表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
規約違反者と監視AI 〜目覚めた未来で、人間扱いされたくて〜  作者: 八汐
第九章 エリア51編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
93/116

第九十二話 中継巣

練馬航空整備区画の天井は、高かった。


地下にあるのに、空へ開くための場所だった。


古い高高度輸送機が、整備架の上で眠っている。

翼は長く、胴体は細い。

表面の装甲はくすみ、ところどころ補修板が当てられていた。


七百年前の機体。


そう聞くだけで、康生は乗りたくなくなった。


「これで太平洋を越えるんですか」


「はい」


相馬が答える。


「完全な単独横断ではありません。しらぬいの洋上支援、途中補助、緊急退避用作業艇を組み合わせます」


「つまり、単体では不安」


「はい」


「正直ですね」


「必要です」


アオイが機体の外装を見上げる。


「主翼制御、姿勢制御、補助電源は安定範囲です。推進系は低出力試験を通過。高高度巡航は条件付き可能」


「条件付き」


康生が嫌そうに言う。


「最近、その言葉ばかりだな」


「現実的な言葉です」


「嫌な現実だ」


機体側の端末が起動した。


古い合成音声が、整備区画に流れる。


――旧防衛隊高高度輸送機、補助管制起動。

――機体識別、劣化。

――搭乗者認証、暫定。

――任務目的、長距離輸送。

――目的地、北米大陸西部。

――航路上危険、海棲・飛行型中継巣。

――推奨、接触回避。


康生は端末を見る。


「機体にも言われてる」


「正しい推奨です」


アオイが答える。


「倒さないんだよな」


「はい」


「突破だけ」


「はい」


「右手は使わない」


「はい」


「警告を聞く」


「はい」


アオイは頷いた。


「良い確認です」


「言わされ慣れてきた」


「良い傾向です」


搭乗人数は最小限になった。


康生。

アオイ。

相馬。

麻生。

千田。

防衛隊員数名。

航空整備員一名。

操縦補助要員。


作業艇は機体腹部に緊急退避用として固定されている。

荷物は絞られた。

食料、水、医療キット、簡易観測端末、補修材、防塵布、砂漠用外套、予備靴下。


千田は靴下の数を最後まで確認していた。


「そこ、本当に大事なんですね」


康生が言う。


「濡れたまま砂漠に入ると、足を痛めます」


「なるほど」


「海上退避、砂漠行動、地下施設探索。すべて想定します」


「頼もしい」


「重要です」


機体に乗り込むと、内部は思ったより狭かった。


座席は簡素で、壁面には古い固定具が並んでいる。

窓は小さい。

外を見るためのものというより、機体がまだ世界と繋がっていることを確認するための穴に見えた。


康生は座席に固定されながら、右手を見た。


布の下。

監視タグは静かだ。


――右構成部監視タグ、平常範囲。

――受電経路形成前兆、なし。

――緊急時自動開放傾向、平常範囲。


アオイが隣に座る。


「右手を使う状況は想定していません」


「はい」


「想定外でも使いません」


「はい」


「中継巣を見ても、使いません」


「はい」


「防衛射撃で抜けます」


「はい」


「良い回答です」


「搭乗前の安全説明みたいだな」


「安全説明です」


康生は苦笑した。


機体が動き出す。


練馬航空整備区画の床に、低い振動が広がった。

天井の一部が開き、地上へ向かう斜路が露出する。

そこから灰色の光が差し込んだ。


東京地下の細い電気。

練馬三パーセント。

その力で、七百年前の翼がもう一度動く。


機体はゆっくり進み、斜路を抜け、地上へ出た。


荒れた東京の空が広がる。


康生は小さな窓から外を見た。


崩れた高架。

植物に呑まれた道路。

遠くに見える廃ビルの影。


その向こうに、海がある。


「離陸します」


操縦補助要員が言った。


機体の振動が大きくなる。


古い推進器が唸り、翼の下で空気が震えた。

機体が滑るように加速する。


康生は思わず座席の固定具を握った。


右手ではなく、左手で。


アオイが見る。


「右手反応、平常範囲」


「いちいち言わなくていい」


「必要です」


機体が浮いた。


地面が遠ざかる。

崩れた東京が小さくなる。

