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規約違反者と監視AI 〜目覚めた未来で、人間扱いされたくて〜  作者: 八汐
八章 三沢基地編

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第八十二話 雪に埋もれた眼

北へ向かうほど、世界から色が抜けていった。

最初は、窓の端を流れる白い粒だった。

埃かと思った。

灰かとも思った。

だが、それは風に逆らわず、ゆっくり落ちてきて、割れた舗装の上に消えた。

雪だった。

康生は輸送車両の窓に額を近づける。

「降ってる」

「はい。降雪を確認」

アオイが答える。

「積もる?」

「進行方向の路面温度は低下しています。積雪の可能性があります」

「数字は?」

「聞きますか」

康生は少し考えた。

「やめとく」

「良い判断です」

窓の外では、崩れた道路が白くなり始めていた。

植物に呑まれた車線。

傾いた標識。

折れた電柱。

それらの輪郭に雪が薄く乗り、世界の傷を少しずつ隠していく。

完全には隠れない。

割れた舗装は、雪の下から黒く覗く。

倒れた構造物は、白くなっても倒れたままだ。

古い戦争の跡は、柔らかいものを被せた程度では消えない。

それでも、遠くから見ると、少しだけ穏やかに見えた。

康生はそのことが、少し嫌だった。

「雪って、ずるいな」

「何がですか」

「壊れたものも、ちょっと綺麗に見せる」

アオイは一拍置いた。

「視覚的な平滑化効果はあります」

「そういう話じゃないんだけどな」

「情緒的表現でしたか」

「たぶん」

「覚えます」

康生は少しだけ笑った。

車両は速度を落とした。

前方の視界が白く霞んでいる。

吹雪というほど強くはない。

だが、雪は途切れずに降っていた。

遠くの地平も、近くの瓦礫も、同じ白さの中に沈んでいく。

相馬の通信が入る。

「旧三沢基地跡、外縁に接近。地上輸送班、速度を落とせ。路面状況を確認しながら進む」

「了解」

車両がさらにゆっくりになる。

やがて、景色が開けた。

広い場所だった。

建物が途切れ、前方に白い平面が広がっている。

康生は最初、それをただの雪原だと思った。

どこまでも平らな白い地面。

ところどころに黒い亀裂のようなものが見えるが、雪のせいで遠近感が失われている。

だが、相馬が言った。

「滑走路です」

康生は窓の外を見つめ直した。

雪原ではない。

雪に埋もれた滑走路だった。

割れたコンクリートの長い線が、雪の下に続いている。

誘導灯の残骸が、ところどころ白い盛り上がりになっている。

端の方には、半分潰れた標識があり、雪を被って斜めに立っていた。

かつては、ここを何かが走ったのだろう。

離陸する機体。

戻ってくる機体。

整備車両。

人の足音。

指示の声。

警報。

今は何もない。

ただ、雪が降っている。

「ここが三沢か」

康生が呟く。

アオイが答える。

「旧三沢基地跡。後期防衛隊による統合観測防衛施設の一部です」

「基地には見えないな」

「積雪により地表構造が隠蔽されています」

「そういうことでもあるけど」

康生は車両を降りた。

外の空気は冷たかった。

東京地下の湿った空気とは違う。

乾いていて、薄くて、金属を冷やしたような匂いがする。

雪が外套の肩に落ちる。

すぐには溶けない。

白い粒のまま、しばらくそこに留まる。

康生は右手を見た。

布で覆われている。

寒さのせいか、少しだけ違和感が強く感じられた。

アオイがすぐに言う。

「右手使用は禁止です」

「まだ見ただけ」

「確認です」

「はい」

相馬たちが周囲を確認している。

大型反応なし。

小型反応なし。

旧基地外縁、防衛機構停止。

微弱な自動応答、継続。

そんな報告が雪の中に落ちていく。

声は、遠くまで響かなかった。

雪が音を吸っている。

防衛隊員の足音も、作業艇の輸送架が軋む音も、いつもより鈍い。

世界全体が、布の内側に入ったようだった。

麻生が空を見上げていた。

