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第45話 湧き上がる謎

翌日の午前中――


私がいつものように図書館に籠り、書籍や資料に目を通している時だった。


ぶるっ。


ブース内の机の隅に置いていたスマホが、短く震えた。


メッセージだ。


《今、図書館の前のベンチに来ている。会えるか?》


三沢先生からだった。


私が図書館に籠っていることは、明らかにお見通しだったらしい。


私は書籍や資料の類を机に置いたまま、バッグだけを持って図書館の外に出た。


左側の大木の下にあるベンチの1つに、三沢先生が座っているのが見えた。


三沢先生は私の姿を認めると、いつもの屈託のない笑みを浮かべて右手を挙げた。


「どうしたんですか? 急に――」


私は小走りで近づき、そう尋ねた。


「研究テーマの選定に苦労してるんじゃないか? ほら、差し入れだ」


ベンチの隣に腰を下ろした私に、三沢先生はホットの缶コーヒーを手渡した。


外の気温が低いだけに、缶コーヒーの温かさが指先に触れた瞬間、ほんの少しだけ気持ちが落ち着いた。


けれど、単に缶コーヒーを差し入れるためだけに、わざわざ私を呼んだのではないはずだ。

そう薄々感じていた。


私は缶コーヒーのプルタブを開け、ブラックコーヒーの苦みを味わった。

その苦みで、朝から続いていた気怠さが少し薄らいだ。


「実はね……“陣野(じんの)先生”から面白い話を聞いたよ」


陣野渉(わたる)先生――

同じ大学の工学部の准教授だ。

専門は、たしか“画像解析”だったはず。


陣野先生は三沢先生より少し年下だが、研究者としてのキャリアはずっと長い。


私も学内のイベントなどで、彼と何度か顔を合わせたことがある。


「陣野先生は……どうやら先日発生した女性警官の殺人事件で、協力依頼を受けているらしいよ」


三沢先生は周囲を警戒しながら、声を潜めて話した。


「さっき、僕の研究資料の画像解析をお願いしようと、彼の研究室を訪ねた時に聞いたんだ。そこで、こっそり教えてくれたよ――」


そして、さらに声を落とした。

私の方へ顔を近づけて、囁くように続ける。


「殺された女性警官の周囲に、彼岸花がプリントされた紙が散乱していただろ? どうも同じような画像データが、殺害される1週間ほど前に、彼女のスマホへ送られてきていたみたいなんだ。警察は、現場に残された紙と、スマホへ送られた画像が、同じデータから作られたものか調べているらしい」


私は三沢先生の方へ向き直り、思わず目を見開いた。


プリントされた紙だけではない。

画像まで送られていたということか。


あまりにも異様だった。

犯人は、何か儀式めいたことをやろうとしているのか。


まるで――


10年前に白木山で発見された、あの白骨体の事件のように。


さらに、私は思い出した。


一昨日、城野記念館で撮影した画像のいくつか――


40年以上前に、広島市の星華女子学院の生徒と教師が犠牲になった事件。

その記事には、遺体の周囲に“彼岸花の造花”が置かれていたという記述があった。


彼岸花に似た植物。

彼岸花の造花。

彼岸花をプリントした紙。

そして、スマホへ送られた彼岸花の画像。


これらの事件は、場所も時代も明らかに違う。


それでも、とても無関係とは思えなかった。


しばらくして、私が再び正面を向くと、1人の男性が図書館へ向かう姿が見えた。


長身で痩せ形の男性だった。

カーキ色のロングコートを、風になびかせながら歩いている。


不意に、三沢先生が大きな声で呼びかけた。


「赤瀬(あかせ)先生」


三沢先生が“赤瀬先生”と呼んだ男性は、声に気づくと立ち止まり、ゆっくりとこちらを振り向いた。


次の瞬間、三沢先生は私を促し、その男性のそばまで連れていった。


「池内くん、紹介するよ。彼は大学の法医学教室に勤める医師の“赤瀬歩矢(ふみや)”先生だ。以前は、外科医もされていてね。去年着任されたばかりの先生だが、腕は抜群でね。ほら、去年の秋に、僕は左脚を骨折しただろ? その時にお世話になったんだ」


