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規約違反者と監視AI 〜目覚めた未来で、人間扱いされたくて〜  作者: 八汐
八章 三沢基地編

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第八十四話 未処理警報

白い表示板に、古い文字が浮かび上がった。

七百年前の夜。

そう言われても、康生には想像できない。

夜だったのか。

昼だったのか。

雪が降っていたのか。

空が晴れていたのか。

ここにいた人間たちは、何を見ていたのか。

中央管制室は冷えている。

青白い誘導灯。

底の見えない観測井。

雪の下から起きたばかりの古い基地。

その中で、七百年前の警報だけが、まだ赤かった。

――旧監視ログ、開示。

――時刻同期、劣化。

――一部記録、欠損。

――警報系列、復元可能範囲を表示。

表示が切り替わる。

――重力歪み検出。

――観測点、関東東部。

――強度、軍用閾値超過。

――中核特異点炉反応、同時検出。

――ニュートリノ過剰放出。

――管理者確認要求。

康生は画面を見つめた。

「これが最初?」

アオイが答える。

「復元可能な範囲では、初期警報の一つです」

「一つ」

「はい。複数地点で同時期に警報が発生しています」

次の表示が重なる。

――重力歪み検出。

――観測点、日本海側。

――中核特異点炉反応、急増。

――位相揺らぎ、閾値超過。

――広域通信網、遅延。

――管理者確認要求。

さらに次。

――ニュートリノ過剰放出。

――観測点、太平洋側。

――炉反応、異常上昇。

――兵器転用疑い。

――防衛隊監視網、緊急警報。

康生は眉を寄せた。

「一か所じゃないんだな」

「はい」

アオイの声は硬い。

「複数の中核特異点炉、またはそれに準じる高密度エネルギー系が、短時間に異常運用されています」

「報復合戦か」

「その可能性が高いです」

中央表示装置に、日本列島の輪郭が浮かぶ。

点が灯る。

赤い点。

赤い線。

遅れて、また別の赤い点。

海沿い。

山間部。

都市の近く。

地下施設。

旧軍事施設。

赤い点は、ばらばらに見えて、すぐに線で繋がっていった。

誰かが撃った。

誰かが撃ち返した。

別の誰かが、それを見てまた撃った。

表示の中では、それがただの点と線でしかない。

だが、その下には都市があり、人がいて、施設があったはずだった。

康生は無意識に左手へ力を入れかけた。

すぐに、アオイが言う。

「康生。接続深度を維持」

「悪い」

「感情反応の上昇を検出しています」

「そりゃ上がるだろ」

「はい」

アオイは否定しなかった。

表示が次に進む。

――三沢統合観測防衛基地。

――緊急会議記録、一部音声復元。

――自動文字起こし、精度低下。

ノイズが走った。

古い音声が、中央管制室に流れる。

ざらついた声だった。

『……重力歪み、さらに増大。第三監視線、飽和します』

別の声が答える。

『兵器運用か』

『判定不能。ただし炉出力の立ち上がりが早すぎます。通常運用ではありません』

『全施設へ警報を送れ。高出力運用を停止させろ』

『送っています。応答がありません』

ノイズ。

『応答がない?』

『一部施設は受信確認のみ。停止承認なし』

『承認者は』

『不在、または権限移譲済み。現場判断で運用継続中』

音声が切れた。

中央管制室に、雪のような静けさが戻る。

康生は画面を見る。

「止めようとしてる」

相馬が低く答えた。

「はい」

麻生が目を伏せる。

「見ておった者は、いたのですな」

表示が進む。

――三沢基地より広域停止勧告を発信。

――対象、監視対象炉群二十一。

――内容、高出力運用停止。

――重力兵器使用停止。

――民間区域近傍での空間制御禁止。

――応答、六。

――停止受領、二。

――拒否、七。

――応答なし、十二。

康生は数字を見た。

「二つだけか」

「はい」

アオイが答える。

「停止を受領した記録が残るのは二施設のみです」

「少なすぎる」

誰も答えなかった。

次の音声が流れる。

『こちら三沢観測。高出力運用を停止してください。繰り返します。現在の重力歪みは臨界域に接近しています』

ノイズ。

『そちらの主張は確認した。だが、先に撃ったのは向こうだ』

『報復運用は連鎖を拡大します』

