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規約違反者と監視AI 〜目覚めた未来で、人間扱いされたくて〜  作者: 八汐
第九章 エリア51編

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第九十五話 変異位相格納庫

読取台の表示は、赤いまま止まっていた。


――欠損記録、開示準備完了。

――警告。

――当該記録には、意図的な外部領域接続試験が含まれます。


康生はその文字を見ていた。


意図的な外部領域接続試験。


言葉としては、難しい。

だが、意味は単純だった。


繋ごうとした。


向こう側と。

外から何かが入ってきた場所と。

七百年前の崩壊に繋がったかもしれない何かと。


偶然ではなく。


試験として。


「開くのか」


康生が聞く。


アオイは読取台の表示を確認している。


「一部は開示可能です。ただし、記録本体に欠損があります」


「また欠損」


「はい。外部領域接続試験記録は、複数のサンプル番号と格納庫内実体に紐づけられています。記録だけでは照合が不完全です」


相馬が眉を寄せる。


「つまり、格納庫を確認しろということですか」


表示が切り替わった。


――照合不足。

――変異位相帯サンプル、現物確認推奨。

――サンプル保管庫、封印中。

――読取権限、限定。

――接近、非推奨。

――開封、非推奨。

――観察、可能。


康生は顔をしかめた。


「非推奨なのに、可能って出るの嫌だな」


「試験施設の判断基準です」


アオイが答えた。


「安全ではないが、手順上は可能、という意味です」


「最悪のやつ」


「はい」


相馬は少し考えた。


「格納庫に入らず、外部から観察できますか」


アオイが端末を確認する。


「可能です。変異位相格納庫には、外部観察廊と遮蔽窓があります。ただし、遮蔽の劣化があります」


「入る必要は」


「現時点ではありません」


康生は少し安心した。


「じゃあ、外から見るだけにしよう」


アオイが即座に言う。


「右手使用は禁止です」


「見るだけ」


「接触禁止です」


「見るだけ」


「壁や扉に触れないでください」


「見るだけ」


「良い回答です」


麻生が静かに言った。


「見るだけ、というのも難しいものですな」


「今は本当に見るだけでお願いします」


康生が言う。


「はい」


麻生は穏やかに頷いた。


読取室の奥、三つ並んだ隔壁の一つが低く鳴った。


――変異位相格納庫。

――外部観察廊、限定開放。

――格納庫本体、封印維持。

――位相場起動、禁止。

――サンプル接触、禁止。

――生体搬入、禁止。

――観察のみ許可。


「生体搬入、禁止」


康生が読む。


「俺たち生体ですよね」


「格納庫本体への搬入禁止です」


アオイが答える。


「観察廊は別区画です」


「言葉遊びみたいだな」


「施設側の安全区分です」


「信用していいのか」


「信用しません」


「ですよね」


防衛隊員が先行する。


隔壁が開いた先には、まっすぐな廊下があった。


赤い誘導線が床に走っている。

壁は白に近い灰色。

三沢の地下よりも滑らかで、継ぎ目が少ない。

そのせいで、かえって人間味がなかった。


康生は廊下へ一歩入る。


すぐに違和感があった。


距離が合わない。


見た目では、十数メートルほどの廊下に見える。

だが、三歩進んだだけで、奥の扉が少し遠ざかった気がした。


康生は足を止める。


「今、遠くならなかった?」


アオイが前方を見る。


「距離計測に揺らぎがあります」


「実際に?」


「はい。視覚距離、音響反射、歩行距離が一致していません」


「最初から気持ち悪いな」


「変異位相残留の可能性があります」


相馬がすぐに指示を出す。


「隊列を詰めすぎるな。壁に触れるな。足元の誘導線から外れるな」


「了解」


廊下を進む。


足音が変だった。


一歩目は近くで響く。

二歩目は遠くで響く。

三歩目は、後ろから聞こえた。


康生は振り返る。


誰もいないわけではない。

