第34話 間宮先生
翌火曜日の放課後――
私がスクールバスの第1便に乗り込もうと教室を出て、2階から下りる階段に差しかかった時だった。
ちょうど階段の踊り場で、間宮典子先生が2階に上がってくる姿が見えた。
間宮先生は私に気づくと、こちらを見上げて声をかけた。
「森崎さん、あなたに用があったの。今から教室に行こうと思ってたんだけど、ちょうどよかったわ」
間宮先生の顔つきは、心なしか険しく感じた。
下校用スクールバスの第1便には、入学初日に乗ったきりだった。
部活が中止になっているので、今日は久しぶりに第1便に乗れると思っていたのだが――
この日はちょうど終礼の当番が回ってきて、教室を出るのが少し遅れた。
いつも一緒のクラスメイトの河野真紀は、一足先に教室を出ている。
「悪いけど、ちょっと付き合ってもらえないかしら? 帰りは、私の車で自宅まで送ってあげるから」
間宮先生は階段を上り、私の近くまで来ると、そう言った。
特に用事があるわけではない。
それに、わざわざ車で送ってくれると言うのなら――
「わかりました」
私は、そう返事をした。
*
間宮先生に連れていかれたのは、1階の図書室だった。
私は、ぴんときた。
司書の三枝由布子先生に、旧校舎の資料室の鍵を借りに来たのだろう。
図書室に入ると、奥のカウンターで、三枝先生が座ったまま誰かと話している様子が目に入った。
カウンターの手前に立って、三枝先生と話していたのは、バレー部の顧問の伊勢崎健介先生だった。
伊勢崎先生は私たちの存在に気づくと、
「……では、よろしくお願いします」
と短く言って、その場を離れた。
すれ違いざま、私と間宮先生に微笑みながら一礼し、図書室を後にした。
間宮先生はそのまま、三枝先生のいるカウンターまで進んだ。
私も、間宮先生の後ろについていく。
間宮先生は一度扉の方を振り返ると、再び三枝先生の方へ向き直った。
三枝先生は、伊勢崎先生の背中を見送ったまま、しばらく動かなかった。
けれど、間宮先生が小さく咳払いをすると、ようやく我に返ったように眼鏡の位置を直した。
「今のは伊勢崎先生でしたよね? いったい、どのようなご用件でいらしていたのですか」
「え、ええ……スポーツ医学の本を探しに来られていたんです。あいにく貸し出し中でしたので、また改めて来られると思います」
三枝先生は、間宮先生と目を合わせずに答えた。
ところが次の瞬間、きっとした目を間宮先生に向けた。
「ところで、いったい何のご用件でしょうか? まさか、また資料室の鍵を借りに来られたのではないでしょうね?」
「その“まさか”です。この学校に纏わる過去が、いろいろとわかってきましてね。こちらの森崎さんが、当校の古い卒業生の方から聞いた話も興味深いんです」
間宮先生は、毅然と言い返した。
三枝先生は気圧されたのか、少したじろいだように見えた。
「い、いったい何をおっしゃりたいのですか」
「今回の真壁さんの事件……過去に起きた事件と、似通っているように思えてならないんですよ」
間宮先生の語気は強かった。
三枝先生は、しばらく押し黙った。
そして天井を仰ぎ、ぽつりと呟いた。
「過去の事件を、これ以上調べるべきではありません。また、よくないことが……起きるかもしれないのですよ」
けれど、間宮先生は引かなかった。
「そうであっても……調べるべきだと思うんです」
三枝先生は再び間宮先生の方へ顔を向けると、目を閉じて小さく息を吐いた。
「前にも言いましたが、前任者からの申し送りで、資料室へは私も必ず同席しなくてはなりません。けれど、本日は所用があり、もう退勤しなければなりません。したがって、明日でもよろしいでしょうか」
三枝先生は、半ば投げやりな口調でそう言った。
「わかりました。では明日……またこの時間にお伺いします」
間宮先生はそう言うと、踵を返し、私にもこの場を離れるように促した。
私はあっけに取られていた。
その間にも、間宮先生は先に図書室から出ていく。
私は慌てて後を追おうとした。
その時だった。
三枝先生が独り言のように呟くのが、耳に入ってしまった。
「……名前が残らないなら、形で残すしかないのよ」
*
その後――
私は間宮先生の車で、自宅まで送ってもらうことになった。
外は土砂降りの雨だった。
間宮先生は車のワイパーを最速にして、ゆっくりと車を走らせた。
フロントガラスには雨が次々と叩きつけられ、滝のように流れていた。
ばしっ、ばしっ、と車体を叩く雨音の中で、私は口を開いた。
「さっき、三枝先生、おかしなことを言っていました」
「おかしなこと?」
間宮先生は前を向いたまま訊き返した。
「はい。『名前が残らないなら、形で残すしかない』とか」
「なるほど」
間宮先生は、少しだけ考えるように黙った。
そして、前を向いたまま答えた。
「三枝先生が言った意味……明日になればわかるかもね」
私は、運転する間宮先生の横顔を見た。
その時、ふと工藤初音さんから聞いた話が頭をよぎった。
初音さんの当時の担任の先生のことだった。
――ある日、突然姿を消されて……今も消息はわからないままなのです。
その瞬間――
私は、とてつもなく嫌な予感に襲われた。




