第22話 資料室の鍵
5月に入ってから――
私の星華女子での部活動は、“美術部”になった。
活動日は週3回。
月曜日、水曜日、金曜日の放課後。
運動部に比べると、かなり緩い。
けれど、私にとっては、どれも生まれて初めての経験だった。
中学時代まで、“美術”の授業にまともに向き合った記憶がない。
せいぜい、宿題として出される“お絵描き”の延長くらいに思っていた。
鉛筆でデッサンをするところから始めるなんて、あまりにも新鮮だった。
でも、もう何週間も、そこで止まっている。
自分で納得がいくまで、何度も何度も描き直していた。
「焦らなくて大丈夫だよ。私なんて、画板に描き移すまでに3か月以上かかったんだから」
部長の岡崎先輩が、そう言って慰めてくれた。
お気に入りの写真をもとにデッサンを描く。
ただそれだけなのに、これがなかなか難しい。
単純な風景写真に見えても、いざ始めてみると、思っていた以上に骨が折れる。
写真を何枚も替えて描いてみても、初心者では似たり寄ったりの図案にしかならない。
真紀も、かなり苦労しているようだった。
それに比べて、他の子たちのデッサンには驚いた。
本当に上手なのだ。
中等部の子たちは皆、どうやら入学前から絵画教室に通っていたという“強者”らしい。
そんな中で、私の目は真壁先輩の画板に留まった。
もう画板に図案を落とし、あとは色付けに入るくらいの段階まで進んでいる。
聞いたところによると、真壁先輩は中等部からの内部進学者で、入学してからずっと美術部に所属しているらしい。
画板は、たくさんの彼岸花の形で覆われていた。
以前、私は尋ねたことがある。
「どうして“彼岸花”なんですか」
真壁先輩の答えは、あっさりしたものだった。
「旧校舎の廊下の絵に影響されて」
やはり、私の勘は当たっていたことになる。
旧校舎を訪れるたび、あの絵は何度も目にするようになっていた。
一度だけ、快晴の日の明るい廊下で、立ち止まってゆっくり観察してみたことがある。
不思議な絵だった。
真っ赤な彼岸花の群れ。
真っ青な空の中に立ち上がる、真っ白な入道雲。
金色の額縁には、左右非対称の、まるで統一性のない模様が刻まれていた。
彼岸花は、花弁のひとつひとつまで丁寧に描かれている。
それ自体が、まるで生き物のようだった。
あれっ?
そう心の中で呟いて、私は目を凝らした。
気のせいかもしれない。
けれど、花と花の間に、“妖精”のようなものが見えた気がしたのだ。
でも、しばらく間を置くと、もうそれは見えなかった。
ただの、花と花の隙間。
それだけだった。
*
5月も下旬に差し掛かった木曜日――
放課後、廊下で間宮先生から呼び止められた。
「森崎さん。今からちょっと時間ある?」
美術部の活動がない日は、バレー部の練習に顔を出すことがあった。
いちおう、洗濯済みのユニフォームは、いつも自分のロッカーにしまっている。
伊勢崎先生の顔を立てるためでもあった。
この日、真紀は体調不良で午前中に早退していた。
だから、なおさらバレーの練習に参加してみようと思っていたのだけれど――
間宮先生の表情には、何かを見つけた子供のような笑みが混じっていた。
私は「もしかして……」と直感した。
そして、間宮先生の次の言葉で、その直感は確信に変わった。
「資料室の鍵……見つかったわ」
バレーの練習は、特に参加を決められているわけではない。
行かなくても、伊勢崎先生に責められることはない。
私は、好奇心に負けた。
「はい」
そう頷き、間宮先生に連れられて、新校舎の1階にある“図書室”まで足を運んだ。
奥のカウンター越しに、眼鏡をかけた女の先生が座っているのが見えた。
三枝由布子先生。
星華女子の司書の先生だ。
間宮先生よりも少し年上のようで、銀縁の眼鏡をかけている。
艶のある黒髪を低い位置でひとつに束ねた姿は、妙に古風で落ち着いて見えた。
間宮先生は、早足に三枝先生の方へ近づいていった。
私も、その後を追う。
「三枝先生。お尋ねしたいことがあるんですけど」
間宮先生はカウンターに両手をつくと、身を乗り出して言った。
「な、何ですか? 突然……」
三枝先生は、眼鏡越しに目を丸くした。
少したじろいでいるようにも見える。
けれど、間宮先生はお構いなしだった。
「こちらに、旧校舎の資料室の鍵が保管してあるって聞きました。お借りできませんか」
間宮先生の目は、幼い子供のようにぎらぎらと輝いていた。
三枝先生は、小さく溜め息をついた。
「……どなたに聞かれたかは存じませんけど、もし資料室に入られるのであれば、私も同席いたします。去年退職された前任の先生から、そう申し送りを受けていますので」
そう言うと、三枝先生は渋々と立ち上がり、図書室の脇にある小部屋へ入っていった。
そしてすぐに、年季の入った鍵の束を持って戻ってきた。
古びた金属が、三枝先生の手の中で小さく鳴った。
「お調べになるのは構いませんが、当校の歴史は、想像以上に複雑怪奇ですよ」
その言い方が、少しだけ引っかかった。
ただ古い資料を見るだけでは済まない。
まるで、そう言われたような気がした。
*
三枝先生に鍵を開けてもらい、私たち3人は旧校舎の資料室へ足を踏み入れた。
三枝先生が手前のスイッチを押すと、淡い蛍光灯の光が薄暗い室内を照らした。
定期的に清掃されているらしく、木製の壁や床は比較的きれいだった。
それでも、古い紙から放たれる独特の匂いが鼻を突く。
まだ梅雨前だというのに、中は妙に湿っぽかった。
分厚いブラインドが窓を覆っており、外からは様子が窺えない。
書架が6列、整然と並んでいる。
手前には、資料を閲覧するための机と椅子もあった。
間宮先生は、しばらくの間、書架の間を行ったり来たりしながら資料を物色していた。
三枝先生は入口近くに立ったまま、間宮先生の様子をじっと見ている。
私は三枝先生の横に、一言も発することなく佇んでいた。
やがて間宮先生が、いくつかの資料を抱えて戻ってきた。
それらを机の上に並べていった。
古い年報。
新聞の切り抜き。
旧校名に関する資料。
私は机のそばまで歩み寄り、資料をゆっくりと眺めていった。
旧校名は、“秀麗女学院”と書いてあった。
学校案内のパンフレットの沿革欄に書いてあったことを思い出した。
それまで、そのことはすっかり忘れていた。
その中に、ひときわ私の目を引いたものがあった。
3枚の古い新聞の切り抜きだ。
日付はそれぞれ、大正12年9月25日、大正12年10月30日、大正12年11月5日。
記事の内容を、私は目で追っていった。
大正12年9月25日。
秀麗女学院の生徒が、何者かに殺害されたという記事。
大正12年10月30日。
その生徒を殺害した容疑者と思われる“九鬼貞一”という青年が、一家を惨殺したという記事。
大正12年11月5日。
九鬼貞一が拘置所内で自死したという記事。
その記事を見て、私は思った。
前に内部進学の子が言っていた噂話は、本当だったのだ。
ただの怪談ではなかった。
部屋は蒸し暑いはずなのに、私の全身を真冬のような冷たさが包んでいった。




