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第43話 封印された箱

「池内くん?」


三沢先生にそう言われて肩を叩かれると、身体に纏わりついていた重さが、ようやく消えたような気がした。


私は彼岸花の絵から目を離すことができた。


そして三沢先生と一緒に、畑崎さんの案内で2階へと続く階段を上った。


2階に上がると、長い廊下を挟んで、左右に3部屋ずつ、合計6部屋の扉が目に入った。


どの部屋の入口にも、1階の扉のそばに設置されていたものと同じ、長方形のセンサーが取り付けられている。

その光景は、まるで中へ入ろうとする者を拒んでいるようにも見えた。


「あちらの部屋でございます」


畑崎さんに案内されたのは、右手のいちばん奥の部屋だった。


畑崎さんの顔にセンサーが反応し、部屋の扉が開いた。


中に入ると、20畳ほどの部屋の壁に沿って、L字型に棚が置かれていた。


中央には、大きなテーブルがある。

部屋の隅には、折り畳み式の椅子が何脚か立てかけられていた。


私と三沢先生はそれらをテーブルの近くまで運び、組み立てて隣同士に並べた。


「お探しの資料は、たしか――」


畑崎さんがそう言って、手前にある棚の下の方を物色し始めた。


棚の隙間から、紙の匂いがわずかに漂ってくる。

古い紙と、閉じ込められた時間の匂い――

そんなふうに感じた。


「……ございました。おそらく、こちらではないかと。城野先生も生前、この資料にはずいぶんと目を通されておりました」


畑崎さんはそう言いながら、いくつかの資料をテーブルの上に置いた。


学校誌が、いくつかあった。


古いものには、“秀麗女学院”と書かれていた。


一方で、比較的新しいものには、“星華女子学院”と記されている。


星華女子学院――


私は思い出した。

実家のある広島では、有名なお嬢さま学校の名だった。


その他に、新聞記事の切り抜きが纏められたファイルもあった。


三沢先生は、まずそれを手に取って眺める。


私も横について、目をやった。


すると――


大正12年9月25日。

大正12年10月30日。

大正12年11月5日。


これらの記事には、秀麗女学院の生徒が何者かに殺害されたこと。

その生徒を殺害した容疑者と思われる“九鬼貞一”という青年が、一家を惨殺したこと。

そして、拘置所内で自死したことが載っていた。


さらに――


昭和59年6月9日。

昭和59年6月14日。

昭和59年6月19日。


こちらは、星華女子学院の生徒と教師が殺害され、容疑者とされていた別の教師が不審死を遂げたという記事だった。


「これか……。池内くんは、やはり全然知らなかったのかい?」


三沢先生が記事に目を落としたまま、いつもより低い声を出した。


まったく知らなかった。


私が生まれるずっと前の事件だった。


星華女子学院は、今も広島市に存在する、高偏差値の人気女子校だ。


当時はかなり衝撃的な事件だったはずだ。

けれど、時間の経過とともに風化してしまったのだろう。


少なくとも私の周囲で、この事件を語る人間は存在しなかった。


私が資料から視線を逸らし、


「はい」


と呟いた、その時だった。


重ねられた資料の中ほどに、古びた大学ノートがあるのに気づいた。


私はおもむろに、それに手を伸ばした。

そして手に取って、表紙を眺める。


そこには、黒の油性マジックでこう記されていた。


岡崎多香子

1984.4.1~1985.3.31


よく見ると、ページのいくつかに付箋が貼られている。


「それは、当時の星華女子学院の方が、卒業後に学校へ寄贈した日記だそうでございます。城野先生も、興味深くご覧になっておられましたよ」


いつの間にかテーブルを挟んだ正面に座っていた畑崎さんが、そう説明した。


ということは、この付箋は城野賢志が貼ったものなのだろうか。


私は付箋を貼られたページを開き、その内容を確認してみる。

付箋の貼られた箇所には、次のような一節があった。


1984.5.25――

黄島さんという人が、県の外郭団体である歴史研究所から、私たちの文化祭の手伝いに来てくれた。


1984.6.12――

後輩から、おかしな話を聞いた。

黄島さんは、60年ほど前にうちの学校の先生だった人にそっくりで、名前も同じらしい。


1984.6.20――

後輩が、黄島さんの名刺を見せてくれた。

名前の“さき”は、“早記”と書くらしい。

珍しい表記だ。


黄島早記。


いったい、何者なのだろう。


城野賢志がこの部分に付箋を貼ったのには、何か意図があってのことなのか。


私の胸の中で、何かがざらついた。


*


約1時間――


私と三沢先生は、ずっと資料に目を通していた。

よほど集中していたのか、1時間はあっという間に過ぎた。


畑崎さんは、その間もずっと私の正面の椅子に座ったまま、ほとんど身体を動かすこともなかった。


よほど同じような状況に慣れているのだろう――

そんな気がした。


左手首の腕時計に目をやりながら、三沢先生が口を開いた。


「長居してしまい、申し訳ありません。ところで……これらの資料を、お借りすることは可能でしょうか」


「いえ……それは叶いません。こちらの資料は、あまり公にしないように城野先生から仰せつかっております。しかし――」


畑崎さんは、目を細めて続けた。


「必要な部分を写真に撮られるのは構いません。研究目的で必要な箇所を撮影することは、城野先生も許可しておられました。皆さま、スマートフォンで撮影されておられますよ」


それを聞いた三沢先生の顔が、ぱっと綻んだ。

ジャケットのポケットからスマホを取り出し、夢中になって写真を撮り始めた。


やはり根っからの研究者だ。


私もスマホを取り出し、いくつかの資料を撮影した。


ところが、少し慌てていたのかもしれない。


途中でスマホが手から滑り、床に落ちた。


狼狽した私は、あろうことか床に落ちたスマホに手を伸ばす前に、右足でそれを蹴飛ばしてしまった。


勢いがついていたのか、スマホは回転しながら部屋の隅まで転がっていく。


そして――


かたん。


何かにぶつかった拍子に、動きを止めた。


その方向に目をやると、棚の最下段の奥に、黒い箱が半分隠れるように置かれていた。


近づいてみると、ただの箱ではない。


箱には、封印紙が十字に貼られていた。

さらに、紙と箱に跨るように、“城野”という朱色の印が押されていた。


私はスマホを拾うついでに、何だろうと思い、箱へ手を触れようとした。


その瞬間だった。


「池内さま!」


背後から、畑崎さんの大きな声が飛んできた。


「そちらの箱に触れることは叶いません!」


柔和だった畑崎さんの表情は、険しいものに変わっていた。


その様子を目にした三沢先生が、思わず口を挟む。


「い、いったい何事ですか? その箱はいったい……」


三沢先生が言い終えるより先に、畑崎さんの方が言葉を出した。


「その箱の中身は、今お調べになっている事件に関する資料だと、城野先生から伺っております。ですが、譲り受ける際に、決して開封しないよう申し送られたそうでございます」


「えっ? そ、それって、どういうことでしょうか」


私は思わず訊いていた。


「私が聞いたところでは――」


畑崎さんは一拍置いて、小さく息を吐いた。


「中に保管された資料を読んだ方が、不審死を遂げたから、ということでございます」


私は、背筋に冷たいものが這い上がってくるのを感じた。


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