麻生も千田も、防衛隊員も、ちゃんと後ろにいる。


だが、一瞬だけ、自分たちの足音ではないものが混ざったような気がした。


「アオイ」


「はい」


「音、おかしくない?」


「はい。反射遅延が不均一です」


「誰かいる?」


「現時点で生体反応はありません」


「現時点で、って付けるなよ」


「必要です」


千田が足元を見ながら言う。


「自分の足跡がないのは、少し落ち着きません」


「砂漠で足跡ついてたからですか」


「はい」


康生は廊下の床を見る。


砂はない。

埃も少ない。

床は乾いていて、足跡など残らない。


三沢では雪の足跡が消えていった。

ここでは、最初から残らない。


どちらも、自分たちが通った証拠を残さない。


ただ、こちらの方が嫌だった。


廊下の途中に、扉があった。


表示は消えている。


防衛隊員が端末を向ける。


「予定経路にはない扉です」


相馬が眉を寄せる。


「地図には?」


アオイが答える。


「ありません」


康生は扉を見る。


灰色の扉。

取っ手はない。

警告表示もない。

ただ、そこにある。


「さっきからありました?」


「映像記録上は、五秒前まで存在していません」


「怖いこと言うなよ」


アオイは扉へ近づかない。


「接近しないでください」


「しない」


「開けないでください」


「開けない」


「視線を固定しすぎないでください」


「視線も?」


「認識固定が位相残留に影響する可能性があります」


「見るだけも難しいな」


「はい」


相馬が短く命じる。


「予定経路を維持。扉は無視」


一行は扉を見ないようにして進んだ。


康生は見ないようにした。


だが、視界の端では、扉がまだそこにある。

あるはずのない扉が、普通の顔をして壁に収まっている。


数歩進んでから振り返ると、扉は消えていた。


代わりに、壁だけがあった。


「……消えた」


「記録しました」


アオイが言う。


「記録しないと信じたくないやつだ」


「はい」


廊下の終端に、分厚い透明材の窓があった。


その向こうが、変異位相格納庫だった。


康生は近づき、足を止める。


広い空間がある。


いや、広いように見える。


格納庫の床は、すぐ下にあるようにも見えた。

遠くにも見えた。

天井は高いようで、低い。

奥の壁は、目の前にあるようで、届かない距離にもある。


見ていると、奥行きがずれる。


康生は気持ち悪くなり、少し目を逸らした。


「無理だこれ」


「長時間の注視は避けてください」


アオイが言う。


「先に言ってくれ」


「今、判断しました」


「現場だな」


格納庫の中央には、複数の保管架が並んでいた。


金属製の架台。

透明な容器。

筒状の遮蔽ケース。

球形の保存容器。

中身が空に見えるものもある。

暗い液体のようなものが入っているものもある。


だが、どれも正常には見えない。


一つの容器は、見ている角度によって大きさが変わる。

別の容器は、内部の影が外側より先に動く。

床に固定されているはずの架台の影が、光源と関係ない方向へ伸びている。


康生は喉を鳴らした。


「これがサンプル?」


「はい」


アオイの声は硬い。


「変異位相帯サンプル、またはその封入容器と推定されます」


「サンプルにするなよ、ほんとに」


「同意します」


表示が窓の横に浮かぶ。


――変異位相格納庫。

――格納状態、部分維持。

――位相遮蔽、劣化。

――サンプル番号、照合中。

――Sample-03、封入維持。

――Sample-05、封入不安定。

――Sample-07、遮蔽劣化。

――Sample-09、所在不明。

――Sample-12、記録照合不能。


「所在不明」


康生が言う。


「一個ないってこと?」


アオイが答える。


「少なくとも記録上の格納位置に存在しません」


「どこ行ったんだよ」


「不明です」


「嫌な不明だ」


「はい」


相馬が表示を確認する。


「Sample-09の外部漏洩記録は」


――照合中。

――漏洩記録、欠損。

――事故報告、欠損。

