりだ』


 その時、幻影のオーケストラの演奏が、ふと止んだ。

 フロアにいた幻影の紳士淑女たちが、一斉にアイリスへと注目する。

 ミストの、芝居がかった声が、天井の星空から降り注いだ。

『ようこそ、聖女アイリス様。第三の試練「真実のダンス」の舞台へ』

 声は、どこか楽しげだった。

 自分の土俵に、最強のライバルを引きずり込めたことに、心からの喜びを感じているようだった。

『ルールは、至ってシンプル。この舞踏会が終わるまでの、三曲のワルツの間に、貴女は、次々とダンスを申し込んでくる紳士たちと踊らなければなりません。彼らは、私の作り出した、心を惑わす幻影。ですが、その中にたった一人…本物の私が紛れ込んでいます。三曲目が終わるまでに、本物の私を見つけ出すことができれば、貴女の勝利 。見つけられないか、あるいは、踊りを拒否すれば…貴女の心は、永遠にこの美しい幻影の虜となるでしょう』

 それは、アイリスが一人で挑む、あまりにも悪趣味で、あまりにも彼らしい心理戦の幕開けだった 。

『なるほどな。正体隠匿系のクエストか。タイムリミット付きの、古典的な人狼ゲームだな。面白い。受けて立ってやろうじゃないか』

 ノクトは、むしろ楽しそうだった。


 一曲目の、ゆったりとしたワルツが始まる。

 すると、一人の、絵本から抜け出してきたかのような、金髪碧眼の王子様然とした幻影が、アイリスの前に進み出て、恭しく手を差し出した。

「美しき聖女よ。今宵、最初の栄光を、私に与えてはくださいませんか?」

 アイリスは、戸惑いながらも、その手を取った。

 男は、完璧なリードで彼女を踊りの輪へと導くと、甘い声で囁きかける。

「ああ、アイリス様。貴女の武勲は、この国中の誰もが知るところ。その気高さ、その輝きは、天上の女神すらも嫉妬させましょう」

(うっ…こういうのは、一番苦手です…)

 貴族のお茶会で聞き飽きた、中身のない賛辞の嵐。

 アイリスは、完璧な笑みを顔に貼り付けながらも、内心うんざりしていた。

『新人。こいつはハズレだ。典型的な「おだてる」タイプのNPCだな。好感度を上げて、判断力を鈍らせるのが狙いだ。ダンスのステップも、三つのパターンを繰り返しているだけの単調なループ処理。さっさと切り上げろ』

 アイリスは、一曲が終わると同時に、丁寧にお辞儀をして、その王子様から離れた。


 二曲目の、少しテンポの速いワルツが始まる。

 次に彼女の前に現れたのは、威厳のある口髭を蓄えた、公爵風の壮年の紳士だった。

「聖女殿。一手、ご指南願おうか」

 有無を言わさぬ口調で、彼はアイリスの手を取る。

 その踊りは、先ほどの王子とは違い、力強く、そして試すような鋭さがあった。

「貴殿が国を救った英雄であることは認めよう。だが、その若さで、本当にこの国の未来を背負う覚悟がおありかな? その細腕で、民の期待という重圧に、いつまで耐えられる?」

 それは、アイリスが日頃から抱えている、最も痛い部分を的確に突いてくる言葉だった。

 一瞬、彼女の心が揺らぐ。

『動揺するな、新人。こいつは「威圧」タイプのNPCだ。精神的な弱体化(デバフ)をかけて、プレイヤーのミスを誘う古典的な戦術だ。動きは大きいが、次の動作が読みやすい。ミスト本人が、こんな分かりやすいアバターを使うはずがない。パスだ』

 ノクトの冷静な声が、アイリスの心を現実に引き戻す。

 彼女は、公爵の鋭い視線を真っ向から受け止め、一歩も引かなかった。


 二曲目が終わる。

 すぐに、最後のワルツが始まった。

 それは、これまでの二曲とは違う、情熱的で、そしてどこか物悲しい旋律だった。

 もう、時間がない。

 アイリスの心に、焦りが生まれる。

 王子でもない、公爵でもない。ならば、一体誰が?

 フロアにいる、他の幻影たちに視線を走らせる。

 誰もが、完璧な紳士淑女として、この空間に溶け込んでいた。


 その時だった。

 一人の、全く特徴のない、ごくごく平凡な、若い書記官のような幻影が、おずおずと、彼女の前に進み出た。

 派手な装飾の礼服でもなく、威厳のある立ち振る舞いでもない。

 ただ、そこにいるだけの、まるで背景のような男。

「あ、あの…もし、よろしければ…最後の一曲、ご一緒させていただけませんか?」

 その声は、自信なさげで、か細かった。

 アイリスは、迷った。

 この男が、あの傲慢で自信家のミストだとは、到底思えなかったからだ。

 だが、もう、断っている時間はない。

 彼女は、無言で、その手を取った。


 踊り始めて、アイリスはすぐに、違和感に気づいた。

 男のリードは、これまでの誰よりも、滑らかで、完璧だった。

 そして、彼は、何も語らない。

 ただ、静かに、アイリスの呼吸とステップに、完璧に合わせてくる。

 それはまるで、自分の心の中を、全て読まれているかのような、不思議な感覚だった。

 威圧も、お世辞もない。

 だが、これまでの誰よりも、強く、彼の「意思」を感じる。

 彼は、自分を試すでもなく、ただ、自分という存在を、値踏みするように、分析している…。

(神様…!)

『…ああ。…面白い』

 ノクトの声が、初めて、感心したような響きを帯びた。

『新人、こいつだ。間違いない』

(なぜ、分かるのですか!?)

『これまでの幻影は、全て、決められた台本(スクリプト)通りに動く、単調な,NPCだった。だが、こいつは違う。お前の僅かな体重移動、呼吸のリズム、その全てに、リアルタイムで反応し、動きを最適化している。…そして、何より、この空間の魔力リソースの消費量が、こいつと踊り始めてから、僅かに、だが確実に増大している。奴は、他の幻影を維持しながら、このアバターの操作に、意識を集中させているんだ』

 ノクト()の分析は、もはや、文字通り神の領域だった。

 彼は、この幻術空間を、一つの巨大なサーバーとして捉え、そのデータ通信量から、プレイヤー(ミスト)の位置を特定したのだ。

『だが、厄介だな。奴は、自分が本物だと悟られないよう、完璧に「凡人」を演じている。ただ「お前がそうだ」と指摘しただけでは、クエストクリアのフラグは立たないだろう。奴のプライドを刺激し、自ら正体を明かさせるような、決定的な一手が必要だ』

 最後のワルツの旋律が、クライマックスへと向かっていく。

 アイリスは、目の前の、平凡な書記官の顔をした、好敵手を見据えた。

 ただ見つけるだけでは、駄目。

 この心理戦に、打ち勝たなければならない。

(神様、どうすれば…)

『…フン。奴の性格は、これまでのやり取りで、ほぼ完全に分析(プロファイリング)済みだ。奴は、プライドが高く、自らのロジックと美学を、何よりも信奉している。そして、最高のライバルとの、知的なゲームを、心の底から楽しんでいる』

 ノクトの声が、悪戯っぽく、そして確信に満ちた響きを帯びる。

『――新人。俺の言う通りに、奴に囁け。奴の、その高い鼻を、完膚なきまでにへし折ってやる』

 アイリスは、頷いた。

 ノクト()の、反撃の台本(スクリプト)が、今、完成した。

 彼女は、目の前の男の耳元に、そっと唇を寄せた。

 真実のダンスは、最終楽章へと突入する。

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