第60話 黄と青の邂逅
池内茜が名古屋で彼岸花の画像を受け取ってから、数時間後――
福岡市の西公園参道にある教会の入口には、大きな縦幕が飾られていた。
そこには、こう書かれていた。
【人を許すということ】
――講師 司祭・青山功貴――
この日の福岡は、早春の陽気に包まれていた。
教会の中では、1人の男性が、ほぼ満席の聴衆を相手に講話をしている。
黒いキャソックを纏った長身の男性。
両目は青く、シルバーの長髪を後ろで結んでいた。
聴衆は、幼稚園児くらいの子どもたちと、その保護者だった。
彼の低い声は、礼拝堂の中でよく通る。
誰もが真剣に、彼の話に耳を傾けていた。
30分ほどの講話が終わったのは、午後2時少し前だった。
男性は教会の入口で、年配のシスターと一緒に、帰っていく聴衆たちを笑顔で見送る。
「青山神父。今日の講話は大変素晴らしかったですよ。皆さん、とても満足されていました。教会の付属幼稚園の子どもたちの情操教育の一環として、あなたにお願いしたのは正解でした」
聴衆たちの背を見ながら、ふとシスターが口を開いた。
“青山”と呼ばれた男は、正面を向いたまま、
「恐れ入ります」
と短く答えた。
「本当にお疲れさまでした。では、今日のところは、これで――」
シスターがそう言って、教会の扉を施錠しようとした時だった。
「お待ちください」
青山が、静かに声を出した。
「実は、もうしばらくして、私の“古い友人”がこちらを訪ねてきます。よろしければ、それまでこちらを使用させていただけませんか」
「あら? そういうことでしたら、鍵をお預けします。どうぞ、ゆっくりその方を迎えてあげてください」
シスターは微笑みながら、鍵を青山に手渡した。
「ありがとうございます」
青山はそう言って、シスターに頭を下げた。
「では、私はこれで――」
言いながら去っていくシスターの後ろ姿を見送りながら、青山はもう一度だけ深く頭を下げた。
*
同じ頃――
博多駅の構内を歩いている女性の姿があった。
黒い帽子。
サングラス。
黄色の地に花柄のブラウス。
同じ黄色の短めのスカート。
右脇に、小さなベージュのバッグを抱えている。
甘い香水の香りが、彼女の通り過ぎた後にふわりと残った。
すれ違った人々の大半が、その女性の妖艶な姿を振り返った。
女性は博多駅博多口でタクシーを拾うと、運転手に短く告げた。
「西公園参道のP教会までお願いします」
*
女性が教会に到着すると、建物の入口に青山が佇んでいた。
女性はゆっくりと、その方向へ歩み寄った。
そして青山の前で立ち止まると、静かに呼びかけた。
「お久しぶりです。“ケセド”――」
女性は、青山を“ケセド”という名で呼んだ。
「お待ちしておりました。さあ、中へ――」
青山――ケセドが案内したのは、教会の奥にある小部屋だった。
大きなテーブルを挟んで、女性とケセドは向かい合って座る。
光沢のある木製のテーブルには、ステンドグラスを通した日の光が、鮮やかに反射していた。
女性は、帽子とサングラスを外した。
長い金髪が、一瞬ふわっと宙を舞う。
左の瞳だけが、真夏に咲く向日葵のような黄色だった。
一方、ケセドは右手の親指と人差し指を右目に触れさせる。
そして、青いカラーコンタクトレンズを外した。
露わになったのは、ダークブラウンの瞳。
右目はダークブラウン。
左目は青。
「それにしても、わざわざお越しになるとは、よほどの事態なのですね」
ケセドは、静かに言った。
「お話を伺いますよ、“ティファレト”――」
ケセドは、その女性を“ティファレト”と呼んだ。
「……はい。用件は2つあります。まず1つは――」
ティファレトの左目の黄色い虹彩が、ケセドの顔を射抜く。
「このおよそ100年の間、人々の記憶や記録に、私の存在が残り続けています。やはり……“殻”が今も存在し続けている影響でしょうか? ケセド……あなたの考えを聞かせてください」
「……なるほど」
ケセドは、ティファレトの顔を窺いながら、淡々と口にした。
「それは、ほぼ間違いないと思います。我々が人々の記憶から消えるためには、自らと結びついた“殻”を排除するか、あるいは封印するか……そのどちらかが必要なのでしょうね」
「そうすると……やはり、“殻”をどうにかする必要がありますね」
ティファレトは目を細め、天井を仰ぎながら口にする。
「“殻”の目星はついているのですか」
「……ええ。そこで、もう1つの用件ですが――」
ケセドの問いに、ティファレトが続けた。
「あなたの“慈悲の護符”を、私に預けてもらえないでしょうか」
その言葉が出た瞬間、ケセドはわずかに首を傾げた。
「あなたの“美の護符”は、どちらに?」
「あれは……すでに名古屋の“しかるべき場所”に預けてあります。間もなく、“あの人”がそれを手にするでしょう」
「なるほど」
ケセドは、少しだけ視線を伏せた。
「おそらく……あなたが長年に亘って追っている“殻”は厄介です。もはや、慈悲だけでは封じられません。ですが、慈悲なしには封じてはならないものです」
そこで、ケセドは一拍置いた。
「そうなると――“ゲブラ”の力も必要になるでしょう。彼は……まだ遠いのですか」
「いいえ。もう名古屋にいます」
ティファレトの言葉に、ケセドは大きく頷いた。
そして立ち上がると、奥にあるクローゼットへ向かう。
そこから取り出したものを、ティファレトの前に差し出した。
それは、青い地に金の刺繍が施された長方形の護符だった。
「これを…… “例の女性”に渡すのですね」
ケセドが訊く。
「ええ……“あの人”が私に辿り着いた時に」
ティファレトは、渡された護符を見つめたまま答えた。
そして、ケセドから受け取った護符を、ベージュのバッグの中にしまった。
それから、ステンドグラスの向こう、名古屋のある方角へ視線を向けた。
「“あの人”は、もう私を探しています。けれど次に会う時は、私が“あの人”を待つ番です」
教会のステンドグラスに、黄と青の光が重なった。
その一瞬だけ、遠い名古屋の方角に、赤い花の影が揺れた気がした。