『こちらは都市を失った』

『だからこそ止める必要があります』

『止めたら次を撃たれる』

沈黙。

次の声は、別の回線だった。

『三沢は安全圏だから言えるんだ』

音声が途切れる。

康生は奥歯を噛んだ。

「それ、言われたら終わりだな」

相馬が表示を見つめたまま言う。

「現場は、そう感じたのでしょう」

「分かるけど」

「はい」

「分かるから、嫌だ」

アオイが静かに言った。

「報復判断は、各施設の局所合理性として成立していた可能性があります」

「局所合理性?」

「自分たちの施設、自分たちの都市、自分たちの生存圏だけを見れば、撃ち返す判断には理由があります」

「全体で見ると?」

「崩壊します」

康生は画面を見た。

赤い点が増えていく。

一つが二つに。

二つが五つに。

五つが十に。

止めるべき警報は、増えるほど聞かれなくなっていく。

表示が赤で埋まっていった。

――重力歪み、広域増大。

――時空位相揺らぎ、閾値超過。

――ゲート由来反応、疑似検出。

――外部侵入リスク、上昇。

――防衛隊監視網、緊急警報。

――管理者応答、なし。

「ゲート由来反応」

康生が呟く。

アオイが表示を拡大する。

――位相境界異常。

――原因不明。

――高密度重力運用の重複による時空構造劣化を推定。

――外部領域接続リスク。

――警告、継続。

「この時点で、もうクリーチャーの入口ができかけてた?」

「可能性があります」

アオイが答える。

「重力兵器と中核特異点炉の乱用により、空間構造が不安定化した。三沢はその兆候を検出しています」

「検出してたのに」

「止められなかった」

アオイの声は、いつもよりわずかに低かった。

相馬が拳を握っていた。

防衛隊の人間として、この記録を見るのは軽くないのだろう。

七百年前の防衛隊。

見張っていた者。

警告を出した者。

止めようとした者。

その末裔が、今ここで同じ警報を見ている。

表示がまた切り替わる。

――三沢統合観測防衛基地。

――緊急指令案。

――全中核特異点炉、高出力運用停止。

――重力兵器運用全面凍結。

――軍民問わず違反施設を隔離対象とする。

――承認待ち。

――上位指揮系統、応答なし。

――承認待ち。

――承認待ち。

――承認待ち。

康生はその同じ言葉を見続けた。

承認待ち。

三回。

四回。

五回。

最後まで、承認は来ていない。

「権限がなかったのか」

相馬が言う。

「三沢だけでは、止められなかったのでしょう」

「見る基地だからか」

康生が呟く。

「見張ることはできる。警告も出せる。でも、止める権限はなかった」

アオイが頷く。

「その可能性が高いです」

「きついな、それ」

見ることができる。

危ないと分かる。

このままでは壊れると分かる。

それでも、手を出せない。

康生は、少しだけ燈子のことを思い出した。

見ているしかなかった八分。

あれは長かった。

七百年前の三沢は、その八分をもっと長く、もっと広く、もっと絶望的な形で見ていたのかもしれない。

音声ログが再生される。

『承認はまだか』

『上位回線、応答なし』

『現場権限で停止勧告を最大強度にします』

『勧告では足りない』

『ではどうする』

沈黙。

『三沢から強制停止はできない』

『分かっている』

『分かっていて、見ているのか』

『見ていなければ、誰も分からなくなる』

康生は顔を上げた。

その声は、疲れていた。

怒っているようでもあり、泣きそうなようでもあった。

『記録しろ。全部だ』

ノイズ。

『誰も止められないなら、せめて何が起きたか残せ』

音声が途切れた。

中央管制室に、低い機械音だけが残る。

康生はしばらく何も言えなかった。

麻生が静かに言う。

「見張る者の、最後の務めですな」

千田が小さく頷いた。

「記録は大事です」

いつもの言葉だった。

だが、今だけは少し違って聞こえた。

表示が進む。

――広域監視網、部分崩壊。

――同期時計、精度低下。

――観測点、応答喪失。

――観測点、応答喪失。

――観測点、応答喪失。

――ニュートリノ過剰放出、継続。

――重力歪み、広域閾値超過。

――位相境界異常、拡大。

――外部侵入反応、初検出。

康生は息を止めた。

外部侵入反応。

その言葉が出た瞬間、中央表示の赤い点とは違うものが現れた。

黒い点だった。

日本列島の外縁。

