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規約違反者と監視AI 〜目覚めた未来で、人間扱いされたくて〜  作者: 八汐
八章 三沢基地編

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第八十一話 北へ

康生が目を覚ますと、診療所の灯りはまだ点いていた。

弱い灯りだった。

黄ばんでいて、時々、思い出したように揺れる。

けれど、消えてはいない。

練馬地下核融合施設、出力三パーセント。

その細い電気が、診療所の照明と、薬品保管庫と、廊下の非常灯を支えている。

康生は天井を見たまま、しばらく何も考えなかった。

消えていない。

それだけで、少し安心できた。

「康生、覚醒を確認」

横からアオイの声がした。

「おはよう」

「現在時刻を基準にするなら、おはようございます」

「細かい」

康生は身体を起こそうとして、右手の違和感で止まった。

布がかけられている。

感覚はある。

だが、重いような、逆に軽すぎるような、自分のものに戻りきっていないような感じが残っていた。

「見ていい?」

「はい。ただし強く握らないでください」

「見るだけ」

布をめくる。

右手は、あった。

指先はまだ少し薄い。

だが、大型の前に立った直後よりは戻っている。

皮膚の奥に揺れていた白い光の残りも、かなり弱くなっていた。

康生は息を吐いた。

「あるな」

「はい。回復傾向です」

「完全には?」

「戻っていません」

「ですよね」

アオイは淡々と言った。

「高出力運用は禁止です」

「はい」

「右手使用は禁止です」

「はい」

「単独行動は禁止です」

「はい」

「異常発生時に反射的に走ることも禁止です」

「増えたな」

「実績によります」

「返す言葉がない」

康生は布を戻した。

昨日、自分が何をしたかは覚えている。

大型の前に立った。

右手を使った。

白い光が広がった。

誰かが、天輪、と呟いた。

そこまで思い出して、康生は顔をしかめる。

「嫌なこと思い出した」

「何をですか」

「天輪ってやつ」

アオイは一瞬だけ沈黙した。

ほんの短い間だった。

だが、康生は気づいた。

「何かあった?」

「外縁六番枝路での康生の発光現象について、住民間で噂が発生しています」

「やっぱり」

康生は頭を抱えた。

「最悪だ」

「現時点では、直接的な接触要求や集団行動は確認されていません」

「言い方が怖い」

「事実です」

「ほかには?」

アオイは康生を見た。

「緊急報告すべき事項はありません」

「含みがある」

「康生は休息が必要です」

「逃げたな」

「優先順位を判断しました」

康生はアオイを見た。

表情は変わらない。

いつも通りだ。

だが、何かを隠しているというより、何かを抱えているように見えた。

「まあ、いいや」

康生は息を吐いた。

「聞いたら余計に嫌になりそうだし」

「その可能性はあります」

「やっぱりあるのか」

「はい」

「なら今は聞かない」

「良い判断です」

仕切りの向こうから、弱い声がした。

「石田さん」

燈子だった。

「はい」

「右手は」

「薄いけど、あります」

「よかった」

その言い方があまりに素直で、康生は返事に困った。

「篠宮さんも、生きててよかったです」

「はい」

即答だった。

康生は少し驚く。

「そこ、素直ですね」

「医療班の方に、まず生きていることを認めてくださいと言われました」

「強い」

「はい。強いです」

仕切りの向こうで、医療班の女性が言う。

「聞こえてますからね」

燈子が小さく黙った。

康生は少し笑った。

昨日、燈子は大型の前に立っていた。

彼女がいなければ、八分はなかった。

康生が出なければ、彼女は潰されていた。

練馬がなければ砲塔は動かず、しらぬいがいなければ大型は倒せなかった。

誰か一人の勝利ではない。

それだけは、はっきりしていた。

「篠宮さん」

「はい」

「東京地下、大丈夫ですよね」

少し間があった。

「大丈夫です」

燈子は答えた。

「私一人ではありませんから」

その言葉は、前より自然だった。

康生は頷いた。

「なら、安心して行けます」

「石田さんも」

燈子の声が少しだけ真面目になる。

「一人で背負わないでください」

康生は返事に詰まった。

その言葉は、燈子にそのまま返したいものだった。

「努力します」

「努力します、は実行保証ではありません」

仕切りの向こうから、すぐに返ってきた。

康生は思わず笑った。

「アオイが増えた」

アオイが言う。

「良い学習です」

「そっち側なんだ」

燈子は静かに続けた。

「戻ってきてください。人として」

康生は右手を見る。

少し薄い。

けれど、そこにある。

「はい」

今度は、ちゃんと答えた。

診療所の入口から相馬が入ってきた。

顔には疲れが残っている。

だが、外縁で見た時よりも、少しだけ肩の力が抜けていた。

「石田殿、起きられましたか」

「一応」

「右手は」

「使用禁止です」

アオイが即答した。

「まだ俺が答えてない」

「同じ回答になります」

「まあ、そうです」

相馬は頷いた。

「練馬の状況を共有します。主反応炉は三パーセントを維持。冷却循環、送電母線ともに安定範囲。大型戦闘による外縁側の損傷はありますが、防衛線全体の機能は昨日より上がっています」

