第27話 囁きの校舎
美術部のメンバーが、文化祭に向けて“彼岸花の造花”を作り始めて今日で2日目――
作業は順調に進んでいた。
赤い厚紙に切り込みを入れ、それを彼岸花の形に折り上げていく。
黄島さんの指導は丁寧で、手先が不器用な私でも、それなりの形を作ることができた。
講堂の一角にシートを広げ、その上に座り込んで行う作業だった。
その間、旧校舎の美術室での活動は中止になっている。
間宮先生。
黄島さん。
岡崎先輩。
真壁先輩。
中等部の3人。
そして、真紀と私。
合計9人が、夕方の時間帯を講堂で過ごすようになっていた。
気づけば、段ボールの中は少しずつ赤い造花で埋まっていった。
「これ……けっこう楽しいわ」
真紀が、そう呟いた。
手先が器用な彼女は、私の倍くらいの早さで造花を完成させている。
皆、楽しそうだった。
真壁先輩も、無邪気な笑顔を振りまきながら、他の部員たちと言葉を交わしている。
私はその光景を見て、少しだけほっとした。
少なくとも今の真壁先輩は、いつもの真壁先輩に見えた。
*
翌日の昼休みのことだった。
いつものメンバーで昼食をとっていると、そのうちの1人が不意に口を開いた。
私や真紀と同じ、外部受験組の子だった。
「私の友達でC組の子がいるんだけど、彼女、生徒会に入ったんだよ」
神妙な顔つきだった。
これから話そうとしているのは、きっとまた“怪談”に纏わることではないか。
真紀はそれを察知したのか、窓の外へ目を向けた。
外は、梅雨入り前の快晴だった。
空には、雲ひとつ浮かんでいない。
けれど射し込む日の光は、少し冷たい色に見えた。
その子は、そんな真紀の様子など気にすることもなく、話を続けた。
「生徒会室って、旧校舎の1階にあるのは知ってるよね? で、すぐ隣が例の“資料室”なんだけどさ」
彼女は目を細めて、一拍置いた。
「その子が学校誌の編集を担当することになって、けっこう遅い時間まで部屋に残ってたらしいんだけどね……聞こえたらしいんだよ。隣の資料室から――」
真紀は咳払いをして、窓の外から目を離さない。
私は思わず身を乗り出して、その子に訊いた。
「へえ……何が?」
その子は、私の期待通りの反応に満足したのか、一瞬だけ笑みを浮かべた。
けれど、またすぐに真顔に戻る。
「女の人の囁き声。あと、男の人の呻き声も聞こえたらしいんだ」
その子が言った瞬間、他の子たちも当然のように低い声で反応した。
「本当に?」
「怖いよね……」
私も、鳥肌が立っているのがわかった。
しかも、私は一度、資料室に足を踏み入れている。
あの湿っぽい空気。
奥の薄闇から、誰かに見られているような気配。
思い出すだけで、背筋が寒くなる。
それに――
女の人の囁き声。
男の人の呻き声。
女の方は、ずっと昔に殺された“秀麗女学院”当時の少女の声なのだろうか。
男の方は、その少女を殺して一家を皆殺しにしたという“九鬼貞一”なのだろうか。
そんなことを考えてしまった。
*
その日の放課後――
いつものように彼岸花の造花を作っていると、黄島さんが真壁先輩に声をかけた。
「真壁さん。明日には造花が全部出来上がるみたいですから、いよいよ飾りつけの段階に進みます。あなたが描いた絵を持ってきたらどうですか」
「そうですね。1人じゃ大変でしょうから、森崎さんか河野さんのどちらかが、真壁さんと一緒に旧校舎まで行ってくれないかしら」
続けて、間宮先生がそう言った。
今日の昼休みに、またしても旧校舎の怪談めいた話を聞いたばかりだ。
まだ夕方で、日は落ちていない。
それでも、真紀は縋るような視線を私へ向けている。
自分は行きたくない、と無言のまま訴えているのがわかった。
「じゃあ……私が」
私は小さく息を吐いて、そう言うしかなかった。
*
私は真壁先輩と一緒に、夕方の校庭を抜けて旧校舎へ向かった。
くすんだ木造の壁を、夕日が赤く照らしていた。
一歩中へ入ると、他の部活動の生徒もそれなりに残っているはずなのに、何となく人の気配が薄かった。
玄関を抜けると、夕闇に沈んだ廊下が、左右の奥まで伸びている。
壁に掛かっている“彼岸花の絵”は、夕日の赤に染められて、よりいっそう赤が際立って見えた。
私は、また真壁先輩が絵の前で立ち止まったらどうしよう、と考えていた。
けれど、それは杞憂だった。
真壁先輩は絵に目を向けることなく、そのまま廊下を進んだ。
私たちは階段を上り、美術室へ向かった。
イーゼルに立ててあった真壁先輩の絵を、2人で運び出す。
1階まで降りたところで、私たちは画板を廊下の壁に立てかけた。
「森崎さん、ごめん。私、トイレに行きたくなっちゃった。ちょっと待っててくれる?」
真壁先輩はそう言って、1階にあるトイレへ向かった。
大きな画板は、とても1人で運べるような代物ではない。
私はその場で、しばらく待つことにした。
ちょうど階段を下りた先の、廊下の右手には生徒会室があり、その奥にあるのが“資料室”だった。
生徒会室に、人がいる気配はない。
私は好奇心から、奥の資料室の扉の前まで進んだ。
大きな錠前が、人が中へ入るのを拒んでいるように見えた。
すると――
はあ、はあ……。
ううう……。
扉の奥から、息遣いとも呻き声ともつかない音が聞こえてきた。
辺りは、しんと静まり返っている。
私は息を止めた。
しばらくすると、今度は――
ひそひそひそ……。
女性の小さな声のようなものが聞こえた。
氷のように冷たい声だった。
私は慌てて、その場を離れた。
気がつくと、背中に薄らと汗が滲んでいた。
ちょうどその時、真壁先輩がトイレから出てきた。
「あれ? 顔色が悪いみたいだけど」
真壁先輩は私の顔を見るなり、そう声をかけた。
よほど表情に出ていたのだろう。
「あっ……い、いいえ。別に……」
私の口から出た言葉は、それだけだった。
ここで何かを言ってしまったら、真壁先輩がおかしくなってしまうのではないかと思った。
「だ、大丈夫です。皆、待ってますから、早く講堂に戻りましょう」
私は無理に笑って、できるだけ平静を装った。
「それならいいけど……。じゃあ、行こうか」
真壁先輩は、それ以上追及しなかった。
2人で画板を持ち上げ、再び旧校舎の廊下を歩き始めた。
普段よりも、床板の軋む音が大きく感じた。
私は途中で、壁の“彼岸花の絵”に少しだけ目をやった。
先ほどよりも薄暗くなった廊下の中で、彼岸花の赤は暗い色味に変わっていた。
そして――
その赤が、これから講堂へ運ばれていくような気がした。




