第51話 送信された画像
陣野研究室からの帰り際――
「このデータの取り扱いには、十分ご注意ください」
陣野先生が、三沢先生にUSBメモリを手渡した。
その口調は、いつもより重々しかった。
研究者としての好奇心よりも、慎重さの方が前に出ているように思えた。
陣野先生の研究室を出ると、三沢先生が前を向いたまま口を開いた。
「池内くん。今度は僕の研究室に行こうか」
その瞬間、私の頭の中に浮かんだものがあった。
先ほど陣野先生から受け取ったものは、女性警官殺人事件に関する資料ではないのか。
工学部の研究棟を出る。
外は相変わらず冷え込んでいた。
けれど、雲の隙間からは、ところどころ青空が覗いていた。
文学部の研究棟は、大学の本館を挟んだ反対側にある。
溶けずに残っている雪を踏みしめながら、大学の敷地を歩いていると――
「あっ……三沢先生に、池内さん」
ちょうど図書館の前を通りかかった時、学部生の真田陽菜に出くわした。
普段と違い、厚手のジャンパーにズボン姿だった。
肌の露出も控えめで、顔には大きなマスクをつけている。
「あれ? 陽菜ちゃん、体調でも悪いの?」
私は思わず尋ねた。
「ちょっと風邪引いちゃったっぽいんですけど、図書館に本を返しに来ただけなので、大丈夫です。ところで……お2人で何してるんですか」
陽菜は、マスクの上から覗く両目をぎらぎらと輝かせた。
私と三沢先生へ、交互に視線を向けてくる。
もう、何かを察知したような目だった。
「ちょうどよかった。真田くんも、今から僕の研究室に来なさい」
三沢先生が、薄い笑みを浮かべながら言った。
「はーい。何かわからないけど……了解です!」
陽菜はいつもの敬礼ポーズで答える。
三沢先生の研究室へ向かう道中、私は陽菜にこれまでの経緯を簡単に話した。
黄島早記という同姓同名の女性が、100年前、40年前、そして現在に現れていること。
3時代の顔画像を解析した結果、顔貌類似度が99.9%と判定されたこと。
さらに、その画像の周囲に黄色いノイズのようなものが出ていたこと。
「へえ」とか「ウソ?」とか、陽菜はいちいち大袈裟な反応を返した。
わざとらしいと感じないこともない。
けれど、その様子がかえってかわいらしくもあった。
*
三沢先生は研究室に到着するなり、奥の机にあるパソコンを起動した。
私と陽菜には、折り畳み式の椅子を勧めた。
室内は相変わらず雑然としていた。
本の山。
書類の束。
どこから持ってきたのかわからない段ボール。
陣野先生の研究室を見習ってもらいたいくらいだ。
私たちは書類や荷物の山を少しだけ移動させ、小さなスペースを確保した。
ようやく折り畳み式の椅子を開く。
2畳ほどの狭い空間に、3人が肩を寄せ合うように腰を下ろした。
三沢先生がパソコン本体に陣野先生から受け取ったUSBメモリを差し込んだ。
中のファイルをクリックすると、画像が表示された。
それは――
真っ黒な背景に、赤く浮かぶ彼岸花の画像だった。
私は息を呑んだ。
黒の中に浮かぶ赤は、ひどく鮮やかだった。
花弁の先が、細い血管のようにも見える。
先日殺された女性警官のそばに置かれていた、彼岸花の印刷画像とまったく同じものだった。
「こ、これって……もしかして」
私は思わず声を漏らした。
「遠藤美幸さんのスマホに送られてきた画像だ。陣野先生が、県警の許可を得て作成した解析用データの入ったUSBメモリを、僕に渡してくれたんだよ」
三沢先生が、画面から目を離さずに答えた。
やはり、そうだった。
遺体のそばに置かれていたプリント画像。
それと同じものが、あらかじめ被害者のスマホに送られてきていたということになる。
「これは捜査一課の後輩から聞いた話なんだが――」
三沢先生は小さく息を吐き、一拍置いた。
「池内くんには以前話したと思うが、この画像が送られてきたのは、殺害されるおよそ1週間前らしい。彼女は画像を受け取って以降、時々おかしな言動をするようになったそうだ」
「おかしな言動?」
私は、三沢先生の顔を横目に見た。
「赤いものが道路の向こうに立っている、とか。信号の向こうに赤い服を着た女が見える、とか。親しかった同僚の証言によると、どれも要領を得ない話ばかりだったらしい」
被害者の遠藤美幸は、幻覚を見ていたということだろうか。
赤いもの。
赤い服の女。
そして、送られてきた赤い彼岸花の画像。
私は、自分が絵の中に“妖精”の姿を見た時のことを思い出した。
あれも、他人から見れば幻覚だったのかもしれない。
そう考えると、遠藤美幸の異変が、他人事とは思えなくなった。
背中に、薄く汗が滲んだ。
「でも、それって……あの女性警官がおかしくなっちゃったってことですよね? この画像が送られてきたのがきっかけなのかは、わからないけど」
陽菜が、いつになく低い声で口を挟んだ。
マスク越しでも、表情が強張っているのがわかった。
「その通りだ」
三沢先生は頷いた。
「だから、“赤瀬先生”に専門家を紹介してもらうことにした。彼の話では、同じ大学病院に、若くて優秀な精神科医がいるらしい。それに、後輩の話によると……遠藤美幸さんの遺品から、その医師の診察を受けたことがわかる予約票が見つかったらしい」
私は、呼吸が浅くなるのを感じた。
女性警官に送られた画像。
その後の異常な言動。
心療内科の診察。
そして、彼岸花がプリントされた紙に囲まれた死。
ひとつひとつの出来事が、細い糸で結ばれていくようだった。
けれど、その糸の先に何があるのかは、まだ見えない。
三沢先生は、回転式の椅子をくるりと回した。
ようやく私と陽菜の方へ向き直った。
その表情は、いつになく真剣だった。
「アポが取れたら連絡する。我々は遠藤美幸さんの遺体を発見して、図らずも事件に巻き込まれた人間だ。僕たちにどこまで調べられるかは、正直なところわからない。けれど……自分たちの手でできる限りのことはやろうじゃないか」
三沢先生の少し高い声が、雑然とした研究室に響いた。
パソコンの画面の中では、黒い背景に浮かぶ赤い彼岸花が、じっとこちらを見つめているようだった。




