第19話 古い噂
早いもので、私が“星華女子学院高等部”に入学してから、もう1週間が経とうとしていた。
星華女子は、中高一貫の女子校だ。
中等部は1学年3クラス。
高等部は1学年5クラス。
広島市近郊では、わりと有名なお嬢さま学校だった。
高等部の3割近くは、中等部からの内部進学者。
残りの7割が、外部からの受験組だ。
私――森崎千晶は、外部からの受験組だった。
“星華女子”は受験偏差値が高い。
それなのに、バレーボールの強豪校でもある。
中学時代にバレー部に所属していた私は、当然のように、星華女子でもバレー部に入るつもりでいた。
だけど――
「おはよう。ねえ、千晶。今日の放課後、美術部の見学に先輩から誘われたんだけど、一緒にどうかな」
同じ中学出身で、幼馴染の河野真紀が、登校時のスクールバスの中で顔を合わせるなり、そう言ってきた。
「美術部? 何でいきなり美術部なのよ?」
真紀の突然の提案に、私は目を丸くした。
スクールバスの中ほどの席。
そこに座っていた真紀の隣へ腰を下ろすと、思わず口を尖らせてしまった。
真紀は、中学時代はバスケットボール部だった。
私と同じくらい、文化部には縁がないはずなのに。
「実はさ……」
左隣の私に顔を近づけると、真紀は少しだけ声のトーンを落とした。
「中学のバスケ部時代の先輩が、何と美術部の部長になっちゃってるんだよ。本人は高校に入ったら運動部は卒業するって言ってたんだけど、まさか美術部に入ってたなんて思わなくてさ」
真紀は小さく溜め息をついて、続けた。
「なかなか部員が集まらないらしいんだよ……。昨夜、わざわざ自宅に電話がかかってきてさ。お世話になった先輩だから、断りにくくて」
真紀は、助けを求めるような視線を私へ送ってくる。
星華女子では、必ず何らかの部活動に所属するよう決められている。
4月の末までに、入部を希望する部活動を担任の先生に提出することになっていた。
「それで……私まで道連れにしようというわけ?」
私が目を細めて返すと、真紀は両手を顔の前で合わせて呟いた。
「一生のお願い!」
こんなことに“一生のお願い”を使っていいのか、と言いたくなる。
けれど真紀は、目を閉じ、口をすぼめ、両手を合わせたまま、その姿勢を一向に解こうとしない。
私が呆れた顔でバスの天井を仰ぎ、
「いいよ」
と諦めの台詞を口にするまで、そう時間はかからなかった。
*
星華女子の校舎は、去年、新校舎が竣工したばかりらしい。
白を基調とした清潔なデザインで、いかにも女子校らしい外観をしている。
私たちが授業で1日の大半を過ごすのも、この新校舎だ。
戦後すぐの創立らしいので、今年で40年近くになる。
さらに、星華女子の前身に当たる学校があったらしく、そちらも合わせると80年ほどの伝統があると聞いた。
そんな伝統あるお嬢さま学校だから、校則はけっこう厳しい。
制服の着こなし。
スカートの丈。
髪型。
どれも細かく決められている。
窮屈な校風だとはわかっていた。
それでも、有名大学への推薦枠が多かったし、文武両道のイメージもあった。
周囲の評判もよかった。
内部進学した子たちも含めて、クラスには気が合う子が意外と多かった。
それは幸いだった。
いじめの噂も聞かない。
その辺りは、先生たちがしっかり目を光らせているようにも思える。
お嬢さまたちが集まった学校だけあって、世間で言われているような“荒れた学校”とは、明らかに無縁だった。
授業のレベルは高い。
でも先生たちは、高等部からの入学組にも、わかりやすく丁寧に教えてくれる。
だから私は、今のところ星華女子に入学してよかったと思っている。
*
昼休みになると、気の合うグループ同士で席を寄せ合い、お弁当を食べる。
