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規約違反者と監視AI 〜目覚めた未来で、人間扱いされたくて〜  作者: 八汐
第九章 エリア51編

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第九十三話 砂漠へ

太平洋を越えたあとも、海はしばらく終わらなかった。


窓の外には、青黒い面が続いている。

雲の影が海面を流れ、白い波が細く伸びる。


ハワイ近海中継巣は、もう見えない。


だが、後方監視画面には、その黒い反応がまだ残っていた。

距離は離れている。

追尾反応も弱い。

飛行型の群れも散った。


それでも、消えたわけではない。


康生は小さな画面を見ていた。


「まだあるな」


「はい」


アオイが答える。


「往路では突破のみです」


「分かってる」


「右手は使用していません」


「それは良かった」


「良い実績です」


「一件だけな」


「積み上げてください」


康生は右手を見た。


布の下にある。

監視タグの表示は、今は落ち着いている。


――右構成部監視タグ、平常範囲。

――受電経路形成前兆、なし。

――緊急時自動開放傾向、平常範囲。


中継巣を抜ける間、何度も右手が動きかけた。

使えば何かできると思った。

いや、思うより先に身体が反応した。


だが、使わなかった。


アオイが止めた。

監視タグが鳴った。

相馬たちが動いた。

しらぬいが撃った。


自分一人でどうにかする場面ではないと、何度も言い聞かせた。


それでも、今になって肩が痛い。


「何もしないの、疲れるな」


康生が言う。


「何もしなかったわけではありません」


アオイが答えた。


「右手を使わない判断をしました」


「それ、何かしたうちに入る?」


「入ります」


「そうか」


「はい。重要です」


機体は北米西岸へ向かっていた。


しらぬいの支援範囲は、徐々に後方へ離れていく。

洋上支援の通信はまだ届くが、ここから先は旧北米側の地上情報に頼ることになる。


相馬が前方表示を確認していた。


「北米西岸、接近。旧沿岸都市圏の反応は低い。大型反応なし。小型反応は散発」


「着陸できる場所は?」


「旧軍用補助滑走路を使用します。完全な滑走路ではありませんが、高高度輸送機の緊急着陸基準は満たしています」


康生は嫌な顔をした。


「緊急着陸基準」


「通常空港は維持されていません」


アオイが言う。


「分かるけど、言葉が怖い」


「正確です」


「はい」


窓の外に、陸地が見えた。


最初は雲の切れ間に、茶色い線のように見えた。


海岸だった。


近づくにつれ、その線は崩れた街になった。

海沿いの建物は波に削られ、道路は砂と植物に裂かれている。

港の跡らしい構造物が、骨だけになって海へ突き出していた。


旧時代の西海岸。


そこに人の声はない。


高高度輸送機は沿岸部を越え、内陸へ向かう。

海の湿った色が、少しずつ薄れていく。


緑が減る。

水の気配が遠ざかる。

地面が茶色くなり、灰色になり、やがて乾いた黄色に近づいていく。


康生は窓に顔を近づけた。


「変わってきたな」


「はい」


アオイが答える。


「沿岸部を離れ、内陸乾燥地帯へ入ります」


「砂漠?」


「厳密には複数の地形を含みます。荒地、乾燥平原、旧都市跡、山地、砂漠」