「降りますな」

「ですね」

康生も空を見る。

空は灰色だった。

雲から落ちてくる雪が、視界いっぱいに広がっている。

上を見ているのに、下へ落ちてくるものではなく、空の奥へ吸い込まれていくもののように見えた。

降っているのか。

自分が沈んでいるのか。

一瞬、分からなくなる。

康生は少しだけ目を細めた。

「吸い込まれそうだな」

アオイが隣で言う。

「視界内の運動方向が均一なため、奥行き感覚に揺らぎが発生している可能性があります」

「うん。そういうことなんだろうけど」

「情緒的表現でしたか」

「たぶん」

「覚えます」

千田が足元を見ていた。

「足跡が残ります」

康生は振り返る。

雪の上に、康生たちの足跡があった。

輸送車両から降りた場所。

滑走路へ踏み出した跡。

防衛隊員の靴跡。

麻生の足跡。

千田の足跡。

アオイの足跡。

白い滑走路の上に、黒い線のように続いている。

「ほんとだ」

康生は少し歩き、また振り返った。

自分たちが来た跡が、確かに残っている。

ただ、それはもう薄くなり始めていた。

新しく降る雪が、靴跡の角を丸くしていく。

踏み固められた底に、白い粒が溜まっていく。

数分もすれば、誰がどこを歩いたのか分からなくなりそうだった。

「すぐ消えるな」

康生が言う。

「降雪継続中です」

アオイが答える。

「足跡は保持されにくい状態です」

「俺たちも、こうやって消えるのかな」

アオイは答えなかった。

康生も、答えが欲しかったわけではない。

七百年前の足跡は、もうない。

この滑走路を走った人間の跡も。

最後に管制塔を出た者の足跡も。

警報を見て、地下へ走った者の足跡も。

全部、消えた。

雪だけではない。

時間が消した。

風が消した。

崩壊が消した。

それでも、基地は残っている。

完全には消えていない。

見えないだけだ。

「雪に埋もれてるだけで、下にはあるんだよな」

康生が言う。

「はい」

アオイが答える。

「滑走路、誘導灯、地下施設、観測系。いずれも部分的に残存していると推定されます」

「見えないものを見る場所、か」

「はい」

三沢は、雪に埋もれていた。

滑走路も。

格納庫も。

管制塔の折れた影も。

遠くに見える低いドームも。

すべて白く、静かだった。

その静けさの下に、観測施設が眠っている。

ニュートリノ。

重力歪み。

炉監視網。

目に見えないものを見るための眼。

それが、雪の下でまだ待っている。

相馬が端末を確認する。

「旧基地外縁の応答が強くなっています。誘導信号、微弱」

「雪の下から?」

「はい」

しらぬいの通信が入る。

「旧三沢基地跡、低電力自動応答を確認。地表誘導灯の一部が復帰可能です」

「復帰させますか」

相馬が聞く。

「低出力であれば可能。外縁防衛機構は停止維持。誘導灯のみ起動を推奨」

相馬は頷いた。

「起動」

しばらく、何も起きなかった。

雪だけが降っている。

康生は白い滑走路を見つめた。

ただの雪原にしか見えない場所。

その下に、何本もの線が眠っている。

誘導灯。

電源線。

滑走路の継ぎ目。

地下へ続く管路。

見えないものばかりだ。

その時、足元から少し離れた場所で、雪が淡く光った。

ぽつり。

青白い光が、雪の下で灯る。

康生は息を止めた。

もう一つ、点いた。

さらに奥で、もう一つ。

雪に埋もれた誘導灯が、白い地面の下から細く光を漏らしていく。

まるで、閉じていた目が、まぶたの下でゆっくり開くようだった。

相馬が低く言う。

「誘導灯、復帰」

雪の上に、青白い線が浮かび上がる。

滑走路の端から、管制塔の裏手へ。

さらにその先、地面へ斜めに降りる古い搬入口へ。

康生はその光を見た。

雪が降っている。

足跡は薄くなっていく。

空は灰色で、世界は白く沈んでいる。

それでも、雪の下で何かが目を開けた。

三沢基地跡。

北の監視者は、まだ眠りきってはいなかった。

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