海が近づく。


康生は息を止めていたことに気づき、ゆっくり吐いた。


「飛んだ」


「はい」


アオイが答える。


「飛行状態、安定」


「七百年ものなのに」


「整備班の努力です」


「すごいな、練馬」


「はい」


機体は高度を上げ、太平洋へ向かった。


海は広かった。


地図で見た時よりも、ずっと広い。

窓の外には、ただ青黒い面が続いている。

ところどころに雲が影を落とし、白い波が細く見える。


しらぬいは、はるか下方の海上を並走していた。


通信が入る。


「こちら、しらぬい。高高度輸送機を捕捉。洋上支援を開始します」


相馬が答える。


「こちら輸送機。航路同期を確認。ハワイ近海中継巣との距離は」


「現時点で安全圏。ただし、巣周辺個体群の活動域が拡大しています」


中央表示に太平洋の地図が出る。


航路の先に、黒い反応がある。


中継巣。


康生はそれを見た。


「まだ遠いのに、嫌な感じするな」


「表示情報による心理反応です」


アオイが言う。


「そういうことなんだけどさ」


「情緒的表現でしたか」


「たぶん」


「覚えます」


機体は進む。


時間が過ぎるにつれ、青い海の表示に黒い線が増えていった。


海棲反応。

飛行型反応。

旧通信中継設備の残骸。

海底構造物。

巣核推定位置。


しらぬいが警告を送る。


「ハワイ近海中継巣、活動上昇。飛行型小型群、上昇中」


相馬が命じる。


「航路修正。接触最小化」


「了解」


機体がわずかに傾く。


窓の外の海が斜めになる。


康生は座席に押し付けられながら、表示を見る。


黒い点が、航路の周囲に広がっていく。


「来てる?」


「はい」


アオイが答える。


「飛行型小型群が接近しています」


「数は」


「聞きますか」


康生は少し考えた。


「やめとく」


「良い判断です」


外が暗くなった。


雲に入ったわけではない。


小さな影が、窓の外を横切った。


一つ。

二つ。

十。

もっと。


鳥ではない。


翼のような膜を持つ細長い影が、機体の外を流れていく。

体表は黒く、ところどころに白い斑点がある。

魚のようでもあり、虫のようでもあり、飛ぶために作られていないものが無理やり空を泳いでいるようでもあった。


飛行型クリーチャー。


康生は喉の奥が乾くのを感じた。


「見えた」


「はい」


アオイの声は落ち着いている。


「飛行型小型、接近。機体外装への接触はまだありません」


しらぬいの通信。


「防衛射撃を開始します。輸送機は高度維持。巣核方向へ接近しないでください」


「了解」


相馬が応じる。


遠く下方で、海上に細い光が走った。


しらぬいのレーザー防衛射撃だ。


空へ向けて何本もの光が伸び、飛行型の群れを散らす。

爆発は少ない。

派手な火球もない。

ただ、黒い影が崩れ、海へ落ちていく。


輸送機側の防衛機銃も動いた。


低い振動。

短い射撃音。

機体の周囲で、飛行型が弾かれる。


康生は右手を見た。


使わない。


監視タグは平常範囲。


「康生」


アオイが言う。


「見ているだけです」


「分かってる」


「分かった、は」


「見ているだけ。右手は使わない。防衛隊としらぬいに任せる」


「良い回答です」


その時、機体が大きく揺れた。


左側で鈍い音。


「接触!」


操縦補助要員が叫ぶ。


表示に赤い点が出る。


――左翼外縁、飛行型接触。

――損傷、軽微。

――姿勢制御、補正中。


康生の身体が反射的に動きかけた。


右手に熱のような感覚が走る。


同時に、端末が警告を出した。


――右構成部監視タグ。

――緊急時自動開放傾向、微弱上昇。


アオイが康生の手首を押さえた。


「康生」


「分かってる!」


「右手を使わない」


「使わない!」


康生は歯を食いしばり、右手から力を抜いた。


熱はすぐに弱まる。


――緊急時自動開放傾向、低下。

――受電経路形成前兆、なし。


アオイは手を離さなかった。


「良い制御です」


「褒められてる気がしない」


「褒めています」


「ならいい」


機体は雲の下へ出た。


そこで、中継巣が見えた。


遠くだが、見えてしまった。


海の上に、黒い柱のようなものが立っている。


いや、柱ではない。


海面から伸びた触手状の構造。

旧通信中継塔の残骸。

その周囲に絡みつく膜。