「雑に言うと砂漠」


「はい」


「覚えたな」


「覚えています」


機体は高度を下げ始めた。


眼下に、まっすぐな道が見える。

長い。

ひび割れている。

途中で砂に埋もれ、ところどころで崩れた車両が黒い点のように残っていた。


旧高速道路。


その向こうに、低い山並みがある。

山の色は鈍く、遠くの空気は揺れていた。


雪の三沢とはまったく違う。


白く隠すものはない。

音を吸う雪もない。

ここでは、すべてがむき出しだった。


割れた地面。

錆びた標識。

砂を被った車両。

崩れた橋脚。

乾いた風。


隠されているのではなく、放置されている。


そんな場所だった。


「雪の方が、まだ優しかったな」


康生が言った。


「視覚的な印象ですか」


「たぶん」


「ここでは、壊れたものが隠れません」


「そう。それ」


アオイは短く頷いた。


「覚えます」


着陸地点が見えた。


旧軍用補助滑走路。


舗装は割れている。

だが、中央部だけは比較的平らに保たれていた。

両脇には砂が吹き溜まり、古い誘導灯の残骸が点々と並んでいる。


高高度輸送機が機首を下げる。


機体が揺れた。


康生は左手で固定具を握る。


右手は使わない。


「右手反応、平常範囲」


アオイが言う。


「着陸のたびに言うの?」


「必要です」


「はい」


着陸は荒かった。


車輪が滑走路を叩き、機体全体が跳ねる。

一度浮き、もう一度叩きつけられ、ようやく接地した。


内部の荷物が軋む。

固定具が鳴る。

誰かが短く息を吐く。


それでも、機体は止まった。


操縦補助要員が報告する。


「着陸完了。機体損傷、軽微。推進系、停止。姿勢制御、待機」


康生はしばらく座ったまま動かなかった。


「生きてる」


「はい」


アオイが答える。


「到着しました」


「飛行機って、すごいな」


「整備班の成果です」


「練馬に感謝だな」


「はい」


機体後部のハッチが開く。


外から、熱い空気が入ってきた。


康生は思わず顔をしかめる。


「暑い」


「外気温、高めです」


「数字は?」


「聞きますか」


康生は少し考えた。


「やめとく」


「良い判断です」


外へ出ると、空気が乾いていた。


三沢の雪の冷たさとも、東京地下の湿り気とも、太平洋の潮の匂いとも違う。


乾いている。

軽い。

喉の奥から水分を奪っていくような風だった。


砂が靴に当たる。

細かい粒が、滑走路の上を低く流れている。


千田がすぐに言った。


「防塵布を使用してください。靴の隙間も確認します」


「早い」


「砂は入ります」


「名言みたいに言わないでください」


「事実です」


防衛隊員たちが周囲を確認する。


大型反応なし。

小型反応、遠方に散発。

旧自動防衛機構、現時点で応答なし。

通信中継、限定。


しらぬいからの通信は弱くなっている。


「こちら、しらぬい。北米西岸到達を確認。以後、直接支援は限定的となります。データ中継を優先します」


相馬が答える。


「了解。こちらは陸上移動へ移行します」


「ネバダ統合試験区域までの経路を送信します」


端末に地図が出る。


旧高速道路。

砂に埋もれた分岐。

乾いた湖底。

山間ルート。

旧軍用道路。


その先に、赤い枠が表示された。


――ネバダ統合試験区域。

――Groom Lake Phase Test Range.

