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第68話 赤い医師の告白

翌日、曳野庸平が、おりづるタワーでの殺人未遂容疑で逮捕されたという報道が流れた。


警察は、倉林先生と遠藤さんが殺害された2件の事件にも関与したとみて、捜査を進めているという。


曳野は犯行自体は認めているものの、その動機については意味不明な供述を繰り返しているらしい。


そして――


“安斉伊佐夫”の名前は、一切出てこなかった。


私は昭和区の賃貸アパートへ戻ろうかと考えていたが、三沢先生に引き止められた。


曳野を利用したと考えられる、黒幕の安斉伊佐夫。

一連の事件に使用された、謎の追跡型スパイウェアである“オリガ・ストラースチ”。


これらが解決しないうちは、今の避難生活を続けた方が安全だというのが、三沢先生の考えだった。

マンションの借主である陣野先生も、そう言ってくれているらしい。


彼らだけではない。


「池内さん、まだ早まらない方がいいですよ。私、これでもバイト代をしっかり貯め込んでるんで、しばらくバイトしなくても大丈夫ですから」


陽菜までそう言いながら、私の身を案じてくれた。


*


翌週の月曜日――

午前中、いつものように陽菜と一緒に図書館に籠っている時だった。


「池内さん」


不意に、背後から声がかかった。


私が慌てて振り向くと、そこには大学の法医学教室に所属する医師・赤瀬歩矢先生の姿があった。


カーキ色のジャケットに、同じ色のズボン。

ジャケットの内側には、血のように真っ赤なタートルネックのシャツを着ている。


眼鏡のレンズ越しに見える目つきは、相変わらず刃物のような鋭さがあった。


「あ、赤瀬先生……どうして、こちらに?」


「今日は研究日で、必要な書籍を借りに来たんですよ」


よく見ると、右腕には、何冊かの本が抱えられていた。


「ところで――」


赤瀬先生は、さらに鋭い視線を私に送った。


「そろそろ……“時期”が到来したようです」


赤瀬先生は、ポケットから小さく折り畳んだ紙を取り出した。


「本日の午後5時、三沢先生と一緒に、こちらの住所へお越しいただけますか」


赤瀬先生が言い終わると同時に、陽菜がいそいそとこちらへ近づいてきた。


「何の話ですか」


「あっ……陽菜ちゃん。こちら、大学の法医学教室に所属されている、元外科医の赤瀬歩矢先生。今日の夕方、三沢先生と一緒に会う約束をしたの」


「ふーん」


私が言うと、陽菜は赤瀬先生の顔をじろじろ見つめた。


「私も一緒に行っていいですか? 今、池内さんや三沢先生と一緒に行動して、情報を共有してますんで――」


陽菜はそこで、少しだけ顔を赤らめた。


「それに……赤瀬先生、私の超タイプだし」


赤瀬先生は、目を細めて小さく息を吐いた。


最近の若い子は、かなりストレートな物言いをするものだと、私は改めて感心する。


「……まあ、いいでしょう。では、本日の午後5時に……よろしくお願いします」


赤瀬先生はそう言うと、踵を返した。


赤瀬先生の後ろ姿を見送る陽菜の目は、まるで恋する乙女のようだった。


*


午後5時――


指定された場所は、名古屋市中区の雑居ビルの中の一室だった。

私は、三沢先生と陽菜を伴って、その場所を訪れた。


中に招かれた私たちの目に入ったのは、窓ひとつない、グレーのコンクリートで覆われた無機質な空間だった。


部屋の中央に長テーブルが置かれ、すでに4脚の椅子が用意されている。


奥にはノートパソコンが置かれた机と、資料や書籍が収められているスチール製の棚が3つあった。


赤瀬先生に勧められるまま、私たち3人は、彼とテーブルを挟んで座った。


テーブルの上には、いくつかの資料が積み上げられている。


「以前も言いましたが、あなたたちが関わっている事件は、非常に根が深い。事の発端は、100年以上前に遡ります」


私たちは、固唾を呑んで赤瀬先生の言葉に耳を傾けた。


「私の母方の先祖に、“片岡志津”という女医がいました。秀麗女学院の学校医を務める一方、警察医として事件の検視にも関わっていた人物です。彼女は、当時起きた殺人事件の検視に関わり、いくつかの記録を残しています。これが、その資料です」


