第14話 黄島の笑み
翌水曜日の朝――
午前8時30分にベルが鳴り響いた後、教室で朝礼が行われた。
水城先生が、いつものように点呼を取る。
その声は淡々としていた。
まるで昨夜、緋色舎の談話室で向かい合っていた時とは、別人のように。
そのまま、水城先生の担当する国語の授業が始まった。
時折、先生から視線を向けられているような気もした。
けれど、それは私が気にしすぎていただけかもしれない。
今朝の通学路では、緋色舎の同級生である笹田良子と森裕子が、案の定、水城先生との会話の内容を訊いてきた。
2人とも、やはり気にしている様子だった。
けれど、水城先生との約束は守らなければならない。
私は「将来の進路についてのご相談に乗っていただいた」と、適当な理由をつけてその場をやり過ごした。
良子も裕子も、それ以上は追及しなかった。
少なくとも、表向きは納得してくれたようだった。
*
休み時間に1階まで降りると、私は職員室の手前にある壁へ目をやった。
そこには教師たちの名が書かれた木の札が掛けられていて、出勤した本人が、無地の裏面から名前のある表面へ返すようになっている。
札が無地の面を向けていれば、その教師はまだ出勤していないことになる。
「水城恒」と書かれた札の右隣に、「黄島早記」と書かれた札があるのを見つけた。
水城先生が昨夜言った通り、黄島先生は今日は出勤しているらしい。
職員室の扉は、そのすぐそばにある。
けれど、私はそれを開く気にはなれなかった。
扉の向こうは、なぜだか私たちのいる世界とは、まるで別の場所のように思えるのだ。
先生方から呼び出されでもしない限り、まず足を踏み入れることのない場所――
それほど遠く感じる場所だった。
*
夕方――
授業が終わると、私は今日も図画部の部屋へ行こうと思っていた。
図画部は、玲子先輩と私の2人だけの部だった。
けれど、たとえ今は私1人になったとしても、部としての活動をやめようとは思わなかった。
それに、顧問の黄島先生が今日は学院に来ている。
私が部屋の扉を開けると、やはりそこには黄島先生のお姿があった。
ちょうど私に背を向ける形で座り、イーゼルに立てた画板へ色を置いている最中だった。
よほど集中しているのか、私が入ってきたことにも気づいていないようだ。
「黄島先生」
私は思わず声をかけた。
それに気づいた黄島先生は、ゆっくりと振り返り、立ち上がって私の方へ向き直った。
背後の窓から射し込む夕方の光が、黄島先生の輪郭をいっそうくっきりと浮かび上がらせていた。
見れば見るほど、日本人形のように端整な顔立ちが際立っている。
けれど、やはり黄色のレンズの片眼鏡だけが、妙にそこから浮いていた。
「黄島先生……玲子先輩が――」
私がそう言いかけると、黄島先生も口を開いた。
「ええ……聞いています。私が留守の間に、そんなことが起きるなんて。悲しいことですわね」
目を細めて、神妙な面持ちだった。
しばらくして、黄島先生は一度天井を仰ぎ、それからゆっくりと背後の絵へ顔を向けながら口を開いた。
「しかしね……初音さん」
金色の髪留めで留められた黒髪が、夕方の光の中で、風もないのに微かに揺れたような気がした。
「玲子さんは、“形”になったと思うのです。美しい“形”として、永遠に残ると思うのですよ」
その言葉に、私の背筋はすっと冷えた。
“形”。
一昨日の朝に見た玲子先輩の亡骸。
薄い白い衣。
不自然に曲がった腕と脚。
上半身の両脇に、羽のように置かれた彼岸花。
たしかに、そうだった。
まるで玲子先輩は、何かひとつの“形”になってしまったかのようだった。
黄島先生の言葉は、まるで玲子先輩の亡骸をその目で見た人の感想のように思えた。
そして、再び私の方へ振り返った黄島先生の顔には、薄い笑みが浮かんでいた。
その笑みが、私にはたまらなく不気味だった。
悲しんでいるようにも見える。
けれど、どこかで満足しているようにも見える。
黄島先生は、そのまま私の方へ歩み寄ってきた。
やがて、顔を近づけるようにして、低い声でこう言った。
「そう考えた方が……玲子さんは浮かばれるのではないでしょうか」
一瞬、胸の奥で何かがざらりとした。
何かが、私の中でうまく噛み合わなかった。
黄島先生は、普通の人とはどこか違うのではないか――
そんなことを、私は思ってしまった。
けれど、次の瞬間、私自身も思い出してしまった。
玲子先輩の亡骸を見た時――
最初に胸へ浮かんだのが、“美しい”という言葉だったことを。




