第69話 緋色の妖精たち
「ところで……あなたは、すでに“美の護符”と“慈悲の護符”をお持ちですね? 私の“古い友人”が、あなたに預けているはずです」
赤瀬先生が、唐突に口を開いた。
古い友人――
“黄島早記”のことだったのか。
そして、さっき――
赤瀬先生は“我々”と言った。
2人は、いったいどういう関係なのか。
私は思い切って訊いてみた。
「“黄島早記”という女性から、先日預かりました。赤瀬先生……以前、あなたは“古い友人からの依頼で私たちに協力している”とおっしゃいました。彼女とは、どういった関係なのですか」
赤瀬先生は目を閉じた。
やがて、ゆっくりと口を開く。
「詳しいことは申し上げられません。ただ……あなたが友人から“美の護符”と“慈悲の護符”を受け取っているのであれば――」
赤瀬先生は言いながら、ジャケットの内ポケットに手を伸ばした。
「私が持つ、この“峻厳の護符”を合わせれば、“サタン”をこの世界から切り離し、封印することが可能です」
赤瀬先生が手に持っていたのは、赤の地に金糸の刺繍が施された長方形の護符だった。
私はバッグの中から、“美の護符”と“慈悲の護符”を取り出した。
金糸の模様はまったく同じ。
ただ、それぞれ色が違う。
赤。
黄。
青。
その3色が、無機質な部屋の中で、不思議なほど鮮やかに見えた。
「私の護符だけでは、サタンを止めることはほぼ不可能です。あれは、この約100年の間に、すっかり成熟してしまった。人々の欲望や嫉妬といった負の感情を糧として、力を増しています」
赤瀬先生は一拍置いた。
「今は、サタンを封印する適切な時期を待たなければなりません。時期が来たら、池内さん……あなたと私で、サタンのいる場所へ出向くことになります」
「ちょ、ちょっと待ってください! 池内くん1人だけを、そんな危険な目に遭わせられない。私も、同行できないでしょうか」
「ひ、陽菜も! これでも合気道経験者なんで、足手まといになりませんよ!」
三沢先生と陽菜が、ほぼ同時に声を上げた。
「お気持ちは、大変よくわかります」
赤瀬先生は、静かに頷いた。
「しかし……護符に選ばれた者しか、あれには近づけません。お2人が同行できるのは……あれの住む邸宅の周辺まででしょう」
赤瀬先生の視線が、まっすぐ私へ向けられる。
「池内さんは、私が命に代えてもお守りしましょう。どうか……私に託していただけないでしょうか」
赤瀬先生の鋭くまっすぐな視線と言葉に、三沢先生と陽菜は押し黙った。
しばらくして、三沢先生が口を開く。
「……わかりました。ただし、行けるところまで、同行させてもらいます」
三沢先生の言葉に、陽菜も深く頷いた。
「では、池内さんには、私から追って連絡します。それと――」
赤瀬先生は一度、私たち3人の顔を見渡した。
「明日、陣野先生を訪ねてみてください。例の“彼岸花の絵”について、興味深い発見をなさっている頃と思いますので」
そして、最後にもう一度、私の方へ鋭い眼光が返ってきた。
*
翌日――
赤瀬先生に促された通り、私は三沢先生と陽菜と一緒に、陣野研究室の扉を叩いた。
陣野先生には、三沢先生が事前にアポイントを入れてくれた。
すると陣野先生も驚いた様子で、
「ちょうど、こちらからも連絡しようと思っていました」
と返事をしたらしい。
赤瀬先生は、こうなることを予測していたのだろうか。
「興味深い発見がありましてね」
そう言いながら、陣野先生はテーブルの中央に置いてあるパソコンを起動した。
私たちは、周囲に置かれた椅子に腰を下ろし、パソコンの画面を見つめた。
表示されたのは、城野記念館にある“彼岸花の絵”を撮影した画像だった。
私が三沢先生に送ったものを、三沢先生が陣野先生に提供していたらしい。
「この絵……“決して逆さまにして見てはいけない”と言われていたんですよね? 見てはいけないと言われると、余計に見たくなるのが研究者の性でして――」
陣野先生は飄々と言いながら、パソコンを操作した。
「ただし、逆さまにした画像を直接見るつもりはありません。プログラム上で180度回転させ、必要な色成分だけを抽出した後、輪郭データを元の向きへ戻して表示します」
私も見てはいけないと思いつつ、画面から目が離れなかった。
陽菜も興味を抑えきれない様子だったが、三沢先生に制され、画面から少し距離を取った。
「これに、以前、黄島早記の画像から検出した黄色のノイズと、同じ色域を抽出して強調すると――」
陣野先生がキーボードを叩いた。
絵全体に潜んでいた黄色のノイズ成分が、輪郭として抽出された。
すると――
「あ……」
私たちは、思わず声を漏らした。
額縁まで含めた絵の至るところに、複数の薄い赤みがかった輪郭が浮かび上がった。
それは――
“人の顔”だった。
よく見ると、すべて見覚えがあった。
二階堂玲子。
水城恒。
真壁尚美。
間宮典子。
遠藤美幸。
倉林明日香。
いずれも、生前写真や事件資料、実際に会ったりして目にした顔だった。
さらに目を凝らした。
彼女たちの輪郭の中心部に当たる付近に、それぞれ“妖精”のような形が浮かび上がっていた。
何かを導くように、右腕と左脚を曲げている妖精。
身体を包み込むように羽を曲げ、両腕を上に伸ばした妖精。
右腕を伸ばして身体を逸らし、何かを教えようとする形の妖精。
両腕を身体の前で交差させ、何かを守ろうとしているような妖精。
右腕を身体の前に差し出し、まるで誰かを診察しているかのような妖精。
これらは――
水城恒を除く5体は、記録や写真に残された遺体の姿と一致していた。
ただ、水城恒と思われる妖精だけは、静かに直立している。
白骨体からは、彼女が死の直後にどのような姿勢を取っていたのかを知ることはできない。
私たちは息を呑んだ。
だが、不思議なことがあった。
「顔の輪郭の中に、妖精のような形が見えませんか」
私が指さして尋ねても、3人はそろって首を横に振った。
「そんなものは見えない」
三沢先生が、低い声で答えた。
西嶋千晶さんの言葉が、頭の中で甦ってくる。
やはり、誰にも見えるわけではないようだ。
私は再び、絵の中に浮かんだ6体の妖精たちを見つめた。
彼女たちは――
絵の中に封じ込まれたのだ。
そして長い年月を経た今でも、この絵の中に生き続けているのではないか。
曳野が言っていた「救われる」とは、そういう意味なのだろうか。
曳野だけではない。
三枝由布子も。
そして、九鬼貞一も。
彼らは同じ思想に侵され、誰かを傷つけ、殺すことさえ“救済”だと思い込まされたのではないか。
絵の中に残すことが、永遠の救いになると信じて――
淡い黄色の光を帯びた赤――“緋色”。
その色が、絵の中で生き続けている。
しばらくの間、“緋色の妖精”たちの姿は、しばらく私の網膜に焼き付いて離れなかった。




