第63話 黄色の護符
その後も、私たちは夢中で資料を読み進めた。
今まで封じられていた過去が、自分たちの目の前に現れていく。
先ほどまで胸の中にあった恐怖や不安は、少しずつ薄れていた。
代わりに、それまで追っていた謎が、ひとつひとつ形をなし始めていた。
そのことへの高揚が、身体の奥から湧き上がっていた。
1920年代。
1980年代。
私が生まれるずっと前の出来事が、まさに現在へと繋がっている。
そう思うと、震えに近い興奮を覚えた。
応接室の時計が、優雅なメロディーを奏でた。
目をやると、時刻は午後5時を指していた。
2時間以上もの間、私たちは資料に目を通していたことになる。
「池内さま」
正面に座っている畑崎さんが、沈黙を破って口を開いた。
そして、羽織っている黒のジャケットの内ポケットへ手を伸ばす。
そこから、古い封書のようなものを取り出し、私の前へ差し出した。
ずいぶんと年季が入った紙の封書だった。
糊付けされた部分には、“城野源太郎”と読める角印で割印が押されていた。
紙はわずかに黄ばんでいたが、保存状態は驚くほどよかった。
「こちらは城野先生から、“封印された箱を開き、その中身を恐れず読み進めた人物が現れたら渡すように”と仰せつかっていたものでございます。池内さま……どうぞお受け取りください」
私は、その封書を手に取った。
中には、何か長方形のものが入っている感触があった。
「あの……こちらは開けてみても?」
畑崎さんは大きく頷いた。
そして、奥の引き出しから鋏を取り出し、それを手渡してくれた。
私は、割印を傷つけないよう、反対側の端へ鋏を入れた。
紙の繊維が、鋏の刃に沿って静かに裂けた。
中から出てきたのは――
黄色の地に、複雑な金の刺繍が施された長方形の護符だった。
それを手にした瞬間――
私の眼前の空間に、黄色い羽のようなものが見えた気がした。
けれど、それはほんの一瞬の出来事だった。
瞬きをした時には、もう何も見えない。
もしかすると、ただの幻覚だったのかもしれない。
さらに、きれいに折り畳まれた和紙が入っていた。
私は、それを広げてみる。
すると――
まず中央上部に、大きく“捌”と書かれていた。
その下には、1文字分の空白を挟み、やや小さな文字で同じように筆書きされた8つの漢数字が、縦に並んでいる。
●
●
伍
漆
●
●
陸
玖
――意味がわからなかった。
両隣から覗き込んでいる三沢先生も、陽菜も、首を傾げている。
けれど、この護符と一緒に収められていたということは、きっと意味があるものに違いない。
「私が生きているうちに、その中身を目にする日が来るとは思っておりませんでした」
畑崎さんは言いながら、目を細めて微笑んだ。
「池内さま……池内さまのお覚悟に、感服いたしました」
私は思わず尋ねた。
「こちらは……どういった由来の品なのでしょうか」
「城野先生の祖父――“城野源太郎”さまが、訪問を受けた女性から預かったものだと聞いております」
畑崎さんが、落ち着いた口調で話を続ける。
「その際に、城野先生の代に黄島早記が現れることも、そのさらに先に、箱を開く人物が現れることも予見していたのでしょう……実に不思議な話でございますね」
畑崎さんは、再び城野賢志の肖像画へ目をやった。
肖像画の中の彼の視線は、どこか穏やかな光を宿しているように感じた。
*
城野記念館を出た後――
私と陽菜は、三沢先生から少し早い夕食をご馳走になった。
城野記念館では資料の持ち出しができない。
そのため、畑崎さんの許可を得て、必要な資料を撮影し、要点をメモに残した。
その中で、私はひとつだけ気になっていることがあった。
黄島早記は、1920年代、1980年代、そして現在と、彼岸花に纏わる事件が発生する前後に姿を現している。
安斉伊佐夫は、1920年代には宗教家として現れ、現在は心理セラピストとしての肩書を持っている。
けれど――
1980年代だけは、安斉伊佐夫という名が、どの記録にも残っていなかった。
その疑問を、三沢先生にぶつけてみた。
「……たしかに妙な話だな。彼が一連の事件に関わっている可能性は高いが、1980年代の事件では、実行犯にどのような形で影響したんだろうね」
三沢先生は箸を止め、考え込むように口を開いた。
「池内さん、そういえば大阪で、その当時の関係者に話を訊いてますよね? もう一度その人に訊いてみたら、何かわかるかも……ですよ」
陽菜がハイボールを一口飲んで、そう言った。
たしかに――
西嶋千晶さんなら、その当時のことを何か知っているかもしれない。
私はすぐにスマホを取り出すと、西嶋さん宛てのメールを打った。
《その節は、大変お世話になりました。おかげさまで、研究は順調に進んでおります。ところで、西嶋さんが星華女子学院に在籍されていた頃、“安斉伊佐夫”という名をお聞きになったことはないでしょうか》
*
その日の夜だった。
西嶋さんから、私のスマホに電話がかかってきた。
「夜分に、申し訳ありません。メールではなく、直接お話しした方がよいかと思いまして」
通話口の西嶋さんの声には、どこか興奮を帯びているように感じられた。
「私……思い出したんです。私を殺そうとした“三枝”という先生が、私の目の前で突然倒れ、そのまま亡くなったのです。その死の間際に、彼女が口にした言葉を――」
「そ、それは?」
私は、スマホを持つ手が震えているのがわかった。
「たしか、“あ……ざ……さま”と聞こえた気がします。今思えば、“安斉さま”と言おうとしていたのかもしれません」
背中を、冷たいものが這い上がってきた。
三枝由布子は、この箱の中身と同じ系統の資料を、1人で読んでいた可能性が高い。
彼女は、安斉と直接会っていたとは限らない。
直接会っていなくても、資料に残された言葉を通じて侵食されていったのではないか。
私は“安斉伊佐夫”という人物の底の知れない恐ろしさを、改めて思い知らされた。