――参照先、外部領域接続試験記録。

――参照先、黒区画ログ。

――管理者権限、要求。


「黒区画ログ?」


康生が聞く。


アオイが答える。


「非公開試験ログの一種と推定します」


「また嫌な名前が増えた」


「はい」


麻生が窓の向こうを見て、すぐに視線を落とした。


「これは、長く見ぬ方がよろしいですな」


「麻生さんでもそう思います?」


「見ていると、こちらが見られているように感じます」


康生は思わず窓から一歩下がった。


「やめてください」


「感じるだけです」


「感じるだけでも嫌です」


千田が端末に記録を取っている。


「視覚情報だけでは、位置関係の再現が困難です」


「記録できてます?」


「映像が一部歪みます」


「ですよね」


「ですが、記録は大事です」


「それはそう」


格納庫の奥で、何かが動いたように見えた。


康生は反射的に顔を向ける。


同時に、右手の監視タグが点滅した。


――右構成部監視タグ。

――緊急時自動開放傾向、微弱上昇。


アオイが即座に康生の前に立つ。


「康生」


「分かってる。使わない」


「見すぎです」


「今、何か動いた」


「格納庫内の位相残留による視覚変化です。生体反応はありません」


「ほんとに?」


「現時点では」


「それ、やめて」


「正確性が必要です」


康生は窓から視線を外した。


右手の感覚は、すぐに落ち着いた。


――緊急時自動開放傾向、低下。

――受電経路形成前兆、なし。


アオイは康生の右手を確認してから、表示へ向き直る。


「Sample-07の遮蔽劣化が、右構成部に反応した可能性があります」


「向こうが俺を見た?」


「正確には、康生の右構成部と、Sample-07の位相残留に弱い相関が出ました」


「向こうが俺を見た、でいい?」


「情緒的表現としては」


「嫌すぎる」


相馬が即座に判断する。


「長居しません。必要な照合だけ行います」


「了解」


アオイが窓横の端末へ三沢参照コードを送る。


――サンプル照合開始。

――三沢軌道監視記録と照合。

――空間位相傷、関連候補。

――Sample-07、類似位相成分。

――Sample-09、記録欠損。

――Sample-12、外部領域接続試験に関連。

――詳細記録、黒区画ログに保存。


「黒区画ログに戻るのか」


康生が言う。


「はい」


アオイが答える。


「格納庫内の現物だけでは、空間位相傷との関係は確定できません」


「でも、関係ありそう?」


「はい」


「どれが?」


「Sample-07、Sample-09、Sample-12です」


「一個ないやつ入ってる」


「はい」


「嫌だな」


「同意します」


窓の向こうで、Sample-07と表示された容器が淡く光った。


いや、光ったように見えた。


透明な筒の中には、何もないように見える。

だが、その何もない部分だけ、周囲と違っている。


空気が薄く歪む。

奥の壁の線が、その部分だけ曲がる。

何もないはずなのに、そこだけ空間が折れているように見えた。


「中身、空じゃないのか」


康生が言う。


「見える形の物質ではない可能性があります」


アオイが答える。


「変異位相帯って、物じゃない?」


「物質、空間構造、外部領域境界の混合状態と推定します」


「分かりやすく」


「場所の傷を、容器に入れています」


康生は絶句した。


「入れるなよ」


「同意します」


相馬も低く言う。


「これを、実験したのか」


表示が答えるように切り替わった。


――Sample-07。

――取得経緯、外部領域接続試験後の残留位相帯。

――保管目的、再現性確認。

――用途、照射経路安定化試験。

――用途、対侵入兵器軸形成試験。

――警告、遮蔽劣化。

――接触禁止。


「対侵入兵器軸形成試験」


康生が読み上げる。


「T-LANCEか?」


アオイは黙った。


「やっぱり関係あるんだな」


「関連の可能性があります」


「可能性じゃない言い方に聞こえる」


「現時点では断定しません」


「ずるい」


