第39話 名古屋の大学院生
10年ほど前。
私が高校生だった頃――
通っていた広島市内の高校から北東に位置する白木山で、土砂崩れが発生した。
その際に、古い坑道のようなものが発見されたというニュースがあった。
さらに――
その後の調査で、驚くべき発見があった。
坑道の奥には、開けた空間があったらしい。
そこで、1人分の白骨遺体が見つかったというのだ。
しかも、その周囲は植物のようなもので覆われていたらしい。
後に、次のような事実が判明した。
・遺骨の鑑定結果から、30歳前後の女性。
・植物の分析結果から、“彼岸花”と同じ成分が検出された。
・遺骨も植物も、およそ100年前のもの。
彼岸花に囲まれた遺体。
今になって思えば不謹慎だ。
けれど当時の私は、そのニュースを見て、心が躍ってしまった。
何か儀式めいたものを感じたのだ。
それに――
生まれ育った町の近くに、こんな“ミステリースポット”のようなものがあったのか。
そう思うと、胸の奥がざわざわした。
私は根っからの文系女子で、もともと歴史の類は好きだった。
高校2年の途中までは、大学では法学部や経済学部、商学部といった実学系の学部に進学しようと考えていた。
けれど――
この出来事がきっかけで、私は風土史や民俗学、あるいは美術史といったものに興味を抱くようになった。
土地に残る記憶。
人の営み。
古い絵や記録に刻まれた、消えてしまったはずのもの。
そういうものが、急に自分の近くまで迫ってきた気がしたのだ。
いよいよ進学先の大学を考える時期になると、学校選びには苦労した。
風土史や民俗学を専門的に学べる大学は、そう多くない。
おまけに私は、日本の風土史や美術史に焦点を当てたかった。
そうなると、さらに候補は限られた。
いろいろな大学の学部案内やサイトを調べて、ようやく「N大学文学部」の存在を知った時は、思わず舞い上がった。
N大学は、愛知県名古屋市にある大学だった。
迷わず願書を取り寄せて受験し、現役で合格することができた。
以来――
もう8年近く、私はこの大学に籍を置いている。
現在は、大学院文学研究科の博士後期課程2年。
今年の春には、3年目に入る。
博士論文の作成に向けて、そろそろ本格的にテーマを詰める時期に来ていた。
指導教授の三沢秀樹先生からも、顔を合わせるたびに発破をかけられている。
三沢先生の専門は、“日本風土史”と“日本民俗史”だ。
40代半ばだが、30歳を過ぎてから大学院に入り、修了後に講師となって、現在は准教授を務めている。
しかも、前職が“警察官”という、かなりの変わり種だ。
私は三沢先生のゼミの1期生だった。
学部の3年生の時だ。
三沢先生がまだ講師だった頃からの付き合いで、気づけばもう6年近いという計算になる。
*
2月の半ば――
大学は、長い春休みに入ろうとしていた。
学部生は期末試験を終えたばかりだ。
バイトに精を出す者。
長期の旅行に出かける者。
あるいは、実家に帰省する者。
大学の構内を闊歩する学生の数は、少しずつ疎らになっていった。
私にとっては、博士論文の準備をする絶好の機会でもある。
学部生の授業が行われている間、私のような大学院生は指導教授の雑用を手伝うことが多い。
学部ゼミの手伝い。
試験採点の手伝い。
指導教授の研究の手伝い。
そういうわけで、自分の研究に時間をなかなか割けないのが実情だった。
私は大学の敷地内にある図書館棟へ向かっている途中だった。
円筒形の大きな建物で、銀色の外壁が冬の日射しを受けて輝いている。
周囲にそびえる複数の大木には、葉がない。
何本も伸びた枝だけが、風に小さく揺れていた。
ちょうど図書館の玄関に差しかかった時だった。
「池内さーん」
不意に背後から、聞き覚えのあるかわいらしい声が聞こえてきた。
後ろを振り返る。
長い金髪。
派手なデザインのカチューシャ。
冬場だというのに、露出の多い服装。
一見すると、どこの“ギャル”なのかと思ってしまう。
彼女は真田陽菜。
三沢ゼミの学部生だ。
陽菜はまだ2年生なのだが、本来は3年生からのゼミに、半年前から出入りしている。
見た目に反して、と言ったら失礼かもしれないが、成績は非常に優秀だ。
「あら? 陽菜ちゃん、てっきり実家に帰ったとばかり思ってたわ」
私はわざとらしく、そう言った。
「帰りませんよ。バイトも、けっこう入れちゃってるし」
陽菜はニヤニヤと笑いながら、私の方へ歩み寄ってきた。
彼女のバイトというのは、ラウンジ嬢だ。
