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規約違反者と監視AI 〜目覚めた未来で、人間扱いされたくて〜  作者: 八汐
八章 三沢基地編

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第八十三話 地下観測区画

雪の下で点いた誘導灯は、細い線になって続いていた。

青白い光が、白い滑走路の端をなぞっている。

雪に埋もれていなければ、もっとはっきりした光だったのだろう。

今は、雪の布越しに漏れるように淡い。

それでも、行き先は分かった。

管制塔の裏手。

半分崩れた防護壁の向こう。

地面へ斜めに降りる古い搬入口。

相馬が端末を確認する。

「誘導先を確認。地下観測区画入口です」

「地下か」

康生は白く煙る息を吐いた。

「また地下ですね」

アオイが言う。

「重要設備は地下に置かれる傾向があります」

「分かるけどさ」

「康生は地下移動に不満がありますか」

「あります」

「記録しました」

「しなくていい」

足元の雪を踏みながら、康生たちは誘導灯に沿って進んだ。

振り返ると、足跡が伸びている。

さっきよりももう薄い。

新しい雪が、踏み跡の縁を丸めていた。

康生はそれを少しだけ見て、前を向いた。

消えるものを見ていても、前には進めない。

管制塔の裏手に回ると、雪の中から黒い構造物が現れた。

防爆扉だった。

厚い。

地面に半分埋め込まれるように設置されている。

表面は錆び、雪が張り付き、古い文字の多くは読めなくなっていた。

だが、扉の横にある認証柱だけは、康生たちが近づくと青白く光った。

――旧三沢統合観測防衛基地。

――外縁認証端末、低電力起動。

――防衛隊識別、照合中。

――外部保守端末候補、接近確認。

――管理者、不在。

康生は表示を見て顔をしかめた。

「候補って、俺?」

「おそらく」

アオイが答える。

「また俺か」

「はい」

「規約違反って言われる?」

「現時点では表示されていません」

「それだけで好感度が上がる」

「判断が単純です」

「単純でいいんだよ、こういうのは」

相馬が認証柱に防衛隊識別を送った。

「防衛隊、相馬。旧三沢観測区画の復旧調査のため接近。緊急観測任務。限定入域を申請」

認証柱はしばらく沈黙した。

雪が降っている。

風の音は弱い。

だが、耳の奥で低く続いている。

やがて、表示が切り替わった。

――防衛隊識別、部分一致。

――旧指揮系統、応答なし。

――緊急観測任務、条件付き受領。

――外縁防衛機構、停止維持。

――高出力設備、保護停止維持。

――地下観測区画、部分開放。

「高出力設備、保護停止維持」

康生が読む。

「いい表示ですね」

アオイが頷く。

「はい。今は維持すべきです」

防爆扉の内側で、何かが外れる音がした。

長く動いていなかった機械が、無理に目を覚ますような音だった。

錆びたレールが低く軋む。

扉の隙間から、冷たい空気が流れてくる。

地下の空気だった。

東京地下の湿った金属の匂いとは違う。

もっと乾いている。

もっと冷えている。

人が暮らしていた場所ではなく、機械だけが眠っていた場所の匂い。

「行きます」

相馬が言った。

防衛隊員が先行し、康生たちは後に続いた。

斜路は長く、暗かった。

足元の誘導灯が一つずつ点いていく。

青白い光が床を照らし、壁の厚さを浮かび上がらせる。

配管は少ない。

代わりに、太いケーブルラックが壁際に何本も走っていた。

ところどころ断線し、外装が剥がれ、古い警告表示が残っている。

――地下観測区画。

――関係者以外立入禁止。

――炉監視網接続施設。

――ニュートリノ観測系保護区域。

――重力歪み検出系、深層接続。

康生は歩きながら表示を読む。

「基地っていうより、観測所だな」

「はい」

アオイが答える。

「後期の防衛施設は、兵器運用施設と観測施設が一体化していました」

「撃つために見る?」

「それもあります」

アオイは少し間を置いた。

「撃ってはならない兆候を見るためでもあります」

康生は黙った。

撃ってはならない兆候。

その言葉は、雪の下で灯った誘導灯よりも、ずっと冷たく感じた。

斜路の先に、第一隔壁があった。

扉の横の端末が自動で起動する。

――地下第一層、管制前室。

――低電力待機。

――防衛隊識別、部分一致。

――外部保守端末候補、接近確認。

――入域目的、災害時観測復旧任務。

――読取専用経路、案内。

「読取専用」

康生が言う。

「そこは評価する」

「はい」

アオイが即座に言った。

「読取専用を維持します。右手使用は禁止です」

「まだ何もしてない」

「確認です」

「はい」

扉が開いた。

中は広い前室だった。

壁面に古い表示板が並んでいる。

