第29話 飾られた少女
いよいよ文化祭を翌日に控えた金曜日――
私は午前7時前には、星華女子に到着していた。
生徒たちはもちろん、先生たちの姿さえまだ見えない。
そろそろ梅雨入りが近いせいか、空は薄い雲に覆われていて、降り注ぐ朝日は弱々しかった。
おまけに、校庭も建物全体も靄で煙っている。
いつも通っている学校とは、まるで違う世界のように思えた。
始発のバスに乗り込んで、こんな時間に学校を訪れたのには理由があった。
昨日、講堂に、文化祭の実施要領が書かれたプリントの束を、A4判の茶封筒に入れたまま置き忘れてしまったのだ。
私は広報委員なので、今朝のホームルームの時間にクラス全員へ配るように言われていた。
ここ数日の放課後は、講堂での作業ばかりだった。
だから、荷物を作業に使っているシートの周辺に置きっぱなしにして下校することが多かった。
それで、うっかり忘れてしまったのだ。
真壁先輩が居残っていたから、きっと舞台の上では、赤い花たちの中に彼女の絵がきれいに飾られているのだろう。
新校舎の前で先生の誰かが到着するのを待ち、講堂の鍵を借りて中へ入ろうと思っていた。
けれど、講堂の方へ目をやると、扉が少し開いているように見えた。
あれ?
私は不審に思った。
真壁先輩が、昨夜講堂を出る時に閉め忘れたのだろうか。
それとも、私より先に誰かが来て、講堂の中へ入ったのだろうか。
私は講堂の玄関に近づいて、目を凝らした。
やはり、両開きの扉の中央に、わずかな隙間がある。
なぜか、心臓が早鐘のように打っているのがわかった。
扉の隙間に両手をかけ、重い扉をゆっくりと開いた。
ぎいい、と鈍い音が響いた。
早朝の講堂の中は、梅雨入り前の蒸し暑さとは無縁だった。
冷え切った空気が、広い空間に満ちていた。
奥にある薄暗い舞台の中央には、真壁先輩の絵が佇んでいた。
その周囲の床には、赤い彼岸花の造花がびっしりと敷き詰められていた。
けれど――
イーゼルに立てかけられた絵のすぐ下の床に、“何か”があるのが見えた。
入口からでは暗くて、最初はよくわからなかった。
近づくにつれて、彼岸花の造花が、絵とその“何か”を囲むように円形に並べられているのが見えてきた。
私は舞台袖近くにある階段から、舞台へ上がった。
そして、その光景を見下ろした瞬間――
身体が凍りつき、動けなくなった。
声を上げようとしても、口が麻痺したように動かず、何の音も出なかった。
遠目から見えた“何か”は、真壁先輩だった。
目は半ば開いたまま、唇は青紫色に変わっていた。
白い首筋には、細い紫色の線が1本走っていた。
しかし、いちばん異様だったのは、その姿だった。
両腕は上へ向かって伸ばされていた。
スカートは胸の辺りまでたくし上げられ、真壁先輩の上半身を蕾のような形に包んでいた。
その下に伸びる白い脚は、まるで蕾を支える茎のように整えられていた。
真壁先輩の指の先には、彼女が描いた彼岸花の絵があった。
薄暗い舞台の上で、その彼岸花は赤黒く浮かび上がっていた。
周囲に置かれた彼岸花の造花も、それに合わせるように暗い色を帯びていた。
真壁先輩は、舞台の上で“飾られている”ように見えた。
赤い花に囲まれて。
自分の描いた絵の下で。
まるで、その絵から伸びた花の一部になってしまったみたいに。
私は、息をすることさえ忘れていた。
昨日、真壁先輩が呟いていた言葉が、耳の奥で甦る。
――ちゃんと並べてあげないと。
――きれいに戻してあげなきゃ。
戻す。
何を。
どこへ。
そう思った瞬間、胸の奥から冷たいものがこみ上げてきた。
やはり、真壁先輩は飾られたのだ。
まるで、花のように。
しかも、花に囲まれて。
*
その後の記憶は、ところどころ曖昧だ。
私は慌てて講堂を出ると、ちょうど出勤してきた先生に事情を告げた。
数十分もしないうちに、警察が到着した。
講堂はたちまち黄色いテープで封鎖され、その後に集まった先生や生徒たちの間には、大きな騒ぎが広がった。
私は警察に連れられて、再び講堂の中に入った。
いろいろと事情を訊かれたと思う。
けれど、何を訊かれて、何を答えたのか――
後から思い返しても、はっきりとは思い出せなかった。
奥の舞台の上で、真壁先輩の遺体の周辺に、時折鋭いフラッシュの光が明滅していた。
花に囲まれるように飾られた、真壁先輩。
その日の授業は、すべて中止になった。
そして同日中に、翌日と翌々日に開催予定だった文化祭も中止になる旨の連絡が、関係者全員に回された。
『星華女子高で女子生徒変死』
夕方のローカルニュースでは、こんな衝撃的なテロップが画面に映し出された。




