第13話 残された図案
水城先生の言葉に、私は驚いた。
玲子先輩を殺した人間は――九鬼貞一。
水城先生の顔は、真剣そのものだった。
軽い思いつきや、冗談のつもりで口にした言葉ではないと、私には否が応でもわかった。
「学院側の方針として、この問題には触れないようにというお達しが出ています。きっと、九鬼家からの圧力を恐れているのでしょう」
水城先生は、声を落としたままそう言った。
たしかに九鬼家は、この辺りでは名の通った華族の家柄だ。
さまざまな事業に手を出していて、地元への影響力も強いと聞く。
だから、玲子先輩のご実家である二階堂家も、九鬼家との繋がりを隠すために、玲子先輩の存在そのものを消そうとしているのだろうか。
「私ね……片岡先生と協力して、いろいろと調べてみようと思うの。玲子さんが殺されて、しかもその痕跡すら消してしまうなんて……それでは、あまりに不憫ですもの」
「……私も、玲子先輩を殺した方のことは、憎くてたまりません。でも、それは……水城先生にとって、危ない橋を渡ることになるのではありませんか」
私は、水城先生の言葉を遮るようにして言った。
「もちろん、わかっています。慎重に動くつもりです」
水城先生は、目を細めて呟いた。
それから右手の人差し指をそっと唇に立て、さらに声を落とした。
「今ここで申し上げたことは、くれぐれもご内密に」
そして静かに立ち上がると、テーブルを回り込んで私のそばまで来て、耳元で囁いた。
「玲子さんが、いくつか図案を残しているはずよ。もし手に入るようなら、調べてみて。その図案には……九鬼貞一が関わっているような気がするの」
水城先生の口から出た、あまりに唐突な言葉だった。
けれど私は、その意味をすぐには理解できなかった。
「どういう意味ですか」と私が口を開く前に、水城先生は踵を返し、足早に談話室を後にした。
*
玲子先輩の図案――
水城先生には言わなかったが、それならもう、緋色舎の1階の空き部屋に保管してある。
もしかして、水城先生は私が図案を手に入れていることを、薄々勘づいていたのではないか。
それで、あんなことを言ったのだろうか。
私は談話室を出ると、そのまま廊下の突き当たりにある空き部屋の扉の前まで歩いていった。
天井からぶら下がっている白熱灯の弱々しい光が、扉の丸いノブを青白く照らしている。
私はノブをゆっくりと回し、扉を開けた。
ぎいっ、と鈍い音がして、その響きが耳の奥に残った。
闇に沈む部屋の中央まで進むと、私は電灯から垂れ下がる紐を引いた。
ちか、ちか、と数度点滅し、やがて部屋の中に淡い光が落ちる。
一瞬、目が眩んだ。
けれどすぐに慣れた。
部屋の隅には、いくつかの棚と、雑多な荷物が置かれていた。
その一角に目をやると、夕方運び込んだ画板の束をくるんだ布が見えた。
私は歩み寄り、布を外した。
それから、画板をひとつずつ床に並べていった。
しゃがみ込み、私はそれらを手に取りながら見比べてみる。
彼岸花の形。
花の配置。
さらによく見ると、背景の入道雲の形まで、どれも少しずつ違っている。
水城先生の言っていた、「九鬼貞一が関わっている」という意味は、もしかして――
彼が玲子先輩に、これらの図案を細かく指示していた、ということなのだろうか。
そう考えてみたものの、やはり私にはうまく理解できなかった。
ただ、見比べているうちに、また私は、彼岸花の隙間の空白に“妖精”がいるように見えてしまった。
それぞれ、形が違うのだ。
花の間に身を沈めているようなもの。
こちらへ来いとでも言うように、微かに手を上げているもの。
半身を捻り、何かを見せようとしているようなもの。
不意に振り返ったように見えるもの。
そして、誰かを包み込むように翅を広げているもの。
気のせいかもしれない。
けれど、天井から落ちてくる淡い光の中では、その空白がかえってそう見えてしまう。
気がつくと、自分の背中に薄らと汗が滲んでいるのがわかった。
*
しばらく絵を見つめた後、私は画板を元の場所へ戻そうとして、1枚ずつ手に取った。
その時だった。
1枚の画板に、違和感を覚えた。
1922年7月の日付が書かれたもの。
いちばん最初に描かれたと思われる画板だ。
下地の木の板と、図案が鉛筆で描かれた布の間に、“小さな長方形の何か”が挟まっているように感じた。
いったい何だろう。
そう思ったが最後、私の中に芽生えた好奇心は、もう簡単には消えなかった。
ちょうど部屋の奥の棚に、古びた鋏が置かれているのが目に入った。
画板の端をよく見ると、布がほんの少し浮いていた。
私は鋏を手に取ると、浮いていた布の端から片方の刃をそっと差し入れた。
そして布を丁寧に剥がしていくと――
1枚の写真が出てきた。
セピア色の、小さな写真だった。
そこには、1人の殿方が写っていた。
背の高い、整った顔立ちの人だった。
上半身だけが写った写真の中で、黒い詰襟に角帽を合わせた姿は、ひどく端整で、かえって冷たく見えた。
その姿を見た瞬間、胸の底に沈んでいたものが不意に浮かび上がった。
玲子先輩が亡くなる前の夜、夢の中で見た、あの学生服の人影だった。
背景は、おそらくどこかの海辺ではないかと思えた。
けれど、その表情はひどく希薄で、生気のようなものが感じられない。
殿方にしては、色白に見えた。
しかも、天井から降り注ぐ白熱灯の光のせいなのか、その白さが妙に際立っていた。
もしかして、この殿方が“九鬼貞一”なのだろうか。
その瞬間、私は、見てはいけないものを見てしまったような気分になった。
急いで写真を元の場所へ戻し、浮いていた布の端を丁寧に押さえつけた。
そしてその上に他の4枚の画板を重ね、布をかけた。
さらに棚にあった細い紐を、解けないよう画板の束に巻き付けた。
私は、それらを布ごと部屋の隅へ戻した。
電灯を消し、部屋を後にしようとした、その時だった。
後で思えば、気のせいだったのかもしれない。
けれど――
部屋の隅の暗がりから、誰かの視線を感じたような気がしたのだ。




