第65話 文字列の意味
私たちが男に襲撃された後――
私はすぐに玄関に鍵を掛け、警察へ通報した。
その後、三沢先生へ連絡すると、彼も急いで駆けつけてくれた。
「……大変だったな。2人とも、大事に至らなくてよかった」
部屋に到着するなり、三沢先生が私と陽菜の顔を見比べながら、そう言った。
三沢先生の息は上がっていた。
よほど急いで来たのだろう。
「その男の顔……見たのか?」
三沢先生が息を整えながら、再び口を開く。
「若い男で、キャップで顔の上半分は隠れていました。年齢は若かったと思います」
「全身黒い服で、結構痩せ型でした」
私と陽菜はそれぞれ、そう答えた。
その後に駆けつけた警官たちから、私と陽菜は別々に、男の姿や侵入時の状況を詳しく尋ねられた。
男は身元を示す物を何も残していなかった。
ただし、現場には、大量の彼岸花の紙とロープが入ったバッグが残されていた。
それら一式は、証拠品として警察が回収した。
そして少なくとも今夜は警察官が付近を警戒し、その後もしばらく重点的に巡回するという話になった。
警察が帰った後――
時刻は、午後11時を回っていた。
三沢先生はソファに座り込み、重い口を開いた。
「今回の男が、倉林先生と遠藤さんの事件に関わっている可能性は高い。あの彼岸花の紙は、2つの事件との強い共通点になる」
三沢先生は、少しだけ眉を寄せた。
「それに、一瞬照明が落ちたと言っていたね。電気設備と入退館システムを同時に操作したのかもしれない。ただ、住戸の鍵をどう開けたのかは、まだわからない。防犯カメラの記録も消されている可能性があるな……」
「倉林さんのマンションにも、同じ方法で侵入した可能性がありますね。でも……ひとつ気になる点があるんですが――」
私は小さく息を吐き、一拍置いた。
「彼はなぜ、私がここにいることがわかったんでしょう? 倉林先生の住所なら、病院関係のデータから調べられた可能性もあります。でも、この場所は数日前に決まったばかりです。住所録を盗んだだけでは説明できません」
三沢先生は右手を顎に当て、考え込んでいる。
「やっぱり……個人情報が保存されている何かのデータファイルに不正アクセスして、池内さんたちの情報を把握したとか?」
陽菜が、不意に声を出した。
陽菜の言う通り、そうなのだろうか。
すると、三沢先生は顔を上げ、陽菜に向かって言った。
「真田くんの推理も、一理ある。けれど、それだけだと……最初に殺された遠藤さんの件については、依然として疑問が残る形になるんだ」
そうなのだ。
遠藤さんはパトカーの中で、同僚が離れた数分の間に殺されている。
まるで――
彼女の行動を四六時中監視していたかのように。
「いずれにしても、今回の件は陣野先生にも報告して、彼の協力を仰いでみよう。ところで――」
三沢先生は、私の方へ向き直った。
「畑崎さんから受け取った“護符”を見て、男が急に逃げ出したんだって?」
「ええ……そうなんです」
私はテーブルの上に置いた護符に、視線を送った。
天井から落ちる光を受けて、金の刺繍が淡く輝いている。
次の瞬間――
ふと、その横に並んで置いていた、折り畳んだ和紙に目が行った。
私は、それをテーブルの上に広げてみた。
縦に並んだ漢数字が、私たちの視線を奪う。
和紙の上部には、一文字分の空白があった。
その下に「捌」。
さらに一文字分の空白を挟み、八つの数字が縦に並んでいた。
「そういえば……護符の方に気を取られて、こっちの方は全然ノーマークでしたね。考えてみたら、これって何でしょうね?」
陽菜が和紙に視線を落として、口を開いた。
「これは、漢数字の大字だな。“捌”とは“8”のことだよ」
三沢先生が言う。
つまり――
捌
●
●
伍
漆
●
●
陸
玖
それは、
8
●
●
5
7
●
●
6
9
という数字の意味になるらしい。
「これって、目録番号? いや、整理番号? もしかして、年月日の意味とか――」
私は思わず口を開いた。
三沢先生も、陽菜も、首を捻っている。
けれど、しばらくして――
「あれ? これって、もしかすると――」
声を出したのは、陽菜だった。
彼女は和紙に指を当てて、言葉を継ぐ。
「最初の“8”の上と下に、1文字分の空白がありますよね? この和紙、11文字分が等間隔になるように書かれてます。空いているのは、8の前後の2か所だけです」
私は息を呑みながら、陽菜の言葉に耳を傾ける。
「これを“0”って仮定すると、“080●●57●●69”って考えられません? すると――」
「ま、まさか……携帯電話の番号? これって、100年近く前に書かれたものだよ。そんなこと、常識的に考えても――」
私が口を挟むと、三沢先生が声を上げた。
「池内くん……もう僕たちは、常識では考えられないものを、いくつも目にしているじゃないか」
三沢先生の声は、いつになく真剣だった。
「ここまで来ると、もう何が起きても不思議じゃない。僕も、真田くんの推理に同意する。君に託されたものだ。この番号に連絡してみてはどうかな? どうも……誰かが、そうしてくれるのを待っている気がするんだ」
三沢先生の言葉が、胸に突き刺さった。
私は念のため三沢先生のスマホを借り、発信者番号を非通知に設定した。
そしてテーブルに置き、スピーカー機能をオンにした。
通話相手の声を、三沢先生と陽菜にも聞いてもらうためだった。
私は、和紙から読み取った11桁の数字を、ひとつずつ入力した。
ぷるるるる……。
呼び出し音が鳴った。
繋がる番号だ。
いや――繋がってしまう番号だった。
そして数コールが鳴った後――
「お待ちしておりました……池内茜さん」
高く澄んだ女性の声だった。
まず驚いたのは、相手が私の名前を知っていることだった。
相手の声が聞こえている三沢先生と陽菜も、大きく目を見開いている。
「あ、あの……どうして、私の名前をご存知なのですか? あ、あなたは、いったい――」
自分の声が、微かに震えていた。
「今は……詳しいことを申し上げられません。ですが……あなたにお渡ししたいものがあるのです」
女性の声は、静かだった。
「明後日の午前11時に、原爆ドームを望む“おりづるタワー”の屋上展望台までお越しください。本来ならば、私の方からあなたの元へ出向きたいのですが、深い事情があり、それは叶いません」
原爆ドーム。
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥が小さく揺れた。
広島で生まれ育った私にとって、それが見える場所は、ただの待ち合わせ場所ではなかった。
「わかりました。では、そこでなら……あなたとお会いできるのですね。ところで、渡したいものとは?」
「こちらも……お会いできた時に。どうか……必ずお越しください」
その言葉を最後に、通話が切れた。
「池内さん――」
不意に陽菜が、神妙な表情で声を出した。
「この人の声……聞き覚えがあります。特徴のある高い声……美容系インフルエンサーの“黄島早記”――あの人の動画で聞いた声にそっくりです」
私の心臓が、早鐘のように脈打ち始めた。
薄々、そんな予感はしていた。
100年近く前から、彼女は今の私へ繋がる道を用意していたのだ。
「池内くん……行くつもりなのか? その“黄島早記”という女性は、敵か、味方か、今のところは未知数だぞ」
三沢先生の気持ちも、嫌というほどよく理解できる。
けれど――
“黄島早記”という人物は、少なくとも敵ではない気がした。
彼女が預けたと思われる“黄色の護符”を見た途端、襲撃者が怯えて逃げたという事実もある。
そして不思議なことに――
どうしても彼女に会いに行かなければならないという衝動に駆られていた。




