第38話 まだ終わっていない
翌火曜日――
私はまた、学校を休んだ。
病み上がりのうえに、殺されかけたのだ。
頭の中は、まだ混乱していた。
念のため病院で診察を受けたが、幸い大きな怪我はなかった。
その後、私は駆けつけた警官の1人に、自宅まで送ってもらった。
父も、母も、ずいぶん心配してくれた。
母は何も言わず、私をぎゅっと抱きしめてくれた。
その温かさに触れた瞬間、ようやく自分が助かったのだと、少しだけ実感できた。
三枝先生は、どうしてあんなふうに変わってしまったのだろう。
後から警察に聞いた話では、美術部が作った180個の造花のうち、講堂から回収されたのは160個だけだったという。
残る20個は、間宮先生の遺体の周囲で見つかった。
警察は、三枝先生が真壁先輩の事件の際に持ち出したものと見ているらしい。
伊勢崎先生は、
「資料室でいろいろ調べているうちに、おかしくなったんだ」
と口にしていた。
資料室で、三枝先生はいったい何を見たのか。
三枝先生が死んでしまった以上、もう本人の口から真相を聞くことは、二度とできない。
私は昨夜から布団にくるまりながら、そんなことばかり考えていた。
頭の中で、同じ疑問がぐるぐると回り続けている。
*
翌水曜日――
昨日の朝から降り始めた雨は、一向に止む気配を見せなかった。
2つの殺人事件。
そして、その容疑者が同じ学校の教師で、警察の突入後に不審死を遂げたというニュース。
それは、瞬く間に広まっていた。
星華女子全体が、重苦しい雰囲気に包まれていた。
体調が回復した私は、登校して真っ先にやりたいことがあった。
新校舎の玄関に到着するなり、最初に顔を合わせた先生に尋ねた。
「御厨さん、今日は来ていらっしゃいますか」
どうしても、礼を言いたかったのだ。
御厨さんが警察を呼んでくれなかったら――
そう考えるだけで、今でも身震いが止まらない。
けれど、その先生の口から、意外な言葉が返ってきた。
「ああ……御厨さんは、昨日から休んでるよ。どうやら持病が悪化して、入院することになったらしいんだ」
「えっ」
私は思わず声を出した。
何の持病なのかを訊いてみたが、その先生も詳しい病名までは知らないらしい。
ただ、入院している病院は知っているとのことで、その場所を教えてもらった。
放課後――
私はお見舞い用に果物の詰め合わせを買って、教えられた中区にある“K総合病院”を訪れた。
真紀と岡崎先輩も付き合ってくれた。
彼女たちも、御厨さんに偏見を持っていたことを謝りたい、と言っていた。
病院の受付で、御厨さんの入院している病棟を尋ねる。
御厨さんの部屋は、東病棟の5階、505号室だった。
4人部屋の窓際のベッドに、御厨さんの姿があった。
彼は私たちの顔を見ると、目を大きく丸めた。
「御厨さん……本当にありがとうございました」
私は深く頭を下げて、そう言った。
真紀や岡崎先輩も、今までの非礼を詫びた。
御厨さんは、にこっと笑った。
その笑顔は、今まで私たちが感じていた印象とは正反対だった。
屈託のない、爽やかな笑顔だった。
「僕が……こんな見た目だから、あなたたちには……怖い思いをさせたと思ってる」
御厨さんは目を細めて、そう言った。
右目の義眼が、病室の窓から射し込む灰色の光を受けて、優しく輝いているように見えた。
「三枝先生も……かわいそうに。あの資料室は……もう完全に封鎖した方がいい」
御厨さんは窓の外に目を向けると、静かに呟いた。
「御厨さんは、何かご存知だったんですか」
私は思わず訊いてみた。
「実は……僕はもう30年近く、星華女子の用務員をやってるんだけど……歴代の司書の先生たちには、申し送りがなされているんだ。あの資料室にある資料は……決して1人で目にしてはいけない、とね」
御厨さんは、少し苦しそうに息を吸った。
そして続けた。
「でも……三枝先生は、その禁忌を破った。彼女がおかしくなったのは……きっと、そのせいだと思う」
御厨さんの口から出たのは、伊勢崎先生が言っていたことと同じ内容だった。
資料室。
古い資料。
1人で見てはいけないもの。
私は、あの湿っぽい部屋の空気を思い出した。
それに――書架の奥の暗がりから、誰かに見られているような、あの感じまで。
*
そして――
金曜日の放課後だった。
工藤初音さんが、孫の蛍子さんを伴って、星華女子を訪れた。
教頭先生から応接室に呼ばれた私と真紀は、約2週間ぶりに初音さんたちと再会した。
初音さんは、どうしても自分が描いた絵を見てみたいのだという。
