第36話 逢引きの場所
間宮先生の変わり果てた姿を目撃したその夜から――
私は熱を出した。
健康には自信があって、物心がついてから、風邪を引いた記憶はほとんどなかった。
けれど――
真壁先輩。
間宮先生。
ほんの1週間も経たないうちに、親しい人が2人も亡くなった。
しかも私は、2回も遺体を目の当たりにしている。
連続して衝撃を受けたストレスからなのだろうか。
頭の芯がずきずきと痛み、身体中の関節に痛みが走った。
湿度が高くて気温も上がってきているのに、布団の中でも寒気が収まらなかった。
翌木曜日から土曜日まで、学校を休んでしまった。
薄い意識の中で、真壁先輩と間宮先生の顔が何度も現れては消えていった。
学校の怪談で噂される“呪い”なのだろうか。
秀麗女学院時代に殺されたという、“二階堂玲子”という女の子。
その二階堂玲子を殺したとされる、“九鬼貞一”。
私はふと、朦朧とする意識の片隅で思い出した。
少し前の昼休みに、クラスメートの1人が言った言葉を。
――女の人の囁き声。あと、男の人の呻き声も聞こえたらしいんだ。
*
月曜日――
薄い雲が広がっていたが、幸いにも雨は降っていなかった。
体調がようやく戻った私は、久しぶりに星華女子へ登校した。
とはいえ、精神的なショックが癒えたわけではない。
むしろ星華女子の空間に足を踏み入れることで、心は余計にざわついていた。
皆、事件のことを積極的に口にしない。
口にしてしまえば、また同じことが起きるのではないか。
そんな怯えがあるのかもしれない。
新校舎の玄関で、伊勢崎先生と出くわした。
出くわしたというより、私が登校してくるのを待ち構えていたように思えた。
「おはよう、森崎くん。思ってた以上に元気そうで、安心したよ」
伊勢崎先生は笑顔で、そう口にした。
けれど、次の瞬間――
「ところで」
と言って、私を廊下の先まで来るように手招きした。
私は首を傾げながら、その場所まで進んだ。
伊勢崎先生は周囲を警戒するような素振りを見せる。
それから、小さな声で言った。
「実はね、間宮先生から“自分に何かあったら森崎さんに渡してくれ”と言われていたものがあるんだよ」
「えっ? そ、それって、いったい?」
「僕にもわからないんだ。それで、旧校舎の1階に“談話室”があるだろう。そこに隠しておいたって話だけは聞いたんだ」
私は思わず身構えた。
間宮先生が、私に渡そうとしていたものは何なのか。
「旧校舎は、事件の後もまだ立入禁止になってるんだけど、僕が同行すれば問題ないと思う。放課後なら僕は大丈夫だから、どうする?」
あの気味の悪い旧校舎へ入るのは躊躇する。
けれど、伊勢崎先生が一緒なら安心だと思った。
それに、間宮先生が何を渡そうとしていたのかを知りたいという気持ちは強かった。
午後4時に、伊勢崎先生と旧校舎の前で待ち合わせることにした。
最後に、伊勢崎先生が言った。
「それと……間宮先生は、森崎くん以外には知らせないでほしいとおっしゃっていた。だから、他の生徒たちには内密で頼む」
よほど大事なものなのだろう。
私は頷いて、その場を離れた。
*
放課後――
いつもスクールバスが一緒のクラスメート・河野真紀には、「今日は寄るところがある」と適当な言い訳をして、私は教室に残った。
教室の壁の時計が午後3時50分を指すと、私は教室を出て、1人で旧校舎へ向かった。
新校舎の玄関を出た先に、用務員の御厨泰造さんの姿があった。
ぼさぼさの前髪から覗く視線が、私の方へ向いている。
それに気づいた瞬間、鳥肌が立った。
私は半歩、後ずさりする。
すると御厨さんは、何かを訴えるように口を動かしながら、こちらへ近づいてきた。
私は急いで踵を返した。
全速力で新校舎の反対側の角へ回り込み、そのまま旧校舎の方へ向かった。
旧校舎の前には、伊勢崎先生が立っていた。
私は安心して、大きく息を吐きだした。
「どうしたんだい? そんなに慌てて」
伊勢崎先生が驚いた様子で声をかけた。
「い、いえ……何でもありません」
そう短く答えるだけで、精いっぱいだった。
「そうか。じゃあ、さっそく中に入ろう」
伊勢崎先生は小さく頷いて、そう言った。
ジャージのポケットから鍵の束を取り出し、扉を開ける。
そして、私を中へ促した。
閉ざされていた旧校舎の中へ入ると、梅雨の時期にありがちな、生ぬるい湿気が纏わりついてきた。
“談話室”は、1階の玄関を抜けたすぐ左の部屋だ。
伊勢崎先生が扉を開ける。
私が中へ入った、その瞬間――
後ろから、妙な刺激臭のする布を顔に押し当てられた。
意識が、そこで途切れた。
*
どれくらい時間が経ったのだろう。
古い紙から漂う独特の匂いが、鼻を刺激した。
それに――
首から下を、自由に動かせない。
私は気づいた。
椅子に座ったまま、身体を縛られているのだ。
恐る恐る目を開ける。
そこは、見覚えのある空間だった――
旧校舎の1階奥にある“資料室”。
試しに身体を動かそうとしたが、ほとんど動かない。
椅子の脚が、わずかに床を擦る音が聞こえるだけだった。
天井の蛍光灯が、弱々しい光で室内を照らしていた。
それでも、部屋全体は薄暗かった。
窓にはブラインドが下ろされていて、外から見ても、室内に明かりが灯っているとは気づかないだろう。
「森崎くん……本当にすまない。しばらくの間、眠ってもらった」
私の背後から、伊勢崎先生の声がした。
振り返ろうにも、この状態では難しかった。
辛うじて、伊勢崎先生の紺のジャージの一部が目に入るくらいだ。
「ど、どうして……こんなことするんですか」
私は掠れた声で尋ねた。
「由布子……いや、三枝先生のためだ」
由布子――
伊勢崎先生は、たしかにそう言った。
司書の三枝由布子先生。
彼女のことを“下の名前”で呼んだということは――
女の人の囁き声。
男の人の呻き声。
まさか――
2人は“そういう関係”で、この場所で逢引きしていたのではないか。
そういえば、以前、講堂に行った時――
講堂から出てくる伊勢崎先生と会った。
そして、なぜか三枝先生も講堂の中にずっといたように感じた。
もしかして、あの時も――
しばらくして、正面の壁の下の方で、一部が外れるのが目に入った。
外から湿った空気が流れ込み、資料室の湿気がいっそう濃くなった。
そして、四つん這いの人影が、ゆっくりと室内に入ってきた。
眼鏡のレンズに、淡い蛍光灯の光が反射している。
ひとつに束ねられた長い黒髪が、床へ向かって垂れていた。