――外縁防衛機構、状態不明。

――地下区画、残存可能性。

――変異位相反応、未確認。

――接近注意。


康生は赤い枠を見た。


「まだ遠い?」


「陸上移動で数時間です」


アオイが答える。


「道は?」


「良好ではありません」


「でしょうね」


相馬が車両の準備を指示する。


高高度輸送機から、小型の陸上車両が降ろされた。

装甲は薄いが、砂地用に改造されている。

作業艇は機体に固定したまま、緊急用として残す。


「ここからは地上移動です」


相馬が言った。


「飛ばないんですね」


康生が聞く。


「試験区域周辺には、旧自動防衛機構が残っている可能性があります。航空接近は危険です」


「なるほど。落とされるかもしれない」


「はい」


「正直で怖い」


アオイが補足する。


「地上接近でも危険です」


「もっと怖い」


「必要です」


「何が」


「正確な認識です」


康生は水を飲んだ。


喉に入る水が、すぐに身体へ吸われていく感じがした。


砂漠は静かだった。


雪の三沢も静かだった。

だが、あの静けさは音を吸う静けさだった。


ここは違う。


音がないのではない。

音が遠くへ逃げていく。


風が吹く。

砂が走る。

どこかで金属片が揺れる。

それらの音が、乾いた空気の中で細く消えていく。


康生は空を見上げた。


青かった。


三沢の灰色の空とは違う。

太平洋の雲に覆われた空とも違う。


高く、乾いていて、何も隠していないように見える青。


だが、その上に空間位相傷がある。


地上からは見えない。

青い空には何もないように見える。


それでも、三沢の眼は見つけた。


見えないだけで、ある。


「砂漠の空って、綺麗だな」


康生が言う。


「はい」


アオイが答える。


「でも、信用できない」


「適切な警戒です」


「綺麗なのに?」


「見た目と安全性は一致しません」


「それ、エリア51にも言えそうだな」


「はい」


陸上車両が動き出す。


滑走路を離れ、旧軍用道路へ入る。


道路はひび割れている。

砂が溜まり、ところどころで路面が消えている。

古い標識が、傾いたまま立っていた。


文字は薄れている。


だが、近づくと、一部が読めた。


――RESTRICTED AREA.

――AUTHORIZED PERSONNEL ONLY.

――USE OF DEADLY FORCE AUTHORIZED.


康生は表示を見て、顔をしかめた。


「物騒だな」


「旧時代の立入禁止表示です」


アオイが答える。


「死力行使許可、みたいな?」


「はい」


「ここ、七百年前から性格悪いな」


「施設の性格ではなく、運用者の方針です」


「余計悪い」


麻生が標識を見つめる。


「招かれざる者を拒む場所ですな」


「俺たち、完全に招かれてないですよね」


相馬が答える。


「三沢の参照コードがあります。旧系統上は、読取権限の一部が存在する可能性があります」


「それ、招待状?」


「いいえ」


アオイが言う。


「鍵穴の位置が分かっただけです」


「鍵は?」


「現地で探します」


「嫌な侵入だな」


「調査です」


「言い方」


車両は進む。


砂が流れる。

遠くの山が少しずつ近づく。

熱で景色が揺れ、道路の先が水面のように見える。


康生は、それが幻だと分かっていても、目を離せなかった。


水があるように見える。

近づくと消える。


見えているのに、ない。

ないように見えて、ある。


三沢からずっと、そればかりだ。


雪に埋もれた滑走路。

地下の観測井。

空間位相傷。

欠けた記録。

砂漠の先の試験区域。


見えるものと、あるものが一致しない。


「アオイ」


「はい」


「ここ、三沢と逆だな」


「何がですか」


「三沢は雪で隠れてた。ここは何も隠してないように見える」


「はい」


「でも、たぶんこっちの方が隠してる」


アオイは少しだけ黙った。


「その可能性は高いです」


「嫌だな」


「同意します」


相馬が前方を示す。


「見えてきました」


康生は顔を上げた。


遠くに、低い構造物が見える。


砂に半分埋もれたフェンス。

崩れた監視塔。

地面に近い格納庫の残骸。

その奥に、乾いた湖底のような広い平面。


そして、さらに向こう。


山の影に隠れるように、黒い入口があった。


地上施設ではない。


地下へ降りるための口。


端末が反応する。


――ネバダ統合試験区域、外縁到達。

――Groom Lake Phase Test Range.

――外部参照コード、照合待機。

――旧米軍系自動防衛機構、応答なし。

――地下区画、低電力反応あり。

――変異位相残留、微弱。


康生は息を吐いた。


「着いたか」


アオイが答える。


「はい」


「エリア51」


「俗称です」


「今はそれでいいだろ」


「はい」


康生は乾いた風の中で、遠くの黒い入口を見た。


雪の下で見つかった砂漠への参照。


その先に、欠けた記録がある。


見張る者ではなく。


試した者たちの記録が。


砂が道路の上を流れている。


空は青く、何もないように見える。


だが、その下に、エリア51は残っていた。


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