第28話 講堂に残る花
木曜日――
いよいよ星華女子の文化祭まで、2日を切った。
クラスごと、文化部ごとの準備も、大詰めになってきている。
私は、クラスでは広報委員をしていた。
昼休みが始まってすぐ、職員室へ広報委員会の資料を取りに行くように言われた。
その時、1階にある職員室前の廊下で、ばったり三枝由布子先生に出くわした。
「森崎さん、1年E組でしたよね? 図書委員は誰かしら?」
「えっと……たしか佐々木さんだと思いますけど」
「実はあなたのクラスね……借りっぱなしの本が溜まっているのよ。そろそろ整理しないといけないから、今日中に返却してもらえるように伝えてもらえないかしら」
けれど、佐々木さんはこの日、体調不良で欠席だった。
三枝先生の表情には、どこか険しさがあった。
図書委員が休みなので、しばらく待ってください――とは言いづらい雰囲気だった。
「佐々木さんは、今日休んでます。代わりに、私が後でお届けしてもいいですか」
不本意だったけれど、思わずそう口にしてしまった。
三枝先生の険しい表情が、少しだけ和らいだように見えた。
けれど、その奥には、わずかな冷たさも同居しているように見えた。
「そうなのね。でも、持ってきてもらえれば助かるわ。じゃあ、森崎さんにお願いするわね」
三枝先生はそれだけ言うと、私の横を通り過ぎ、奥の図書室の方へ歩いていった。
*
昼食後――
私はクラスの誰かが借りっぱなしにしていた本を持って、1階の図書室まで向かった。
本は5冊あった。
胸の前に重ねて抱えたが、まあまあ重かった。
どうして私がこんなことをしなければならないのか、と心の中ではもやもやしていた。
けれど、口に出して引き受けてしまった以上、仕方がない。
2階の教室から階段を下り、1階奥の図書室に着いた頃には、腕がぷるぷると震えていた。
しばらく運動から離れていたせいで、筋肉が弱っているのではないか。
そんなことまで考えてしまった。
図書室に入ると、奥のカウンターの内側に座っている三枝先生の姿が見えた。
他に生徒の姿はなく、三枝先生が1人だけだった。
私はその場所まで進み、カウンターの上に5冊の本を置いた。
三枝先生は私の方へ目を向けず、目の前に置いてある古めかしい資料のようなものに視線を落としていた。
何かぶつぶつと、呟いているようにも見えた。
その資料は、私の視界にも入った。
どうやら星華女子の前身である“秀麗女学院”に関する資料のようだ。
紙はところどころ傷み、変色している。
長い年月が経っていることは、一目でわかった。
きっと“資料室”から持ち出したものの一部だろう。
字は小さいうえに、旧字体と片仮名交じりだった。
ぱっと見ただけでは、私のいる位置から内容までは読み取れなかった。
「三枝先生」
私が声を出して、ようやく三枝先生は顔を上げた。
「あ……ご、ごめんなさい。ちょっと夢中になってたものだから。ありがとう。本を持ってきてくれて助かったわ」
三枝先生の眼鏡越しに見えた両目は、どこか不安定に泳いでいた。
天井から降り注ぐ淡い蛍光灯の光が、ちょうど両方のレンズに当たっている。
だから、そう見えただけかもしれない。
その時、三枝先生の唇が、声にならない形で小さく動いた。
何かの名前を呼んだようにも見えたけれど、蛍光灯の微かな唸りに紛れて、私には聞き取れなかった。
*
放課後になると、文化祭で飾りつける彼岸花の造花作りも、最後の仕上げに入った。
もう9個の大きな段ボール箱が、赤い造花で埋まりつつあった。
「おおっ! だいぶ進んでるみたいですね」
背後から声が飛んできた。
紺の上下のジャージ姿の伊勢崎健介先生だった。