赤瀬先生は、テーブルに積まれている資料の中から、古い検視記録を私たちの方へ差し出した。


「これは、片岡志津が個人的に残した検視記録の控えと手記です。現場写真も、調査のために焼き増したものだと伝わっています。人目に触れさせるべきではないという判断で、長く保管されてきました」


だから、赤瀬先生が持っていたのか――

私は納得しながら、古い紙に目を落とした。


当時の被害者の名前は、“二階堂玲子”。

秀麗女学院の3回生だったと記録されている。


彼女の生前のものと思われる、セピア色の写真もあった。

頭にリボンを着けた、長い髪の美しい少女だった。


当時の事件現場の写真もある。


私たちは一瞬目を逸らした。

けれど、覚悟を決めて再び目をやる。


まるで――

彼岸花の中に飾られているような遺体だった。


右手と左脚の不自然な角度。

羽のように置かれた彼岸花。


さらに、そこに記されていた所見にも目が留まった。


【花ノ如キ形ニ整ヘラレタリ】


胸の奥が、ひやりと冷える。


これまで資料の中で追ってきた名前が、今、写真と記録を伴って、目の前に現れていた。


「実は、これは表に出ていないことなのですが……この“二階堂玲子”さんの他に、もう1人、同じ人物によって命を奪われたと考えられる女性がいます」


赤瀬先生は、別の資料に手を伸ばした。


「彼女の名は、“水城恒”――当時、秀麗女学院の教師で、片岡志津と親しかった女性です」


赤瀬さんはそう言って、別の資料に挟んであった古いセピア色の写真を見せてくれた。


着物を纏った、清楚な印象の女性だった。


「今から10年ほど前に、広島県の白木山という場所で白骨体が発見されたのですが、私は、あの白骨体が“水城恒”だと確信しています」


白木山――

その言葉を聞いた瞬間、胸の奥で何かが跳ねた。


「片岡志津の記録によれば、彼女は“安斉伊佐夫”という宗教家に接触しようとして、命を奪われたうえ、学院や公的な記録から、名前と存在まで消されたと記されていました」


私の全身を、電気が走り抜けたような感覚が襲った。


白木山の白骨体――

私が、風土史や美術史に強く惹かれるきっかけとなったもの。


そして、宗教家の“安斉伊佐夫”。


やはり、名古屋で発生した2つの事件は、これらと繋がっていたのだ。


「次に、1980年代の事件については、私が独自に集めた新聞記事と捜査資料の写しです」


それから、赤瀬先生は1980年代に起きた星華女子学院に関する資料を見せてくれた。


1980年代の被害者は――


“真壁尚美”という、星華女子学院高等部の2年生。

“間宮典子”という、星華女子学院の社会科教師。


2人とも、遺体のそばに“造花の彼岸花”が置かれていた。


各時代で、事件の実行者、あるいは容疑者として浮かんだ人物は異なる。


九鬼貞一。

三枝由布子。

そして、曳野庸平。


けれど、彼らは全員、直接的あるいは間接的に“安斉伊佐夫” 本人、あるいは彼の残した言葉に触れている。


「“安斉伊佐夫”とは、そもそも何者なのでしょうか」


三沢先生が、低い声を漏らした。


赤瀬先生は、わずかに目を伏せた。

そして、静かに言った。


「“我々”は……便宜上、“サタン”と呼んでいます」


「サタン……」


陽菜が両腕を抱え、身震いしながら呟いた。


その呼び名は、あまりに現実離れしていた。

けれど、これまで見てきたものを思い返すと、笑い飛ばすことなどできなかった。


「その“サタン”は……私たちには、どうすることもできないのでしょうか」


私がそう投げかけた時だった。


「できます」


赤瀬さんの声が、無機質な室内に響いた。

その返答は、思いのほか早かった。


そして――

彼の鋭い目の奥には、不思議と確信めいた光が宿っていた。


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