壁面端末に表示が出る。

――練馬地下核融合施設、低出力運転中。

――出力、三パーセント。

――外縁防衛線、低出力供給継続。

――手動防衛班、一部休息中。

――診療所区画、弱電源維持。

――航空整備区画、再評価開始。

「航空整備区画、動くんですか」

康生が聞く。

「動く、とはまだ言えません。ただ、点検に入れます」

相馬が答える。

「しらぬいからも、三沢行きの経路案が届いています」

三沢。

その言葉で、康生の意識が少し切り替わった。

東京地下。

練馬。

燈子。

大型。

白い光。

天輪。

その全部が、まだ頭の中に残っている。

それでも、次が来る。

「今日出るんですか」

「今日中に出発準備へ入ります。実際の移動開始は、石田殿の状態と練馬の安定確認次第です」

「俺待ち?」

「一部は」

アオイが言う。

「康生の右手が不安定な状態での移動は推奨しません」

「じゃあ待とう」

「良い判断です」

「昨日で少し学習した」

「継続してください」

相馬が続ける。

「三沢基地跡では、炉監視技術、ニュートリノ観測系、旧防衛隊関連の記録を探します。石田殿の右手だけでなく、今後の施設再評価にも必要です」

「海と奥飛騨も?」

「はい。海洋リン回収施設と奥飛騨炭素固定複合施設は、防衛隊技術班を分けて派遣します。練馬が動いたことで、東京側の技術班も一部出せるようになりました」

康生は右手を見る。

自分が無理に動かした施設。

仮に低負荷で回したままの施設。

応急処置のままではいけない場所。

それを人間側の管理へ戻す。

そのためにも、三沢へ行く。

「後始末が増えていくな」

「はい」

アオイが答える。

「康生が始めたことの後始末です」

「言い方」

「事実です」

「否定できない」

麻生と千田が診療所に入ってきた。

麻生はいつもより少しだけ静かだった。

千田はいつも通り、入口で靴の汚れを確認している。

「お加減はいかがですかな」

麻生が聞く。

「右手以外はまあまあです」

「それは何より」

康生はふと、麻生を見る。

「麻生さん」

「はい」

「何かしました?」

「何か、とは」

「俺に関する変なこと」

麻生は少しだけ目を細めた。

「石田殿は石田殿である、と申し上げております」

「それは普通ですね」

「はい。普通です」

「本当に?」

「はい」

康生はアオイを見る。

アオイは何も言わない。

「お前も何か知ってるだろ」

「緊急報告すべき事項はありません」

「緊急じゃないやつがある言い方」

「優先順位を判断しています」

「絶対あるな」

麻生が穏やかに言う。

「北へ向かう前に、心を乱す必要はありますまい」

「やっぱり何かあるじゃん」

「心を乱すほどのことではありませぬ」

「それ、だいたい乱すやつなんですよ」

千田が言った。

「記録は大事です」

康生は振り返る。

「急に何ですか」

「いずれ確認すればよいかと」

「千田さんまで含みを持つのやめてください」

千田はいつも通りだった。

それが少し腹立たしく、少しだけありがたかった。

搬出区画には、出発準備が整っていた。

作業艇は低床の輸送架に載せられている。

周囲では防衛隊員が積荷を確認していた。

医療キット。

補修材。

予備蓄電池。

簡易観測端末。

食料と水。

寒冷地用の外套。

「寒冷地用?」

康生が外套を見て言う。

相馬が答える。