大半は死んでいたが、康生たちが入ると、いくつかが弱々しく光を取り戻した。

――三沢統合観測防衛基地。

――地下第一層、管制前室。

――炉監視網、断線。

――ニュートリノ観測系、保護停止。

――重力歪み検出系、部分応答。

――深層同期時計、低精度運転。

――管理者、不在。

「同期時計?」

康生が聞く。

「観測データの時刻合わせに使用する基準時計です」

アオイが答える。

「遠くの異常を見つけるには、複数地点の記録を同じ時間軸で揃える必要があります」

「いつ、どこで、何が起きたかを揃えるってこと?」

「はい」

「分かりやすい」

「覚えます」

前室の先に、円形の中央管制室があった。

扉が開いた瞬間、康生は足を止めた。

広い。

地下とは思えないほど、天井が高い。

中央に大きな立体表示装置があり、その周囲を囲むように操作卓が並んでいる。

古い椅子が、そのまま残っていた。

誰かが立ち上がったあとみたいに、少しだけずれている椅子もある。

埃はある。

だが、荒らされてはいない。

人が消えたあと、施設だけが姿勢を保ったまま眠っていたようだった。

麻生が静かに言う。

「ここにも、人がおったのですな」

康生は椅子を見た。

「最後まで、見てたのかな」

「不明です」

アオイが答える。

その不明という言葉が、妙に重かった。

中央表示装置が低電力で起動する。

淡い線で、日本列島の輪郭が浮かび上がった。

続いて、海上の点。

山間部の点。

地上施設。

地下施設。

消えた接続線。

その中に、康生が見た場所があった。

海洋リン回収施設。

奥飛騨炭素固定複合施設。

練馬地下核融合施設。

康生は思わず画面に近づいた。

「繋がってたんだ」

「記録上の接続対象に含まれています」

アオイが言う。

「三沢は、複数の旧施設を統合監視する拠点だった可能性があります」

「俺が触った場所ばっかりじゃん」

「偶然ではないと推定します」

「嫌な推定だな」

壁面表示が順に点いた。

――中央管制室、低電力起動。

――表示系、劣化。

――観測記録庫、隔離。

――炉監視網、広域断線。

――ニュートリノ観測系、保護停止。

――重力歪み検出系、部分応答。

――深層接続路、閉鎖。

――外部保守端末、読取接続待機。

康生は最後の行を見て、少し顔をしかめた。

「待機されてる」

「左手のみです」

アオイが言った。

「まだ触るって言ってない」

「触る流れです」

「最近、俺より俺の行動が分かってるな」

「必要です」

相馬が中央端末へ近づく。

「まず、読取だけで状態を確認します。練馬のような起動作業には入りません」

「助かります」

「ただし、読取だけでも接続負荷はあります」

アオイが言う。

「助からない」

「接続深度は制限します。右手使用禁止。高出力運用禁止。観測系の再起動は行いません」

「読取だけ。左手だけ。右手は使わない。勝手に起動しない」

「良い回答です」

中央管制室の奥に、分厚い透明材の窓があった。

窓の向こうは暗い。

相馬が端末を操作すると、奥の照明が一つずつ点いた。

康生は息を呑んだ。

巨大な縦穴があった。

底が見えない。

円筒形の空間が、地下深くへ伸びている。

内壁には、無数のリング状センサーが並んでいた。

いくつかは傾き、いくつかは消え、わずかに光っているものだけが、闇の中に輪郭を残している。

「何これ」

「深層ニュートリノ観測井の一部と推定」

アオイの声が少しだけ鋭くなった。

「井戸?」

「地下深くに設置された観測センサー群です。ニュートリノは物質を透過しやすいため、深層にセンサーを配置して外乱を減らします」

「これ、全部センサー?」

「一部です」

「一部でこれ?」

康生は窓の向こうを見た。

軍事基地の地下に、底の見えない観測井がある。

武器庫ではない。

格納庫でもない。

ここは本当に、見るための場所だった。

壁面表示が切り替わる。

――ニュートリノ観測系、保護停止。

――観測井一番、応答低下。

――観測井二番、通信断。

――観測井三番、低電力応答。

――冷却系、停止。

――遮蔽水循環、停止。

――再起動、非推奨。

――読取、可能。

「再起動、非推奨」

康生が読む。

「従いましょう」

アオイが即答した。

「はい」

康生も即答した。

中央室の反対側には、細長い通路が続いていた。

そこには別の表示がある。

――重力歪み検出系、部分応答。

――干渉計主腕、応答低下。

――地殻固定基準、ずれ検出。

――位相補正系、停止。

――低精度読取、可能。

「重力歪みも見るのか」

「はい」

アオイが答える。

「中核特異点炉、重力兵器、ゲート由来の空間異常。それらの兆候を捉えるための系統です」

「見えないものばっかりだな」

「三沢は、見えないものを見るための基地です」

康生は、雪に埋もれた滑走路を思い出した。