海上。

山間部。

旧都市近傍。

ぽつり、ぽつりと増えていく。

「これが」

相馬が呟く。

「クリーチャーの初期侵入か」

アオイが答える。

「断定はできません。ただし、現代の侵入反応記録と類似しています」

康生は画面から目を離せない。

人間同士が撃ち合った。

その結果、外から何かが入ってきた。

原因は一つではない。

誰か一人が悪いわけでもない。

一発だけでこうなったわけでもない。

だが、積み重ねた結果が、ここにある。

七百年後の世界。

防人。

防衛隊。

東京地下。

燈子。

練馬。

康生自身。

全部、この赤と黒の点の先にある。

「ひでえな」

康生はそれだけ言った。

アオイは否定しなかった。

表示が最後の区間へ進む。

――三沢統合観測防衛基地。

――最終広域警報。

――全施設へ送信。

――内容、重力兵器運用停止。

――中核特異点炉高出力運用停止。

――空間制御実験停止。

――外部侵入反応、確認。

――報復運用継続は人類生存圏の維持を困難にする。

――即時停止を要求。

送信先一覧が流れる。

応答なし。

応答なし。

拒否。

通信不能。

応答なし。

受信確認のみ。

通信不能。

通信不能。

康生は黙って見ていた。

最後に、一つだけ表示が変わった。

――三沢観測区画、保護停止へ移行。

――観測記録庫、隔離。

――深層観測系、保護停止。

――炉監視網、待機。

――管理者、最終入力。

音声が一つだけ再生された。

ノイズがひどい。

それでも、言葉は聞き取れた。

『ここまで見た者へ』

康生の背筋が、少しだけ冷えた。

『我々は止められなかった』

音声の向こうで、警報が鳴っている。

『警告は出した。記録も残した。だが、止められなかった』

息遣いが入る。

『この記録を見る者がいるなら、同じものをもう一度見ているということだ』

康生は左手の冷たさを感じた。

『ならば、撃つ前に見ろ』

短い沈黙。

『使う前に見ろ』

また沈黙。

『見えないものを、見えないまま扱うな』

音声はそこで途切れた。

中央管制室は静かだった。

雪の音は聞こえない。

地上の白さも見えない。

だが、康生には、雪の下で薄くなる足跡が思い浮かんだ。

七百年前の足跡は消えた。

この声の主の名前も、分からない。

三沢で最後に誰が残ったのかも、分からない。

それでも、記録は残っている。

見ろ、と言っている。

康生は左手を接続口に置いたまま、ゆっくり息を吐いた。

「見えないものを、見えないまま扱うな」

アオイがその言葉を繰り返した。

「はい」

康生は頷く。

「俺に言ってるみたいだな」

「康生にも該当します」

「だよな」

相馬が画面を見つめたまま言う。

「旧防衛隊は、止められなかった。ですが、見るための技術と記録を残した」

「なら、それを使う」

康生が言った。

「今度は、使う前に見るために」

中央表示装置が静かに切り替わる。

――旧監視ログ、主要部開示完了。

――教訓項目、抽出可能。

――現行監視網への転用候補、三件。

――一、低精度広域重力歪み検出。

――二、ニュートリノ過剰放出警報。

――三、中核特異点炉同期異常監視。

――追加項目。

――外部保守端末、右構成部異常履歴との関連を検出。

康生は顔をしかめた。

「来たな」

アオイの声が硬くなる。

「右手診断要求に移行する可能性があります」

「今やるの?」

「安全手順が未確定です」

「じゃあ駄目か」

「はい」

康生は画面を見た。

七百年前の声が、まだ耳に残っている。

使う前に見ろ。

見えないものを、見えないまま扱うな。

ならば、右手も同じだ。

分からないまま使うから、透ける。

分からないまま無茶をするから、アオイが怒る。

分からないまま頼られるから、神だの天使だの言われる。

康生は小さく息を吐いた。

「アオイ」

「はい」

「右手の診断、安全にできる手順を作ろう」

アオイはすぐには答えなかった。

ほんの短い沈黙のあと、頷く。

「はい。こちらが主導権を保持します。三沢管理系には渡しません」

「頼む」

「覚えます」

中央表示装置の赤い警報は、まだ消えていなかった。

七百年前の未処理警報。

止められなかった人間たちの声。

三沢はそれを抱えたまま、雪の下で眠っていた。

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