第23話 旧校舎の怪
翌日の昼休み――
この日は午後最初の授業である5時間目が、先生の都合で自習になると予告されていた。
そのせいか、昼休みの教室は、普段以上に浮き足立っていた。
いつものメンバーで机を寄せ合って昼食をとっていると、またしても怪談話で盛り上がった。
真紀は昨日の午前中に早退してから、今日も体調が戻らないらしく欠席だった。
真紀は、欠席していてよかったかもしれない――
そう思った。
いつも以上に、話の中身が具体的で、妙に強烈だったからだ。
メンバーの2人がそれぞれ、仕入れてきたという話を自慢げに披露し始めた。
私はやはり好奇心を抑えきれず、気づけば前のめりになって耳を傾けていた。
彼女たちの話は、こういう内容だった。
*
【Aさんの体験談】
Aさんは茶道部の部員だった。
茶道部は、旧校舎の3階にある。
その日――
Aさんは帰りのスクールバスの中で、手入れのために持ち帰るはずだった道具一式を、部室に忘れたことに気づいた。
そのまま公共交通機関に乗り換え、学院に戻った頃には、冬場だったこともあり、日はすっかり落ちていた。
旧校舎のいくつかの窓には、まだ明かりがついていた。
幸い、施錠もされていなかった。
けれど、いったん足を踏み入れると、1階の廊下は静寂と暗闇に沈んでいた。
Aさんは小走りで3階の茶道部の部室まで行き、無事に道具一式を手に入れた。
そして、薄暗い廊下を進み、階段を下りる。
ちょうど1階に下りる踊り場の辺りに差しかかった時だった。
こつん。
こつん。
階段の上の方から、そんな音が聞こえてきた。
3階の部屋は、どれも消灯されていて、人の気配はないはずだった。
こつん。
こつん。
音は、ゆっくりと階段を下りて、Aさんに近づいてくるようだった。
まるで、硬いブーツのヒールが床に反響しているような音。
Aさんは背筋に悪寒が走り、一刻も早くその場を離れなければと思った。
けれど、身体が動かなかった。
金縛りにあったように。
こつん。
こつん。
音は容赦なく近づいてくる。
もう階段の折り返しを曲がれば、明らかにAさんの視界に入る位置まで来ていた。
Aさんは顔を引きつらせ、脚をがたがたと震わせていた。
こつん……。
音が止まった。
その瞬間、今度は嫌な気配が、上の方から降りてくるように感じた。
Aさんは、かろうじて動く首だけをその方向へ向けた。
青白い顔をした少女が立っていた。
明らかに、この世に生きている人間の顔ではないと思った。
花柄の着物に、赤い袴。
足元には、黒いブーツ。
昔の女学生のような姿だった。
よく見ると、その少女の足元には“赤い花びら”が落ちていた。
こつん。
こつん。
少女は、Aさんへゆっくり歩み寄ってきた。
気がつくと、お互いの息が触れ合うほどの距離まで近づいていた。
Aさんの生暖かい息とは反対に、少女の息は氷のように冷えていた。
やはり、生きている人間の吐息ではない。
少女は、首をゆっくりと左右に傾けながら、食い入るようにAさんの顔を見つめた。
その大きな目は、一度も瞬かなかった。
しばらくして――
透き通るような白い歯を見せ、にいっと笑った。
そこで、Aさんの記憶は途切れた。
Aさんは、旧校舎に残っていた生徒たちに、2階と1階の間の踊り場で気を失っているところを発見された。
Aさんは無事に自宅へ戻り、「夢だったのだろう」と思って眠りについた。
けれど翌日、助けてくれた先輩の1人から話を聞いて、Aさんの表情は凍りついた。
「3階の廊下からあなたが倒れていた踊り場まで、赤い花びらが落ちていたのよ」
*
【Bさんの体験談】
Bさんは図書委員だった。
ある時、同じ図書委員のCさんが、どういう経緯かわからないが、旧校舎の資料室の鍵を手に入れたらしい。
「あそこって“開かずの間”なんでしょ? 今度、一緒に行ってみようよ」