何もない雪原に見えた。

けれど、その下には滑走路があった。

誘導灯があった。

地下への入口があった。

見えないだけで、ある。

三沢は、そういう場所なのだろう。

中央端末が警告を出した。

――観測網、広域断線。

――登録管理者、不在。

――中核特異点炉監視対象、複数。

――現在監視不能。

――災害時観測復旧任務、外部保守端末接続を要求。

「来た」

康生が言った。

アオイが左手側へ回る。

「読取専用接続を要求します。接続深度は最小。強制監査が発生した場合、即時遮断します」

「練馬の時みたいな固定台は?」

中央端末の横に、古い接続椅子があった。

練馬の固定台より簡素だ。

腕置きと頭部支持具はあるが、拘束具は見えない。

康生は少し安心する。

「拘束ないな」

「あります」

アオイが答える。

「え?」

「内蔵式の保持機構があります」

「最悪だ」

「作動させません」

「お願いします」

相馬が条件を送る。

「外部保守端末、読取専用。保持機構の作動禁止。防衛隊立会い。災害時観測復旧任務。身体保全を最優先条件とする」

端末が反応した。

――条件、受領。

――保持機構、待機。

――読取専用接続、許可。

――外部保守端末、左接続口へ。

「左って指定された」

康生が言う。

「右手を使わずに済みます」

アオイが答える。

「そこは評価する」

康生は椅子に座り、左手を接続口へ置いた。

冷たい感覚が、皮膚から入ってくる。

練馬とは違った。

練馬は眠った炉の身体に触るような感覚だった。

熱。

水。

配管。

送電。

大きな機械の内臓に手を入れるような不快感。

三沢は違う。

暗闇に目を開く感覚だった。

遠くを見る。

遠すぎるものを、無理やり見ようとする。

見えてはいけない奥行きが、頭の中に開いていく。

康生は思わず息を止めた。

「うわ、これ嫌だ」

「接続負荷、上昇」

アオイが言う。

「読取専用維持」

「維持してる」

表示が流れ始める。

――外部保守端末、接続。

――読取専用モード。

――個体識別、石田康生。

――登録情報、旧式。

――構成差異、多数。

――生体状態、照合不能。

――災害時観測復旧任務、仮承認。

――炉監視網、読取準備。

康生は歯を食いしばった。

練馬のように、規約違反とは言われない。

だが、代わりに三沢は康生を分類するより先に、外を見ようとしている。

その目に、康生を使おうとしている。

アオイの声が鋭くなった。

「三沢管理系へ通知。康生を観測媒体として使用することを禁止。読取対象は施設記録および現存センサーに限定」

表示が一瞬揺れた。

――要求、受領。

――外部保守端末、観測媒体使用、禁止。

――現存センサー読取へ限定。

――炉監視網、部分読取開始。

「観測媒体って何」

康生が聞く。

「康生の構成反応を、観測補助として利用する可能性がありました」

「また俺を道具にしようとした?」

「はい」

「三沢も嫌いになりそう」

「現時点では、阻止しています」

「助かる」

中央表示装置が少し明るくなった。

日本列島の輪郭が鮮明になる。

海の点。

山の点。

地下の点。

切れた線。

そして、警告表示が重なった。

――炉監視網、部分読取完了。

――旧監視ログ、閲覧可能。

――現在近傍監視、低精度で可能。

――右構成部診断、安全手順未確定。

――推奨次工程、旧監視ログ確認。

――警告。

――七百年前の未処理警報が残存しています。

康生は最後の行を見る。

「未処理警報?」

表示が赤く変わる。

――重力歪み警報。

――ニュートリノ過剰放出。

――複数炉同期異常。

――報復連鎖推定。

――管理者応答、なし。

――警報、未解除。

中央管制室の空気が、さらに冷たくなった気がした。

七百年前の警報が、まだここに残っている。

誰にも止められなかった警報。

誰にも聞かれなかった警報。

三沢は、それを抱えたまま眠っていた。

康生は左手を端末に置いたまま、表示を見つめた。

「まず、ログを見るしかないか」

アオイが頷く。

「はい。力を使う前に、何が起きたかを知る必要があります」

相馬も言った。

「旧防衛隊が何を見て、何に対応できなかったのか。確認しましょう」

麻生が静かに目を伏せる。

「見張る者の記録ですな」

康生は小さく息を吐いた。

必要のない呼吸だった。

それでも、吐いた。

「三沢管理系。旧監視ログを開いてくれ」

表示板が、静かに白く変わった。

――旧監視ログ、開示準備。

――警告。

――当該記録には、文明崩壊期の未処理警報が含まれます。

康生は目を細めた。

「今さらだよ」

誰も、笑わなかった。

三沢の眠っていた眼が、七百年前の夜を映し始めた。


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