ある程度裕福な家庭の子たちばかりなので、皆、母親に作ってもらった弁当をしっかり持ってきている。
真紀とも同じクラスだ。
彼女とは、小学校も中学校も同じだった。
考えてみると――
小学校低学年。
中学校2年と3年。
その頃も、同じクラスだった。
星華女子は1学年5クラスもあるのに、また同じクラスになったのだ。
彼女とは、よほど縁があるんだろう。
この1週間で、私と真紀は、他校出身の子2人、内部進学組の子2人と、たまたま一緒に昼食をするようになった。
席が近かったからだ。
そして、その内部進学組の1人が持ち出した話題が、私の好奇心を刺激した。
「この学校ってさ、裏の方に古い校舎があるでしょ――」
そうなのだ。
私たちが普段いる新校舎の北側、その裏手には、旧校舎の一部が取り壊されずに残っていた。
そこには、文化部の部室や、一部の特別教科で使われる教室、古い資料を保管していると言われている資料室などがある。
登校初日、新入生は学校の施設を一通り案内された。
その時、私もあの旧校舎へ足を踏み入れた。
新校舎とは空気が違っていた。
廊下の床は少し暗く、窓枠も古い。
壁の色も、どこかくすんでいる。
そこだけ、周囲から切り離されて、違う時間が流れているように感じた。
「そこってさ……“出る”らしいよ。昔、この学校で殺されたっていう女の子の幽霊が」
その子は、わざとらしく神妙な顔つきで、私たちに向かって口を開いた。
真紀はそういう話が苦手らしく、肩を竦めて「やめてよ」と小さく声を出す。
けれど、その子はお構いなしだった。
私を含めて、真紀以外の子たちは、目を輝かせて身を乗り出した。
女子の方が、男子よりも“この手の話”が好きなのかもしれない。
そういう意味では、真紀は明らかに例外だと思う。
中学時代に“心霊系”や“オカルト系”の漫画本を持ってきて回し読みしていたのも、決まって女子だった。
心霊写真。
トイレの妖怪。
音楽室の肖像画。
理科室の人体模型。
動き出す校庭の石像。
暇さえあれば、“学校の怪談”の類は女子同士の会話のネタになる。
けれどこの日、その子から聞いた話は、妙に現実的で生々しかった。
「この学校ってさ、昔は山手の方にあって、戦後しばらくしてから名前を変えて、ここに建ったんだって」
「引っ越したんだ。何でだろ?」
別の子が口を挟む。
「何か、いろいろあったらしいよ。詳しいことはわからないんだけど、昔、この学校に通っていた女の子が、恋人に殺されたらしいの。それから学校の中で変な出来事が続いたらしい。それで、広島に原爆が落ちた後に焼野原になって安くなった土地を買って、ここに移転してきたんだって」
内部進学の子は、淡々と口にした。
星華女子に長くいるだけあって、本当かどうかは別にしても、いろいろと詳しいようだった。
その後も、彼女はいくつかの噂を口にした。
赤い花。
立派な額に入れられた絵。
殺された女の子の祟り。
そんな古い噂が、内部進学者の間では有名らしい。
その話を聞きながら、ふと私は思い出した。
“赤い花”と“立派な額に入れられた絵”。
それなら――
登校初日に見たことがある。
古びた旧校舎の玄関を抜けた、少し先。
廊下の壁に、ひっそりと掛かっていた絵。
立派な金色の額縁に入った、彼岸花の絵だった。
独特の雰囲気を放っていたので、その時は思わず目を留めた記憶がある。
けれど、今はすっかり忘れてしまっていた。
内部進学の子の話で、その記憶が不意に甦ったのだ。
そして、その子が最後に漏らした言葉に、うららかな春の陽気が一瞬遠のいた。
「その女の子を殺した男の人ね……後で家族まで皆殺しにしたんだって」
背筋に、冷たいものが走った。




