第41話 プリントされた彼岸花
三沢先生は、冷静だった。
すぐに、
「大丈夫ですか」
と、もう1人の女性警官の方へ歩み寄り、彼女の様子を確認した。
「私が食べ物を買いに行っている間、先輩は車に残っていました。戻った時には、運転席の窓が開いていて……」
もう1人の女性警官が、声を震わせながら口を開いた。
三沢先生は彼女の言葉を聞くと、すかさずスーツのポケットからスマホを取り出し、110番通報するとともに救急車を要請した。
その流れるような行動は、きっと警察官時代に培われたものなのだろう。
陽菜の方も、意外に落ち着いていた。
運転席の女性警官に目をやりながら、首を傾げている。
私なら、悲鳴を上げておろおろしていてもおかしくない。
けれど、陽菜にそんな様子は見えない。
やはり、警察官である伯母さんの影響なのだろうか。
3人の中では、間違いなく私がいちばん動揺していた。
とはいえ、少なくとも年下の陽菜の前では、そんな素振りを見せたくない。
私は背筋に力を込めて、できるだけ平静を装っていた。
陽菜の隣に並び、運転席の女性警官へ目を向けた。
すると、その様子は明らかに異様だった。
女性警官の身体の上と、助手席の上。
そこには、B5判ほどの紙が何枚も置かれていた。
その紙の表面には、“真っ赤な彼岸花”がプリントされていた。
さらに両腕は、数枚の紙を抱きかかえるように、胸の辺りで交差していた。
まるで――
腕の中で、彼岸花を守っているかのように。
しばらくすると、けたたましいサイレンを鳴らしながら、数台のパトカーが到着した。
私たちは、到着した警察官や刑事たちから、いろいろと事情を聞かれた。
三沢先生も、陽菜も、取り乱すような様子はない。
淡々と対応していた。
私は――
やはり動揺を隠せなかった。
質問への受け答えは、時折しどろもどろになってしまった。
意味もなく、周囲をきょろきょろ見回したりもした。
奥の方で、女性警官に向けてフラッシュが瞬いている。
その光が見えた瞬間――
改めて、自分は事件に巻き込まれてしまったのだと実感した。
1時間近くに及ぶ警察の事情聴取が終わった後、私は自分のランドクルーザーで、三沢先生と陽菜をそれぞれの住まいまで送り届けた。
車を走らせてしばらくの間、ハンドルを握る両手には、微かな震えが残っていた。
私の住まいである昭和区の賃貸アパートに到着した時には、時刻は午後10時を回っていた。
*
翌朝――
目が覚めて、充電していたスマホを見ると、三沢先生と陽菜から、それぞれメールが届いていた。
陽菜からは、送ってくれたことに対するお礼と、
「昨日の事件はびっくりしましたね」
という短い感想だった。
一方の三沢先生も、似たり寄ったりの内容だった。
ただ、最後にこう書かれていた。
「今日の午後1時に、研究室に来てくれないか」
私は2人に短く返事を打った。
三沢先生には、午後1時に伺うと付け加えた。
その後、寝転がったままでスマホのネットニュースを開いてみた。
やはり、昨夜の事件が大々的に報じられていた。
亡くなったのは、27歳の“遠藤美幸”という女性警察官だったらしい。
そして――
捜査関係者によると、遺体の周辺からは、赤い花が印刷された紙が複数見つかった――
そう書かれていた。
やはり、私が見たものは間違いではなかったのだ。
その時、ふと私の記憶に甦ったものがあった。
10年ほど前、広島県の白木山で発見された白骨体。
その周囲には、彼岸花と同じ成分を持つ植物が残されていたという報道だ。
果たして、今回の事件と何らかの関連性があるのだろうか。
しかし、場所も時代も大きく食い違っている。
100年近く前の広島。
現在の名古屋。
とても繋がっているようには思えなかった。
それなのに、胸の奥に引っかかるものがある。
真っ赤な花だけが、時間も場所も無視して、こちらへ伸びてきているような気がした。
*
午後1時――
私は「三沢秀樹」と書かれた研究室の扉をノックした。
「どうぞ」
三沢先生が、私を招き入れてくれた。
縦に細長い手狭な部屋には、大量の書籍が所狭しと散乱していた。
小さな本棚があるにはある。
けれど、そこに収まり切れない書籍の山が、あちらこちらにできていた。
三沢先生は、昔から整理整頓が苦手なタイプのようだ。
来客用らしい小さな机の上にも、書籍が積み上げられている。
私は、その手前にある小さな椅子を勧められた。
三沢先生は回転式の椅子をぐるりと私の方へ向けて、口を開いた。
「池内くんは、広島の出身だったよね」
「はい」
「だいぶ前に、昨夜の事件に似たような事件が、以前、広島で起こった記憶があるんだけど、ちょっと記憶が曖昧でね。君なら、何か知ってるんじゃないかと思って」
私は一瞬、先ほど思い出した100年前の白骨体の事件かと思った。
でも――
どうやら違うらしい。
私は生まれてから18年間、広島に住んでいた。
けれど、そんな事件を耳にした記憶はなかった。
私が考え込んでいると、三沢先生は再び口を開いた。
「じゃあ……“城野賢志”という人物を知ってるかな」
城野賢志。
その名前は、聞いたことがあった。
たしか数年前に亡くなった、愛知県選出の元国会議員の名前だったはずだ。
私が「はい」と言って頷くと、三沢先生が続けた。
「その城野賢志という人物は、生前、かなりの蒐集家だったらしくてね。熱田区にあった自邸を改装して、私設の記念館を作ったらしい。名前は、“城野記念館”。そこに――」
三沢先生は一拍置いて、呼吸を整えた。
「僕も最近、城野記念館の収蔵品目録を見て知ったんだが、その広島で起きた事件に纏わる品が、保管されているらしい」
私は思わず、背筋を伸ばした。
「昨夜の事件を目の当たりにするまでは忘れかけていたんだけど、今朝になって、ふと思い出してね。それに、君が関心を持っている風土史や美術史に纏わる品も、けっこう所蔵されているらしい」
私の心の中で、何かが弾ける音がした。
誰かに「具体的な根拠は?」と問われれば、明確に答える自信はない。
けれど――
そこに私が欲している“何か”がある。
その“何か”に、私は呼ばれている。
そんな気がした。