教頭先生は、初音さんから事情を聞くと、彼女の申し出を承諾した。
警察の現場検証が終わった旧校舎へ、教頭先生の立ち会いのもと、私と真紀は初音さんと蛍子さんを案内した。
この日は、梅雨の晴れ間が広がっていた。
夕方の西日が、廊下の奥まで赤く照らしている。
本来なら、もう二度と足を踏み入れたくない場所だった。
けれど、この日はなぜか、この場所に来なければいけないような気持ちに駆られていた。
「これは……間違いなく、玲子先輩と私が描いた絵です」
初音さんは感慨深そうに絵を見上げながら、そう呟いた。
私も横に立って、同じように絵を見上げた。
すると――
彼岸花の花弁の隙間に、“何か別のもの”が見えるような気がした。
気のせいだろうか。
私は目を擦って、もう一度見つめた。
見える。
妖精のようなものが。
しかも、以前見た妖精のようなものとは別に、その近くの異なる場所に、さらに2体。
1体は、羽を花の蕾のように閉じて、両腕を高く上げているように見える。
もう1体は、右腕を掲げて、何かを指し示しているように見える。
突然、初音さんが絵を見据えたまま口にした。
「あなたにも……見えるのですね。彼女たちの姿が」
私の背筋を、冷たい感触が覆った。
けれど――
いつの間にか、その姿は見えなくなっていた。
夕日に照らされた絵の中に、私も初音さんも幻を見たのだろう。
私は勝手に、自分自身にそう言い聞かせていた。
*
その後、初音さんと蛍子さんから、前回と同じ駅前のHホテルで食事をしないかと誘われた。
話しておきたいことと、渡したいものがあるらしい。
私たち4人はタクシーで、Hホテルまで向かった。
ホテルのレストランで、夕食をご馳走になった。
そして食事を済ませ、食後のアイスコーヒーが運ばれてくると、初音さんが口を開いた。
「森崎さん、あなたにお預けしたいものがあります」
そう言って、バッグの中から2枚の写真を取り出し、テーブルの上に置いた。
1枚は、黄島さんの写真だった。
初音さんによると、黄島さんのインタビューが掲載された雑誌記事を、蛍子さんが見つけてコピーしたものらしい。
もう1枚は――
古いセピア色の写真だった。
きれいに揃った前髪。
左目だけを覆う片眼鏡。
そこには、1人の女性が写っている。
よく見ると、黄島さんにそっくりだった。
「この人が、私が以前に申し上げた“黄島先生”です。私の卒業アルバムに載っていた彼女の写真を、こちらも蛍子にコピーしてもらいました」
やはり、そうか――
たしかに見れば見るほど、非常によく似ている。
初音さんが、黄島さんを“黄島先生”と言ったのも、この写真を見れば納得できた。
初音さんは目を閉じ、顔をわずかに上げて口を開いた。
「私、ここ数日、何度も同じ夢を見るのです。正夢かどうかは、わかりません。けれど……昔、玲子先輩が亡くなった日の前日にも、おかしな夢を見ましてね。あろうことか、その翌日に彼女はお亡くなりになったのです」
初音さんはそう言って再び目を開けると、今度は私の顔をまっすぐに見つめた。
「いつか……遠い未来に、あなたを訪ねて来る方がいると思うのです。その方は、名前に“色”が付いている女性。その女性が、この2枚の写真を必要とするようなのです。その頃は……間違いなく、私は生きていないでしょう」
初音さんの声には、不思議な力強さがあった。
「ちょっと……おばあちゃん、いきなり突拍子のない話をしないでよ。森崎さんも、びっくりしてるじゃない」
蛍子さんが、慌てて口を挟んだ。
けれど、初音さんは構わずに続けた。
「私が体験した60年前の事件。そして、あなたが体験した今回の事件。これらは繋がっている気がしてなりません。表向きは、犯人の死で解決したように見えますが……これらの事件は、まだ終わっていないと思うのです」
私は初音さんの言葉に、思わず背筋が伸びてしまった。
2つの時代に起きた事件は、まだ終わっていない。
初音さんの話のように――
いつかはわからない遠い未来に、また同じような事件が顔を出すのだろうか。
私は、テーブルの上に置かれた2枚の写真へ目を落とした。
片方には、今の黄島早記さん。
もう片方には、60年以上前の黄島先生。
2人の顔は、あまりにもよく似ていた。
似ている、という言葉だけでは片づけられないほどに。
アイスコーヒーのグラスについた水滴が、ゆっくりとテーブルの上へ落ちていく。
その音は聞こえないはずなのに、なぜか今の私には、それがはっきり聞こえた気がした。




