第56話 倉林の部屋
私は地下鉄を乗り継いで名古屋駅へ出ると、近鉄に乗り換え、中村区にある倉林先生のマンションまで急いだ。
三沢先生は、同じ中村区にある別の大学へ出張講義に行っていたらしい。
マンションのエントランス前で待ち合わせることになった。
途中、三沢先生からメッセージが転送されてきた。
倉林先生が、昨夜最後に三沢先生へ送ってきたというメッセージだ。
そこには――
《花の奥に、誰かがいます》
あまりにも不可解な、短い一文が書かれていた。
倉林先生は、遠藤美幸さんと同じように、彼岸花の画像が送られてきたことで、遠藤美幸さんと同じような異変に陥っているのではないか――
そう思うしかなかった。
私の心臓は、どくん、どくんと鈍く脈打っていた。
その音が、混雑した車両の中でも、はっきりと耳の奥まで聞こえてきた。
大学から倉林先生のマンションまでは、1時間弱。
気がつけば、最寄りの黄金駅に到着していた。
マンションのエントランス前には、落ち着きなく行き来している三沢先生の姿があった。
「三沢先生」
私が声をかけると、三沢先生の方から駆け寄ってきた。
「急にすまなかったな。何度もインターフォンを押したんだが、返事はない。スマホへ電話をかけても繋がらない。メッセージにも既読がつかない。困ったぞ、これは……」
三沢先生の顔は、今まで見たことがないくらい強張っていた。
「それに……このマンションはオートロックだから、倉林先生に中からロックを解除してもらわないと入れない」
三沢先生は目を細め、建物を見上げた。
「やはり、先に警察に連絡してみては?」
私は、そう促してみた。
「僕もそう思って、ついさっき警察にも連絡したが……まずは管理人と救急隊による安否確認を行うことになったんだ」
三沢先生の表情は、苦々しく歪んでいた。
元警察官だけあって、その辺りの事情には明るいはずだ。
数分後――
管理会社から連絡を受けたと思われる、右腕に会社の腕章を付けた年配の男性の管理人が、エントランスへ向かっていく姿が見えた。
三沢先生は管理人を呼び止めて事情を話し、倉林先生の部屋まで同行してもらうことにした。
*
私たちは管理人を伴ってエレベーターで5階まで上がり、506号室の扉の前に立った。
三沢先生が、何度かインターフォンを押してみる。
けれど、応答はない。
「もしかしたら、部屋にいらっしゃらないのかもしれませんね」
管理人がそう言いながら、念のため玄関扉のレバーハンドルに手をかけた。
その瞬間――
かちゃ……。
静かな廊下に音が響き、レバーハンドルが下がった。
「おや? 開いてますね……」
管理人は目を丸くして、隣にいる三沢先生と私へ視線を移した。
三沢先生の喉仏が、一度だけ大きく動いた。
管理人が、スマホで管理会社と消防へ状況を伝えた。
「救急隊が到着するまで、呼びかけながら中を確認してくださいとのことです」
管理人の言葉に、三沢先生は静かに頷いて、口を開いた。
「……入ってみましょう」
三沢先生は、いったん私を後ろへ下がらせると、管理人と一緒に慎重に部屋の中へ踏み入れた。
「倉林先生! N大学の三沢です! いらっしゃいますか」
三沢先生は部屋の奥へ向かって、大声で呼びかけた。
やはり、返事はなかった。
玄関脇の靴棚には、靴が整然と並べられていた。
管理人には玄関で救急隊を待ってもらい、三沢先生と私は、できるだけ何にも触れないよう注意しながら室内へ入った。
そして、ゆっくりと、リビングへ続く正面のドアを開けた。
先日案内された広いリビングだった。
窓には薄いレースのカーテンが掛けられたままで、室内は薄暗かった。
そこに人の気配はなかった。
ふと、私は対面キッチンの奥にある、半開きの扉の隙間から、光が漏れているのに気づいた。
「三沢先生……あそこ」
私はその方向を指さしながら、三沢先生に言った。
「倉林先生!」
三沢先生は、もう一度大きく声を出した。
今回も、返事はなかった。
私たちは薄暗い室内を、光の漏れる扉へ向かってゆっくりと進んだ。
足音が、やけに大きく聞こえた。
そして――
三沢先生が、ドアをゆっくりと開いた。
「あっ!」
ドアの向こうの光景が目に入った瞬間、私も三沢先生も、ほぼ同時に声を上げた。
薄い部屋着姿の倉林先生が、仰向けに倒れていた。
しかも――
その周囲には、遠藤美幸さんの遺体の周囲にあったものと同じ、彼岸花をプリントした紙が、所狭しと散らばっていた。
大きく見開いた目。
半開きの口。
そのどちらも、ぴくりとも動かない。
呼びかけにも反応せず、呼吸をしているようにも見えなかった。
頭部周辺の床は、赤黒く染まっていた。
そして、いちばん異様だったのは、その姿だった。
倉林先生の右肘は床につき、前腕は折り重なった紙に支えられるように持ち上がっていた。
手首は軽く曲がっている。
それは、まるで――
曲げられた指先が、床に散らばる彼岸花の奥を探ろうとしているように見えた。




