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よくあるワンルームマンション。七階建ての四階。それが優香の部屋だ。玄関の先はキッチン兼廊下で、その先がリビング。今は照明はついていないが、カーテンが開いたままなので、窓越しの街灯でほんのりと明るい。
玄関にへたり込んだまま何分たったのか。数十分のような数分のような。
アレはなんだったのか。幽霊? 妖怪? ひどいケガのように見えたけれど。
はっ⁉ もし幽霊だったらドアをすり抜けてくるんじゃない?
恐ろしいことを思いついてしまった。
ごそ。
すばらしいタイミングでカバンが動いた。
「ひえっ!」
優香は飛び上がった。
「ででで電気! 電気をつけないと!」
すぐそこにスイッチがあるのに、目いっぱい腕を伸ばしても届かない。立とうとしても足に力が入らない。いたずらに手足がバタつくばかりで、一向に立てられそうにない。これが腰が抜けたというヤツか。
このままあの幽霊(?)に憑りつかれて殺さるんだろうか。
「うえぇぇぇー。やだよぅ。死にたくないよぅー」
情けないことにそんな泣き声しか出なかった。ふだん一人暮らしを満喫しているくせに、今日ばかりはそれがが恨めしい。
ごそ。ごそごそ。
再びカバンが動いた。ああ、いよいよ終わりだ。わたしはここで死ぬのだ。せめて遺体が腐る前に発見されたい。シガラキに、おまえのせいだと遺書でも残してやろうかな。
そう思ったときだ。開いたままだった口から黒いぼんぼりが転がり出てきた。
……そうだった。こいつを拾ったんだった。
なんだ。びっくりさせるなよぉ。はあーっと大きく息を吐いた。
正体がわかると、とたんに気が抜けた。よかった。そう思うと腰も立つ。ようやくスイッチを入れた。明るくなると安心する。部屋の中はいつも通り。異常なし。ドアの外もなんの気配もなし。ドアスコープは……。覗いてはいけない。
優香の足に、トスンとなにかが当たった。くろ(便宜上)がぶつかったのだった。なんだか右へ左へよろよろしている。よく見れば、目がぐるぐると渦を巻いていた。
「どうしたの?」
くろは、その場にこてんと倒れてしまった。
「あああー」
優香はあわてて両手で救い上げた。考えてみれば無理もない。頭頂部をつままれ、振り回されながらダッシュされ。それからカバンの中に突っ込まれてまたダッシュされ。洗濯機の中もかくや、というほど翻弄されたのだ。しかも泥だらけ。
「ごめんねぇ」
優香も泥だらけだ。両手でくろを持ったまま、靴を脱ぎ部屋へ上がった。
とりあえず洗おう。廊下に濡れた足跡がつくが、目をつぶろう。カバンもそのままに浴室へ直行した。まずはくろだ。洗面台に栓をしてお湯を溜める。くろを、ちゃぽんと沈める。一瞬でお湯が真っ黒になった。
だろうね。ドロドロだったもの。
ぴりっと掌に痛みが走った。見たら親指の付け根のあたり、手相で言う金星丘に細かい赤い縦じまが走っていた。転んだ時についた擦り傷だ。
あー、ほんとうについてないなー。傷はついたけども(笑)。
はあ、とため息を吐いてお湯を変え、もう一度沈める。お湯が気持ちいいのか、くろは目を細めてだまってぷかぷかと浮いている。「ふぅー」と声が聞こえてきそうだ。
「ハンドソープでいいか」
ふろ場までボディソープを取りに行くのがめんどうだ。しゅこしゅこしゅこっと三プッシュ。もっこりした泡でくろを包み込む。ふんわりとシトラスが匂い立つ。わしゃわしゃわしゃ。あらかじめ泥を落としたおかげか、一度できれいになった。ハンドソープ優秀。
蛇口からお湯をかけて泡を流すと、くろはぷるぷると体を振るわせた。盛大に水が飛び散って、優香は顔をそむけた。犬か猫みたいだ。毛の生えた動物って、みんなそうなんだろうか。そんなことを思いながらタオルで拭くと、くろはニコニコしていた(たぶん)。
「ちょっと待っててね」
くろをソファの上に置いて、今度は優香がシャワーを浴びにふろ場へ行く。脱いだものは洗濯機へ突っ込む。優香の服はほぼファストファッション。洗濯機で丸洗いオーケー。なんて便利。しかも高見え。なんてステキ。