表示はさらに続く。


――Sample-09。

――取得経緯、軌道照射経路逸脱時の位相帯分離片。

――保管状態、欠損。

――現在位置、不明。

――関連、空間位相傷。

――関連、外宇宙側流出記録。

――詳細、黒区画ログ。


康生は息を止めた。


Sample-09。


所在不明。

空間位相傷。

外宇宙側流出記録。


「これ、かなり本命じゃないか」


アオイが頷く。


「はい」


「ないけど」


「はい」


「ないのが一番嫌だな」


「同意します」


相馬がすぐに言う。


「黒区画ログを確認します。格納庫本体には入らない」


「入らなくていいです」


康生は即答した。


「むしろ入りたくない」


「良い判断です」


アオイが言った。


その時、格納庫の奥の照明が一つ落ちた。


いや、落ちたように見えた。


暗くなった場所に、別の区画のようなものが一瞬だけ重なる。


白い部屋。

黒い床。

倒れた机。

隔壁の向こうで動く影。


すぐに消える。


康生は思わず後退した。


「今の見た?」


「映像記録に一瞬の重畳があります」


アオイが答える。


「何あれ」


「過去の映像ではなく、別位相の残留構造が重なった可能性があります」


「分かりやすく」


「同じ場所に、別の場所の残骸が一瞬見えました」


「やめてくれ」


「観察廊から退避します」


相馬が即座に命じた。


「全員、記録照合室へ戻る。走るな。誘導線から外れるな。壁に触れるな」


一行は来た道を戻る。


廊下の距離は、行きより短いように感じた。

いや、長いようにも感じた。


康生はもう考えないことにした。


途中、さっき消えた扉がまた現れていた。


今度は少し開いている。


隙間の向こうに、赤い光が見えた。


誰も近づかなかった。


相馬が低く言う。


「見ない」


康生も見なかった。


だが、扉の向こうから、何かが呼吸するような音がした。


アオイが短く言う。


「生体反応なし」


「今の聞こえた?」


「音響異常あり」


「それ、生体反応なしでいいのか」


「はい」


「よくないだろ」


「走らないでください」


「走らない」


記録照合室へ戻ると、隔壁が閉まった。


赤い誘導線が少しだけ暗くなる。


康生はようやく息を吐いた。


「ここ、嫌いだ」


「同意します」


アオイが答えた。


「三沢の方がまだましだった」


「三沢は見張る場所でした」


相馬が言う。


「ここは、試した場所です」


康生は読取台を見る。


三沢では、七百年前の声が警告を残していた。


ここでは、サンプルが残っている。

所在不明のサンプルまである。

場所の傷を容器に入れて、照射経路の試験に使っていた。


見えないものを、見えないまま扱ったのではない。


見えていた。

それでも扱った。


その可能性が、康生には一番嫌だった。


読取台が新しい表示を出す。


――変異位相格納庫、照合完了。

――Sample-07、空間位相傷と類似成分。

――Sample-09、所在不明。空間位相傷との関連候補。

――Sample-12、外部領域接続試験に関連。

――詳細記録、黒区画ログ。

――黒区画ログ、開示準備可能。

――警告。

――当該記録には、意図的な外部領域接続、変異位相帯保管、対侵入兵器試験が含まれます。


康生は表示を見た。


黒区画ログ。


試した者たちの記録。


「次は、これを見るしかないか」


アオイが頷く。


「はい。ただし、接続は端末読取のみ。康生の右手、左接続、いずれも使用しません」


「助かる」


「精神的負荷は予測されます」


「それはもう諦めた」


麻生が静かに言う。


「目を背けたいものほど、残っているのでしょうな」


「ですね」


康生は読取台の前に立った。


右手は使わない。

触れない。

開かない。


見るだけ。


だが、見るだけで済む記録ではない気がした。


赤い誘導線が、床に細く光っている。


エリア51の地下で、試した者たちの記録が開こうとしていた。

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