赤瀬歩矢。


その名前を耳にした途端、理由はわからないが、心臓の音が一段跳ねた気がした。


色白の顔に、縁のない眼鏡。

薄いレンズの奥から覗く、二重瞼の切れ長の目。


そこから放たれる眼光は、どこか鋭かった。


整髪料で後ろへ流した髪が、顔立ちの冷たさをいっそう際立たせている。


「お久しぶりです、三沢先生。お元気そうで何よりです」


赤瀬先生は三沢先生にそう言った後、私の方へ顔を向けた。


「はじめまして。赤瀬と申します」


丁寧に頭を下げてくれる。


柔和な態度と言葉遣い。

けれど、その奥には微かな冷たさが含まれているようにも感じた。


「ところで、今日は図書館に行かれるのですか」


三沢先生が尋ねた。


「ええ。今日は久しぶりの非番ですので、専門書に目を通しておこうと思いまして」


「そういえば……今回の女性警官の事件も、赤瀬先生が担当されるとか――」


三沢先生は、今でも警察関係者との“コネ”がある。

そこで得た情報なのだろう。


三沢先生の言葉を聞いた瞬間、赤瀬先生の眉がわずかに動いた。


「おやおや……よくご存知ですね。さすが三沢先生だ。ですが、現時点でお話しできることは限られています。いずれ、また――」


赤瀬先生は薄い笑みを浮かべてそう言うと、軽く頭を下げ、図書館の中へ姿を消した。


*


その後――


私は三沢先生から昼食に誘われた。


大学近くのファミレスで、テーブルを挟んで向き合う。


三沢先生は、お決まりの“和風ハンバーグ定食”だった。

私は昨夜イタリアンだったので、今回は“焼き魚定食”にした。


料理が到着するのを待っている間、私は口を開いた。


「それにしても、先生の“コネ”はすごいですね。いったい、どこまで掴んでいるんですか」


三沢先生は涼しい顔で答えた。


「だいたいの捜査内容は、耳に入ってるよ。昔世話をした後輩が、県警本部の捜査一課にいるんでね。まあ……不用意に口外しないよう念を押されているけど、現場に居合わせた君には、共有しておいた方がいいと思ってね」


料理はすぐに運ばれてきたが、味はそれなりだった。


私は箸で焼き魚の身をほぐしながら、再び口を開いた。


「実は、明日にでも……実家への帰省も兼ねて、広島に行ってみようと思います」


三沢先生はナイフとフォークでハンバーグを切り分けながら、


「何で?」


と疑問を口にした。


「昨日、陽菜ちゃんから聞いたんですけど、今、若い子たちの間で“黄島早記”というインフルエンサーが有名らしいんです」


「その名前……たしか星華女子学院の卒業生の日記に書いてあったな。何でも、同姓同名の人物が40年前と、そのずっと前にも存在していたとか」


三沢先生はハンバーグを切り分ける手を止め、私の顔を見ながら言った。


「そうなんです。しかも、現在の黄島早記も、広島市に在住しているらしいんです。たぶん、彼女を探し出して直接会うのは難しいと思います。でも、40年前の黄島早記は県の外郭団体に所属していたらしいですから、県庁か、歴史研究所の後継機関を調べれば、在籍記録が残っているんじゃないかと思って」


私には、博士論文のテーマを決めなければならない時期が迫っていた。


けれど――


“黄島早記”という存在が、頭の中から離れない。


単純な好奇心でもあった。

だが、それだけではない気がした。


「やってみるといい。一見すると寄り道のようでも、思わぬ発見に繋がることだってある。もしかしたら……君の博士論文のテーマに、大きく貢献してくれるかもしれない。無駄な寄り道だと思わなくていい。研究者は試行錯誤しながら、ひとつの真実に辿り着くものなんだよ」


その言葉に、私は胸が熱くなった。


三沢先生は、言ったそばから照れ臭くなったのか、すました顔でハンバーグを頬張り始める。


けれど、口の中のものを飲み込むと、再び口を開いた。


「それと……君が撮影した彼岸花の絵……僕のアドレスに転送してくれるかい」


そして、テーブルの脇に置かれたグラスの水を一気に飲み干すと、続けた。


「僕の研究室のホームページに載せて、描いた人物の情報を募ってみよう。畑崎さんの許可も取ってある。君は、その絵も気になってるんだろう? 並行して進めようじゃないか」


三沢先生は、私の心を正確に見抜いていた。

6年近くの付き合いとはいえ、やはりすごい洞察力だと感じた。


「よろしくお願いします」


私はそう言って、少し深く頭を下げた。


次から次に湧き上がる謎。

それを、私は三沢先生と協力して調査していくのだ。


研究者として、これ以上の喜びはない――

そう思った。


けれど同時に――


その謎の底から、こちらを見上げている何かがあるような気もしていた。


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