熱いシャワーを浴びて、泥を落としていく。ひざがズキッと痛んだ。両方とも紫に変色していた。思ったより強く打ったらしい。
はあ、もう……。手も痛いし、いつものようにガシガシとは洗えない。はあ。ため息しか出ない。
あの幽霊だか妖怪だかも頭から離れない。目をつぶるのが怖い。後ろが気になる。上も気になる。無駄にきょろきょろする。シャンプーが目に入ったとして、意地でも目は閉じない。
だいじょうぶ。部屋の中だし、鍵もチェーンも掛けた。入ってこない。すり抜けてくるなんて、たぶんない。だいじょうぶ。くろもいるし。
いや、あいつはだいじょうぶなのか? 哺乳類なんだろうか。上がったらへそを探してみるか。
でも、一人じゃないと思うとちょっと安心する。
そそくさとシャワーを浴び終えて、パジャマに着替えた。リビングへ行くとくろはソファの上にちょこんと座っていた。優香を見ると、目が三日月になった。たぶん笑ったのだ。
不覚にもちょっとかわいいと思ってしまった。
ぶお――。
くろにドライヤーをかけてやる。へたれていた毛がふんわりと立ちあがってくる。小さいので三分ほどですっかり乾いた。ブラシをかけてやると、まん丸のふわふわになった。ギャルのキーホルダーみたいだ。
きれいになって、乾かしてもらって気分がいいのか、ソファの上でぴょんぴょんと跳ねている。
ほのかにシトラスが香る。お気に入りの柔軟剤で仕上げたら、さぞやいい匂いだろう。
……コンディショナーか。生き物らしいし。……ペット用? それは後で考えよう。
紐のような脚は、自重に勝てないのかがに股に曲がっている。関節がないのだ。緩くカーブを描いているのがなんともユーモラス。手足の先は、鳥の足のように三股に分かれている。この指(?)で物を掴んだりできるのかな?
自分の髪を乾かしていると、おなかが鳴った。急に空腹感が襲って来た。
どうしよう、何を食べよう。ほんとうはコンビニで買ってくるつもりだったのだ。ドライヤーを片付けながら、冷凍庫や買い置きストックのカゴの中をあさる。作る気なんて元からない。カップラーメンか冷凍食品か。
「カップラーメンでいいか」
やかんを火にかける。それと冷凍のフライドチキンをレンジに入れる。納豆が一パック残っている。消費期限は今日。味噌ラーメンだから、混ぜてしまおう。
ローテーブルに並べる。くろが興味津々に見つめている。
……この子は何を食べるのかな?
ジーッと見つめると、くろがこちらを見た。ニッと笑った。期待に満ち満ちている。絶対、自分も食べる気だよな。しょうがないな。分けてやるか。
そう思ったところで、ふと思った。
「きみは食べちゃいけないものがあるのかな? 玉ねぎとか」
くろは、首をかしげた。首というか体。
「まあ、いっか。猫でも犬でもないしな」
そもそも、この子は何者だろう。
画像検索をしてみるか。スマホのカメラを向けた。くろは目をぱちくりさせてじっとカメラを見ている。
検索の結果はすぐに出た。「まっくろくろすけ」または「すすわたり」
そのまんまじゃないか。優香はスマホを置いた。
小皿にできあがったラーメンを取り分けてやる。フライドチキンもむしってよそってやる。
「くろちゃん、熱いから気をつけてね」
くろは、ケーキ用の小さなフォークをつかむと器用にラーメンをすくった。ケーキフォークでもくろが持つと片手で持つのがやっとな大きさだ。
……ところで口はあるのか?
今さら、そう思ったのだが。
あーん。
大きな口が開いていた。
あー、あったんだ。まあ、よかった。ラーメン食べられるし。
あむっ。ちゅるん。
咀嚼はない。吸い込んでいる。くろは、あっという間にラーメンとフライドチキンをたいらげた。それから優香の顔をジーっと見つめる。物欲しげ。
「……もっと食べる?」
くろはこくんとうなずいて、フォークを持ち上げた。結局優香の分まで全部食べてしまった。以外に大食いだった。
しかたがないので、もう一個カップラーメンを作った。ラス一だ。優しい味が食べたいのに、辛いヤツだし。しかも賞味期限から二週間たっていた。
ギリセーフ。そうそう、二週間くらい誤差のうち。
ほんとうに最悪な一日だった。