私たちの近くまで寄ってくると、段ボール箱の中身に目をやった。
「これを講堂に飾るわけですね? いやあ、これは圧巻になりそうですね」
「ええ。こちらの黄島早記さんのアイデアなんですよ」
間宮典子先生がそう言って、黄島さんを手で示した。
しかし黄島さんは、伊勢崎先生の方へ目を向けなかった。
黙々と、手元の造花を整えているだけだった。
「ああ……準備中にお邪魔してしまったようですね」
伊勢崎先生は、そんな黄島さんの様子を察したのか、少しばつが悪そうにその場を去っていった。
それから約1時間後――
ようやく、目標としていた数の造花が完成した。
全部で180個。
9個の段ボール箱に、20個ずつ入っている。
もう日も落ち始め、講堂の窓の外には、夕暮れの空が広がっていた。
「ようやく完成しましたね。では、明日はいよいよ飾りつけに入りましょう」
間宮先生がそう言うと、真壁尚美先輩が声を上げた。
「間宮先生、講堂の舞台の上だけは、今日中に飾りつけておきたいんです。講堂の鍵をお預かりして、私だけ残っても構いませんか?」
「構わないけど……あまり遅くなったらご家族が心配されるでしょうから、ほどほどにしておいてね」
間宮先生は、あまり乗り気ではなさそうだった。
それでも、渋々といった様子で講堂の鍵を真壁先輩に手渡した。
「ここ数日は、文化祭の準備で何人かの先生が遅くまで残っていらっしゃるみたいだから、その先生方には私から伝えておきます。見回りに来られたら、帰るようにしてね」
間宮先生は鍵を渡した後で、改めて付け加えた。
「はい」
真壁先輩は頷いて返事をすると、私と、同級生の河野真紀の方を見た。
「悪いけど、ちょっと運ぶのを手伝ってくれないかな?」
私と真紀は、真壁先輩の描いた絵と、それを立てかけるためのイーゼルを、舞台の中央まで運んだ。
続いて中等部の子たちが、彼岸花の造花が入った段ボール箱を抱え、舞台まで上がってきた。
舞台の上に、赤が積まれていった。
段ボールの中に詰まった造花は、遠目には花というより、何かの赤い塊のようにも見えた。
「ありがとう。後は、私の方でやっておくから、今日はもういいよ」
真壁先輩の表情には、弾けそうな笑みが浮かんでいた。
でもなぜか、私はその表情を見て、心がざらつくのを感じた。
私たちは真壁先輩に一礼して、踵を返した。
その直後だった。
「ちゃんと並べてあげないと……きれいに戻してあげなきゃ……」
そんなふうに呟く真壁先輩の声が、耳に入った。
*
私たちが真壁先輩を残して外に出ると、空は群青色に染まっていた。
しばらくして、私は背後に人の気配を感じた。
振り返ると、講堂の裏手からゆっくりと歩み寄ってくる、用務員の御厨泰造さんの姿が目に入った。
ぼさぼさの髪。
曲がった背中。
何度見ても、気味が悪い。
「こ、こんばんは」
私は反射的に声を出した。
すると、居合わせていた全員が、一斉に御厨さんの方へ目をやった。
御厨さんは少し驚いたような仕草を見せた。
それから私たちに向かって軽く頭を下げると、講堂と新校舎の間にある脇道へ入り、足早に姿を消した。
「な、何? やっぱり気持ち悪いよね」
真紀が目を細めて口にした。
「そんな言い方はよくないわ。悪い人じゃないんだから」
間宮先生が、真紀をたしなめるように言った。
けれど真紀はもちろん、部長の岡崎多香子先輩も、中等部の子たちも、怪訝な表情のままだった。
私は、ふと黄島さんの方へ顔を向けた。
その表情を見た時――
薄ら寒いものが、背筋を走ったような気がした。
黄島さんは、御厨さんが消えた先を見つめていた。
そして、わずかに笑っているように見えたのだ。