上空へ伸びる黒い糸。

海中から浮かび上がる巨大な影。

空を旋回する飛行型。


海と空を、無理やり縫い合わせたようなもの。


それが、ハワイ近海中継巣だった。


康生は息を呑んだ。


「でかい」


「はい」


アオイが答える。


「巣核への接近は禁止です」


「分かってる」


「見るだけです」


「見るだけ」


中継巣の周囲で、海が黒く盛り上がる。


海棲個体が浮上している。

鯨のような大きさのもの。

船の残骸を背負ったようなもの。

細長い群体のようなもの。


それらが、海面と空の影に合わせて動いていた。


しらぬいが通信する。


「巣核反応、活性化。ただし、輸送機への直接追尾は限定的。飛行型群のみ対応します」


相馬が短く答える。


「突破を継続」


「了解」


輸送機は高度を維持したまま、航路をずらす。


中継巣を倒すためではなく、避けるために。


しらぬいの防衛射撃が、飛行型の群れを散らす。

防衛隊員が機体内で端末を操作し、機体の防衛火器を制御する。

操縦補助要員が姿勢を保つ。


人間側の管理で、抜ける。


康生は何もしない。


何もしないことが、こんなに難しいとは思わなかった。


また飛行型が接近する。


機体の下方から、黒い影が突き上げてくる。


防衛射撃。

一つ落ちる。

二つ目は避ける。

三つ目が機体腹部へ近づく。


康生の右手がまた熱を持ちかけた。


――右構成部監視タグ。

――緊急時自動開放傾向、上昇。


「康生」


アオイの声。


「聞いてる!」


康生は目を閉じた。


見ない。


いや、見ないのではない。


右手で見ない。

右手で動かない。


今は、自分の手ではなく、周りを見る。


相馬の指示。

しらぬいの射線。

操縦補助の補正。

防衛隊員の端末操作。

アオイの警告。


全部が動いている。


自分一人でどうにかする場面ではない。


「任せる」


康生は呟いた。


「右手は使わない。任せる」


アオイが言う。


「良い回答です」


機体腹部へ迫った飛行型は、しらぬいの照射で海へ落ちた。


黒い影が水柱を上げる。


輸送機は抜ける。


中継巣が、少しずつ後方へ流れていく。


飛行型の密度が下がる。

海棲反応が遠ざかる。

旧通信中継設備の黒い柱が、雲と海の間に小さくなっていく。


しらぬいの通信が入る。


「危険域を離脱。飛行型追尾、減少。輸送機、航路復帰可能」


相馬が息を吐いた。


「航路復帰」


「了解」


機体の揺れが少し収まる。


康生はようやく、自分が肩に力を入れすぎていたことに気づいた。


アオイが右手を確認する。


――右構成部監視タグ、平常範囲へ復帰。

――受電経路形成前兆、なし。

――局所崩壊前兆、なし。


「右手、平常範囲です」


「よかった」


「警告を聞きました」


「聞いた」


「良い実績です」


康生は少しだけ笑った。


「実績、積めた?」


「一件、積みました」


「少ないな」


「積み上げてください」


「はい」


相馬が後方カメラの映像を表示する。


中継巣はまだそこにあった。


海と空を繋ぐ黒い構造。

旧通信中継設備に絡みついた巣。

飛行型が周囲を旋回し、海棲個体が海面の下でうごめいている。


倒してはいない。


避けただけだ。


康生はその映像を見た。


「残したんだな」


「はい」


アオイが答える。


「往路の目的は突破です」


「分かってる」


「現時点での殲滅は非推奨です」


「分かってる」


「帰路でも、同じ判断になるとは限りません」


康生はアオイを見た。


「嫌な言い方するな」


「状況は変化します」


「そうだけど」


画面の中で、中継巣は黒く脈打っていた。


見えないものを、見えないまま壊さなかった。


それは正しい判断のはずだった。


だが、正しい判断で残したものが、あとで道を塞がないとは限らない。


康生は右手を見る。


今は使わなかった。

使わずに抜けた。


それは、小さな勝利かもしれない。


だが、太平洋の黒い巣は、まだ海と空の間に残っている。


輸送機は西の海を越え、北米大陸へ向かう。


目的地は、砂漠。


欠けた記録が眠る場所。


エリア51。


その背後で、ハワイ近海中継巣は、倒されないまま遠ざかっていった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