第25話 尚美の横顔
黄島さんは、間宮先生に案内されて美術部の部室へ入ると、興味深そうに生徒たちの絵やデッサンに目を通していった。
1階の廊下で見せた、冷えたような表情はもう消えている。
初めて会った時と同じ、柔和な表情に戻っていた。
「それにしても、皆さん、大変絵がお上手です。特に、この絵はどなたがお描きになったんですか?」
黄島さんの視線の先には、まだ描きかけの“赤い彼岸花”の絵があった。
「あ……それ、私です」
真壁先輩が顔を赤らめ、少し気恥ずかしそうに答えた。
「まだ途中のようですが……昔の話ですけど、同じような絵を描いた方々を知っています。その絵も、とても素晴らしかった。これは、あなたがお1人で?」
「は、はい!」
真壁先輩は、恥ずかしさから逸らしていた視線を戻した。
黄島さんの顔をまっすぐに見ながら、興奮したような声で返事をした。
「……そうですか。その絵は2人の方で完成させたものですけれど、あなたお1人なら、けっこう大変でしょう?」
「いいえ。私は絵を描くのが大好きなんで、全然苦になりません」
真壁先輩の口調は弾んでいた。
親に褒められた子供のような、満面の笑みを浮かべていた。
そして真壁先輩は、黄島さんに唐突な質問をした。
「あ、あの……もしかして、その絵って……1階の廊下に飾ってある、あの絵ですか?」
けれど、黄島さんはすぐには答えなかった。
穏やかな表情を崩さないまま、ただ微笑んでいる。
「あの絵……何か惹かれちゃうんです」
真壁先輩がそう口にすると、ようやく黄島さんは短く答えた。
「ご想像にお任せします」
その声色は優しいのに、どこか遠かった。
*
間宮先生が黄島さんを見送りに出た後――
私と真紀、岡崎先輩、真壁先輩、中等部の子たちは、それぞれの席に着いて、絵やデッサンを描き始めた。
中等部の子の1人が、隣の席で画板に色を置いていた真壁先輩に向かって言った。
「真壁先輩、すごいじゃないですか! やっぱり先輩の絵の才能は、本物ですよね」
歯の浮くようなお世辞にも聞こえる。
けれど、その子の表情は真剣そのものだった。
「次の部長は、もう間違いなく尚美に決まりだね!」
岡崎先輩まで、そんなことを口にした。
真壁先輩は一言も発しなかった。
ただ、ひたすら筆を握り、画板と向き合っている。
部室の中央付近には、イーゼルが7つ、円を描くように並んでいた。
私はそのうちの1つを前にして、椅子に腰を下ろしている。
私のいる位置からは、ちょうど真壁先輩の横顔が見えた。
表情が、少し綻んでいた。
目を細めて、口元を緩めていた。
真壁先輩は言葉にこそ出さなかったが、明らかに喜んでいるように見えた。
けれど、その笑みは、どこか絵の方へ向けられているようでもあった。
*
部室の壁の高い位置に設置してある古めかしいスピーカーから、チャイムの音が鳴り響いた。
壁の時計に目をやると、ちょうど午後6時を指していた。
あと1か月近くで夏至になるせいか、外はまだ明るい。
夢中になっていたこともあって、時間が経つのを早く感じた。
私は、ようやく納得のいくデッサンを描き上げた。
次回からは、これを画布の上に描き移す作業が待っている。
星華女子のスクールバスは、午後6時20分に、行先ごとに何台かの最終便が駐車場から出発する。
最終便を逃すと、公共交通機関を利用しなければならない。
今日は、最終便に乗れそうだ。
岡崎先輩と中等部の子たち、そして真紀も「お疲れさまです」と言って、荷物を纏め始めた。
けれど、真壁先輩だけはそんな気配がなかった。
まだ居残るつもりなのだろう。
他の部員が部室を出た後、私は何となく気になって、真壁先輩に声をかけようと近づいた。
真壁先輩は、私の存在など見えていないように、画板の上へ一心不乱に筆を滑らせていた。
“彼岸花の絵”は、もうあとわずかで完成しそうだった。
画板の大半を占める赤い色が、私の視界に飛び込んでくる。
けれど、真壁先輩は――
「意味のある形に……きれいに並べなきゃ……」
短く息を吐きながら、小さな声でそう呟いていた。
その表情には、不気味な笑みが浮かんでいる。
私はふと、半袖から覗く自分の両腕に目を落とした。
両腕には、びっしりと鳥肌が立っていた。
「お、お先に失礼します」
私は引きつった声で、どうにかそう言った。
真壁先輩には、何の反応もない。
私は踵を返すと、足早に部室を後にした。
一度も後ろを振り返らずに。