Cさんは無邪気な感じで、Bさんにそう声をかけた。
Bさんも、好奇心に駆られた。
放課後、旧校舎へ向かった2人は、1階奥の“資料室”の前に立った。
いざ扉の前に立ってみると、中からただならぬ気配が放たれているように感じた。
Cさんは緊張した面持ちで、大きな錠前の穴に鍵を差し込む。
そして、ゆっくりと回した。
がちゃり――
鈍い音が、人気のない廊下に響いた。
ゆっくりと扉を開けて、中へ入る。
書架の群れを目にしたCさんは、嬉々とした表情で駆け寄っていった。
Bさんは湿っぽい部屋の中で、誰かの視線を感じた。
自分とCさん以外、誰もいないはずなのに。
Bさんは落ち着かない様子で、入口付近をうろうろするのが精一杯だった。
そのうち、Cさんが古い新聞記事の切れ端を持って戻ってきた。
そこには、“九鬼貞一”という男が恋人を殺し、家族を殺し、挙げ句に自殺したという内容が書かれていた。
手前にあったテーブルの上で、Cさんはその記事に興味深そうに目を通していた。
Bさんは、やはり落ち着かなかった。
書架と書架の間にある薄闇から、何者かの視線を感じる。
Cさんは、まったく気づいていない様子だった。
けれど、Bさんの背中には、冷や汗が滲んでいた。
その翌日からだった。
Cさんの様子に、変化が起きた。
友達同士の会話の中で、
「九鬼貞一という人が、歩いているのを見た」
ということを言うようになった。
そして、とうとう、
「九鬼貞一って人から、私に毎晩電話がかかってくるの」
とまで言い出した。
Cさんのふっくらとしていた顔つきは、1週間もすると、見る見る痩せこけていった。
そのうち、Cさんは学校に来なくなった。
心配になったBさんは、思い切ってCさんの自宅を訪ねた。
Cさんの母親が出てきて、娘の様子がおかしくなったのは、ここ1週間ほどだと言う。
母親に尋ねてみたが、九鬼貞一という男から毎晩のように電話がかかってきた、という事実はなかった。
Cさんの妄想だった。
あの日からだ。
旧校舎の“資料室”に入った、あの日から。
BさんはCさんの母親に案内され、Cさんの部屋の前まで行った。
母親が部屋の扉をノックし、Bさんがお見舞いに来てくれたことを伝えた。
けれど、扉には鍵がかかっていて、中に入ることはできなかった。
Cさんの母親が、何度も声をかけた。
しばらくすると、部屋の中からCさんの声が漏れてきた。
「あの人が……九鬼貞一が……部屋の中を歩き回っているの」
数日後――
学校側から、Cさんが精神を病み、入院したという説明があった。
その後、Cさんがどうなったのかは、誰も知らない。
*
これらの話には、どちらも“数年前”というお決まりの言葉が付いていた。
根拠のない怪談話――
私には、そう受け取ることもできた。
ただ聞く分には、面白かった。
でも、昨日、私は資料室に入った。
九鬼貞一の記事も、この目で見ている。
だから、ただの作り話として笑うには、少しだけ生々しすぎた。
放課後――
私は美術部の部室へ向かうため、旧校舎を訪れた。
怪談が本当かどうかにかかわらず、やはりこの校舎には少し湿っぽい空気がある。
1階の廊下の先に、真壁先輩が立っているのが見えた。
真壁先輩は、あの“彼岸花の絵”をずっと見つめていた。
よほど集中しているのか、私の存在に気づいていないようだった。
「真壁先輩」
私が声をかけて初めて、真壁先輩はこちらを振り向いた。
「あら、森崎さん」
それだけ言うと、また絵へ視線を戻した。
目が、どこか虚ろに見えた。
何かに魅せられているかのように。
「先に部室に行ってますね」
私がそう声をかけても、返事はなかった。
すれ違いざま、真壁先輩の口元が少しだけ緩んでいるのに気づいた。
その横顔は、どこか笑っているようにも見えた。




