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第二十五話 それぞれの決意

 神の、あまりにゲーム的で、あまりに人間味のない、しかし恐ろしいほどに理路整然とした指示は下された。

 アイリスが仲間たちへの役割分担を伝え終え、各々が自らの使命(と欲望と勘違い)を胸に刻んだ、その時だった。


 彼らの背後で、先ほどからずっと威圧的なポーズを取り続けていた醜悪な魔物の幻影が、忘れられた自らの存在をアピールするかのように、ひときわ大きく、そして不気味な咆哮を上げた。

「グオオオオオッ!」

 魂を震わせるはずのその叫びは、しかし、誰の耳にも届いていなかった。

「おお、テオ殿! 我々の前には、勝利という最大のリターンしか存在しないのでありますな!」

「ひひひ…話が早くて助かるぜ、旦那」

 ギルとテオは、互いに背中を叩き合いながら、すでに「火の紋様の扉」へと歩き出している。

「いいかい、シルフィ! 我々の歩む道、それ自体が一つの芸術作品となるのだよ!」

「はい! よろしくお願いします!」

 ジーロスとシルフィもまた、美学と天然の会話を繰り広げながら、「氷の紋様の扉」へと優雅に(そしておぼつかない足取りで)向かっていた。

 そしてアイリスは、脳内のノクト()との最終確認に集中している。

『さっさと中に入れ。メインクエストの開始が遅れるだろうが』

(分かっています!)

 主役であるはずの英雄たちに、完璧に無視された魔物は、心なしか、その咆哮の語尾を弱々しく震わせた。

 威圧的なポーズもどこかだらけ、その巨体は、まるで存在意義を失ったかのように、ゆらりと揺らめき、やがてスッと…音もなく氷の壁に溶けて消えていった。

 ミストの幻術が、あまりの不憫さに自ら演出を取り下げたのか、あるいは単なる省エネモードに入ったのかは、誰にも分からない。

 アイリスの脳内に、満足げなノクト()の声が響いた。

『フン。だから言っただろう、新人。ああいう背景(モブ)は無視して、さっさと目的(クエスト)に向かうのが定石だ』

 こうして、哀れな魔物は、誰に倒されるでもなく、ただただ無視されるという、最も屈辱的な形で舞台から退場した。

 そして、三組の奇妙なパーティーは、これから始まる理不尽なゲームへの、静かな出陣の儀式を続けるのだった。


 ◇


 最初に「火の紋様の扉」の前に立ったのは、激情のギルと不徳の神官テオという、王国で最も腕力に優れる男と、最も腕力以外の全てに優れる男のコンビだった。

 扉からは、幻影であるはずなのに、本物の炎のような熱気が漏れ出している。

「フン! なかなか威勢のいい炎でありますな!」

 ギルは、その熱気をものともせず、仁王立ちで扉を睨みつけた。

 彼の決意は、単純明快。そして、純粋だった。

(待っていてください、姉御…! この程度の試練、このギルが一瞬で粉砕し、すぐに貴女の元へ駆けつけます! 姉御の盾となるべきこの私が、姉御から離れているなど、一秒たりとも許されることではないのであります!)

 彼の思考は、ただひたすらに、アイリスの身の安全だけにあった。

 この試練は、彼にとって、愛する主君の元へ戻るために乗り越えるべき、単なる障害物に過ぎない。

 その隣で、テオは全く異なる思考を巡らせていた。

 彼は、扉から漏れ出す熱気を手のひらで感じながら、その「商品価値」を冷静に分析していた。

(なるほどな…この熱、幻術と氷魔法の複合魔術が生み出してるとは思えねえほどのリアリティだ。こいつは金になる。この試練をクリアすりゃ、あの迷惑コンビの魔術のデータが手に入るかもしれねえ。そのデータを魔術学院に売りつければ…ひひひ、莫大な研究費が転がり込んでくるぜ!)

 彼の決意は、打算。

 そして、欲望だった。

 この国家存亡の危機すら、彼にとっては次なるビジネスの種でしかない。

「おい、ギルの旦那」

 テオが、準備運動を始めるギルの背中に、胡散臭い笑みで声をかけた。

「今回のクエスト、きっちり成功させて、でっかいリターンとしゃれ込もうぜ。俺たちなら、ノーリスク・ハイリターン間違いなしだ」

「おお、テオ殿! よく分かっているでありますな!」

 ギルは、テオの言葉を「共に戦う仲間としての熱い決意」だと完璧に誤解し、ニカッと歯を見せて笑った。

「その通りであります! 我々の前には、勝利という最大のリターンしか存在しないのでありますぞ!」

(ひひひ…話が早くて助かるぜ、この筋肉馬鹿は…)