週に3回程度出勤するだけで、かなり稼げるらしい。
この事実を知っているのは、私と三沢先生だけだった。
「池内さんも、バイト、一緒にどうですか? 女の子が足りないらしくて、誰かいい人がいたら紹介してくれって、店長から頼まれてるんです。池内さん……きれいだから、間違いなくお客さんが付くと思うけどな」
陽菜は、私の顔をまじまじと見ながら言った。
私は、つれなく返した。
「……私は興味ないな。今は博士論文の構想を練らなきゃいけないから、年配のおじさまたちのお酒の相手をしてる暇はないんだよ」
「でも、けっこう稼げますよ。学費の工面なんかも、親に頼らなくていいし。あ……私の場合、親には内緒だから、稼いだ分は全部自分の小遣いにしちゃってますけど」
陽菜は、なかなか引かない。
私は小さく溜め息をついた。
「……その話は、また今度ね」
そう煙に巻いて図書館に入ろうとすると、陽菜もついてきた。
「ちょっと……私、けっこう忙しいんだけど」
私が口を尖らせると、陽菜は涼しい顔で答えた。
「私も、図書館に用があったんですよ。気にしないでください。池内さんの邪魔をするつもりなんて、さらさらありませんから」
実際、彼女は真面目かどうかと問われれば、間違いなく真面目だ。
本当に図書館に用があったのだろう。
*
私は、1階の窓際にある個別ブースの1つに腰を下ろした。
ここは大学院生専用のブースで、まあまあスペースが広い。
まだ研究室が与えられていない私たちにとっては、この場所が研究するための主な空間ということになる。
私の左右には、もう他の大学院生たちが陣取っていた。
春休みに入ったというのに、ここだけは人の数が多い。
図書館は3階建てだ。
中央の螺旋階段の周囲には整然と書架が並び、膨大な数の書籍が所蔵されている。
幸いにも、人文科学系の書籍は1階に集中している。
私は館内を歩き回り、いろいろな本を物色した。
1階にある長テーブルの一角に、陽菜の姿が見えた。
椅子に座って、本を眺めている。
ラウンジ嬢のバイトをしているのが本当なのかと思うくらい、真剣な目つきでページをめくっていた。
私は3冊の本を抱えて、先ほどのブースに戻ってきた。
3冊とも、自分の研究分野である風土史や民俗学、美術史に関わる書籍だった。
そろそろ博士論文のテーマを決めて、三沢先生に相談しなければならない時期でもある。
少なからず、焦りもあった。
1冊目の書籍に目を通そうとした時だった――
ぶるるるる……。
バッグに入れていたスマホが、小刻みに振動しているのに気づいた。
こんなタイミングで誰だろうと思いながら、スマホの画面に目をやる。
三沢秀樹――
その名前が表示されていた。
三沢先生は今週から学会発表で、ロサンゼルスに行っている。
明後日、日本に帰ってくる予定だった。
私は館内の通話スペースへ移動して、通話ボタンを押した。
「もしもし、池内くん? 今、いいかな」
男性にしては少し高めの声が、私の耳元で響いた。
「今、図書館にいます。先生、まだロサンゼルスのはずですよね」
場所が場所だけに、私は声のトーンを落として喋った。
けれど三沢先生はお構いなしに、いつもの大きな声で通話を続ける。
「そうそう。それで明後日の午後3時に、セントレアに到着予定なんだ」
私は、三沢先生が何を言いたいのかピンときた。
「悪いけどさ……迎えに来てもらえないかな? 荷物が多くてさ……」
案の定だった。
出張のたびに、私は“足”として利用されている。
大学院の博士課程に入学した時、父が、安くなっていた新古車のランドクルーザーを、合格祝いに買ってくれた。
それが運の尽きだった。
そのことを知った三沢先生から、それ以来しょっちゅう頼りにされている。
けれど、車の運転は嫌いじゃない。
むしろ好きな方だ。
もう少し運動神経に恵まれていたら、レーサーを目指していたかもしれないくらいだ。
「はいはい……わかりました」
私は小さく息を吐くと、そう返した。
「いつも悪いね。お礼に、また焼き肉をご馳走するから」
三沢先生は申し訳なさそうな口調でそう言うと、通話を切った。
とはいえ、最初から私が「ノー」と言わないことは、織り込み済みだったはずだ。
そういう駆け引きには、相変わらず感心する。
私は明後日の午後3時に、セントレアへ向かうことになった。
だが――
その小さな頼まれごとが、私を100年前から続く赤い絵の中へ引きずり込むことになるとは、この時は想像もしなかった。




