第24話 黄色の研究員
毎年6月の第2土曜日と日曜日は、星華女子の文化祭が開催される。
中等部から高等部まで、クラスごとにテーマを決め、外部から訪れた人たちに発表する催しだ。
けれど文化部だけは、所属する部ごとに発表が行われる。
私の所属する“美術部”も、例外ではない。
所属するクラスではなく、美術部としての活動が優先されるのだ。
しかも文化部ごとの発表は、新校舎の手前にある大きな講堂で行われることになっていた。
普段は体育館として、屋内競技の運動部が使用している場所だ。
けれど文化祭が近づくと、私たち文化部も頻繁に足を踏み入れることになる。
5月も終わりに近づく頃には、その回数はいっそう増えた。
外部受験組である私と真紀にとっては、初めての経験だ。
人気の行事らしく、来場者は毎年軽く1,000人を超えるらしい。
美術部では、部員の描いた絵の披露の他に、講堂内の飾りつけも担当することになっていた。
そのためのレイアウトも、美術部に一任されているという。
けっこう大変な仕事だ。
私も真紀も、部室で内容を聞いた時には、思わず溜め息が出そうになった。
*
5月下旬のある日の放課後――
私たち美術部員は、新校舎の1階にある応接室に呼ばれた。
顧問の間宮典子先生からだ。
私たち美術部員に紹介したい人物がいるらしい。
応接室へ向かう途中の廊下で、部長の岡崎多香子先輩と一緒になった。
「間宮先生の知り合いで、今度の文化祭でいろいろアドバイスしてくれる人が来てるみたい。何か……県の外郭団体の人って聞いたけど」
岡崎先輩は私たちと並んで歩きながら、そう言った。
「外郭団体? 偉そうな感じのおじさんとかだったら、嫌ですよね」
真紀が思わず口を尖らせた。
「いや……私が聞いた話じゃ、間宮先生と同じくらいの年の女の人らしいよ」
岡崎先輩は歩きながら、前を向いたままで答えた。
いったい、どんな人なんだろう。
私の胸が、わずかに鳴った。
応接室の前に着くと、岡崎先輩が扉をノックした。
「失礼します」
岡崎先輩は緊張しているせいか、少し上ずった声を出しながら、ゆっくりと扉を開ける。
応接室には、高等部2年の真壁尚美先輩と中等部の子たちが、すでに集まっていた。
全員が壁際に姿勢を正して立っている。
手前のソファには、間宮先生が座っていた。
そしてテーブルを挟んだ奥のソファには、別の女性の姿があった。
岡崎先輩が言っていたように、間宮先生と同じくらいの年頃に見える。
細い金縁の眼鏡。
斜めに流した前髪。
肩に触れるくらいのミディアムヘア。
ベージュのジャケットに、同じ色のパンツスーツ。
ほっそりとした体形で、目鼻立ちも整っている。
女優みたいな人だ、と私は思った。
岡崎先輩は一礼して、部員たちが並んでいる壁際へ進んだ。
私と真紀も同じように一礼して、後に続く。
部員が全員揃ったのを確認してから、間宮先生が口を開いた。
「紹介するわね。県の歴史研究所の研究員でいらっしゃる“黄島早記”さんです」
間宮先生がそう言うと、黄島さんは立ち上がって私たちの方へ向き直り、軽く一礼した。
その所作のひとつひとつが、妙に美しく整っていた。
端整な容姿も相まって、まるで違う世界に住んでいる人のようにさえ見える。
間宮先生が続けた。
「黄島さんは、主に美術史や風土史を研究なさっていて、特に絵画やデザインに造詣が深い方なの。先日の研修でご一緒させていただいて、今度の文化祭に向けて協力をお願いしたら、快く引き受けてくださったわ。しばらくの間、星華女子に顔を出していただけることになったの。黄島さん、生徒たちに一言お願いします――」
間宮先生が、黄島さんにそう促した。
黄島さんは穏やかな表情のまま、私たちに向かって口を開いた。
「ご紹介いただいた黄島です。こちらの学校でしばらくの間、皆さんのお手伝いができればと思います。皆さんは美術部ですから、もちろん“絵”を描いていらっしゃると思います。“絵”は、描いた人が亡くなった後も、永遠に残り続けるものです。そういう活動に携わっていることを、どうか誇りに思ってくださいね」
特徴的な、少し高めの声だった。
私は、黄島さんの話した内容に少しだけ違和感を覚えた。
それが何なのかと問われれば、うまく説明できない。
けれど――
柔和な顔つきとは対照的に、その言葉には少しだけ冷たいものが混じっているように感じた。
ふと、右隣に立っていた真壁先輩の方へ目をやった。
真壁先輩は、黄島さんの姿をまっすぐに見つめていた。
その目は、彼女に憧れているようでもあり、何かに魅せられているようでもあった。
*
間宮先生の提案で、黄島さんを旧校舎にある美術部の部室へ案内することになった。
旧校舎の入口付近に差しかかった時だった。
御厨さんの姿が見えた。
新校舎と旧校舎の間にある焼却炉で、何かを燃やしている最中だった。
美術部の部室を見学に行ったあの日以降――
遠目にその姿を見かけることは何度もあった。
幸い、こちらに気づいても、近寄ってくるようなことはなかった。
その時は私も、できる限りの愛想笑いを作りながら、頭を下げた。
けれど、ぼさぼさの髪と、腰の曲がった姿は、やはりどうにも苦手だった。
今回はわりと距離が近かったので、他の部員たちも一緒に「こんにちは」と声を出した。
真紀が私の耳元で、間宮先生や黄島さん、他の部員たちには聞こえないように囁いた。
「やっぱり、気持ち悪いよね」
御厨さんは私たちの姿を認めると、軽く一礼した。
何やら口元を動かしているのも見えた。
おそらく、あのたどたどしい口調で「こんにちは」と返していたのだろう。
けれど、焼却炉の中で炎が弾ける音に掻き消されて、まったく聞き取れなかった。
旧校舎の中へ入り、廊下に出ると、黄島さんの足が止まった。
壁に掛かっている“彼岸花の絵”の方へ向き直り、じっと見つめ始める。
「この絵は?」
そう呟いた黄島さんの穏やかな表情が、すっと冷えたように見えた。
真壁先輩が黄島さんの隣に立った。
そして絵と黄島さんを交互に見ながら、弾んだ声で言った。
「この絵は、ずっと昔からここに飾られてるみたいですよ。素敵ですよね? 私……この絵を見ると、何となく絵の中に引き込まれそうになっちゃうんです」
けれど、黄島さんは真壁先輩の方へ顔を向けなかった。
絵から視線を外さずに、一言だけ呟いた。
「まだ……名前を持たないのですね」
私には、その言葉の意味がわからなかった。