 目的は違えど、「最短でのクリア」という一点で利害が一致した二人は、互いに力強く(そして胡散臭く)頷き合うと、燃え盛る炎の扉へと、その一歩を踏み出した。


 ◇


 次に、「氷の紋様の扉」へと向かったのは、光輝魔術師ジーロスと、エルフの弓使いシルフィ。

 美学の化身と、絶対的方向音痴という、相容れないはずの二人だった。

 扉からは、肌を刺すような絶対零度の冷気が漂い、その表面には霜で描かれた複雑な紋様が、まるで生き物のように蠢いている。

「…ノン。この冷気、確かに強力な魔力の現れではあるが、その表現方法があまりに無粋だ」

 ジーロスは、扇子で自らを扇ぎながら、扉のデザインに深い溜息をついた。

 彼の決意は、使命感に満ちていた。

「いいかい、シルフィ。我々の使命は、単にこの試練をクリアすることではない。この醜悪な氷の迷宮を創り出した、レイラとミストという、美的センスの欠片もない二人に、真の芸術とは何かを、我々の戦い方そのもので教えてやることにあるのだ! 我々の歩む道、それ自体が一つの芸術作品となるのだよ!」

 彼は、これから始まる戦いを、野蛮な戦闘行為ではなく、自らの美学を披露するための、最高のパフォーマンスの舞台だと捉えていた。

「は、はい! 芸術なのですね!」

 シルフィは、ジーロスの熱弁の意味を全く理解していなかったが、とりあえず元気よく返事をした。

 彼女の決意は、ジーロスのそれとは比較にならないほど、ささやかで、そして切実だった。

(今度こそ…今度こそ、絶対に迷子になりません…! ジーロス様の足を引っ張らないように、しっかり隣を歩いて、言われた通りにまっすぐ進むのです…!)

 彼女は、ジーロスの豪奢な礼服の袖を、ぎゅっと、両手で強く握りしめた。

 それが、彼女にできる、最大限の決意の表れだった。

 その強い力に、ジーロスは眉をひそめた。

「こら、シルフィ! 僕が丹精込めてデザインしたこのシルクの袖に、皺がつくだろう! そんな猿のように掴まなくとも、僕がそばにいてやる! 僕の完璧なナビゲートがあれば、君のような方向音痴でも、ゴールまでたどり着けるだろうさ!」

「はい! よろしくお願いします!」

(…まあ、このエルフの素朴すぎるドレスと、僕の芸術的なタキシードの組み合わせも、ある種の『美女と野獣』的なコントラストを生み出し、意外な芸術性を醸し出しているかもしれんな…)

 ジーロスは、一人納得すると、胸を張って氷の扉の前に立った。

 美学の暴君と、歩くバグ報告者。

 二人は、互いの思惑が全く噛み合わないまま、白銀の世界へと足を踏み入れた。


 ◇


 そして、最後の一人。

 アイリス・アークライトは、静かに「星の紋様の扉」の前に立っていた。

 扉の向こうからは、炎も、氷も感じられない。

 ただ、まるで宇宙の深淵を覗き込むような、静かで、底知れない魔力の気配だけが漂っていた。

 仲間たちの声が、遠くに聞こえる。

 ギルの雄叫び、テオの金勘定、ジーロスの芸術論、そしてシルフィの能天気な返事。

(…本当に、不思議な人たちです)

 アイリスは、思わず苦笑いを浮かべた。

 皆、あまりに自分勝手で、あまりにマイペースで、そして、あまりに頼もしい。

 彼らがいるから、自分はこの絶望的な状況でも、前に進むことができる。

 彼女の決意は、仲間たちへの信頼と、リーダーとしての責任感に支えられていた。

(私が、この試練を乗り越えなければ、皆を導くことはできない。…必ず、クリアしてみせます)

 彼女が静かに覚悟を固めた、その時だった。

『…おい、新人。いつまで感傷に浸っている』

 脳内に、呆れ返ったノクト()の声が響いた。

『さっさと中に入れ。メインクエストの開始が遅れるだろうが。お前はただのプレイヤーキャラだ。余計なことは考えるな。俺の指示通りに動けば、それでいい』

 その言葉には、相変わらず思いやりも情緒も欠片もなかった。

 だが、その絶対的な自信に満ちた声は、不思議とアイリスの心を落ち着かせた。

(…そうですね。私は、一人ではありません)

 彼女は、星々が渦巻く深淵の扉を、まっすぐに見据えた。

「ええ。分かっています、神様。最高のプレイを、お見せします」

『フン、分かっていればいい』


 アイリスは、仲間たちがそれぞれの扉へと消えていくのを、横目で確認した。

 そして、自らもまた、最後の試練の舞台へと、静かに、そして力強く、その一歩を踏み出した。

 氷と幻が支配する狂気の舞踏会。

 そのクライマックスへと続く、三つの物語が、今、同時に、その幕を開けた。

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