「三沢は北です。地上気温も東京地下とは違います」

「そうか。北か」

「はい」

壁面端末に、しらぬいの通信が入った。

「こちら、しらぬい。旧三沢基地跡への経路照合を継続中。移動中、康生の高出力運用は禁止してください」

「既に禁止しています」

アオイが答える。

「禁止事項、複数回確認済み」

「了解」

シラヌイは淡々としていた。

「三沢基地跡では、旧防衛隊炉監視系、ニュートリノ観測系、重力歪み検出系を優先探索対象とします」

「基地なのに、観測所みたいですね」

康生が言う。

「旧時代後期の防衛施設は、兵器運用施設と観測施設が一体化しています」

シラヌイが答える。

「敵を撃つためではなく、撃ってはならない兆候を検出するための設備も存在しました」

康生は少し黙った。

撃ってはならない兆候。

旧文明は、全部分かっていなかったわけではない。

止めようとした人間もいた。

見張ろうとした人間もいた。

それでも止まらなかった。

「三沢で、それが見つかるんですか」

「保証はありません」

「ですよね」

「ただし、必要です」

アオイも同時に言った。

「必要です」

康生は二人を見る。

「それ、合わせなくていいから」

搬出区画の奥に、車椅子の燈子がいた。

医療班の女性と、防衛隊員に付き添われている。

完全に見送り禁止ではなかったらしい。

康生は近づいた。

「出てきて大丈夫なんですか」

「ここまでです」

医療班の女性が即答する。

「この先は駄目です」

「監視が強い」

燈子が少し困ったように笑う。

「ありがたいことです」

康生は燈子を見る。

顔色は悪い。

右肩も左足も固定されたままだ。

それでも、目ははっきりしている。

「東京、お願いします」

康生が言う。

燈子は頷いた。

「はい。皆で」

その「皆で」が、前より自然に聞こえた。

「石田さんも」

「はい」

「戻ってきてください」

「人として?」

康生が冗談めかして言うと、燈子は少しだけ目を伏せた。

それから、はっきり答えた。

「人として」

康生は何も言えなくなった。

アオイが静かにこちらを見る。

麻生は黙っている。

相馬も、何も言わない。

康生は右手から力を抜いた。

「分かりました」

燈子は小さく頷く。

「お気をつけて」

その声を背に、康生は作業艇へ乗り込んだ。

輸送架がゆっくり動き出す。

搬出区画の扉が開く。

その先には、地上へ向かう古い斜路が続いていた。

照明は少ない。

壁はひび割れ、配管は何本も切れている。

だが、通路の誘導灯は細く光っている。

練馬の三パーセントが、ここまで届いている。

作業艇を載せた輸送架が、ゆっくりと斜路を上る。

地下の空気が変わる。

湿った金属の匂いが薄れ、代わりに乾いた冷たい風が入ってきた。

埃と、崩れたコンクリートと、遠い空の匂い。

康生は思わず顔を上げた。

「地上だ」

斜路の先に、白い光が見えた。

東京の地上は荒れていた。

崩れた高架。

傾いた建物。

植物に呑まれた道路。

遠くに、折れた塔のようなものが見える。

空は曇っていた。

だが、広かった。

地下で過ごした時間は、それほど長くない。

それでも、空があるだけで、身体のどこかが緩む気がした。

地上輸送班と合流し、車両は北へ向きを変えた。

東京地下の入口が、後ろへ遠ざかっていく。

練馬の細い灯り。

診療所の弱い照明。

車椅子の燈子。

言葉にしない住民たちの視線。

それらを背に、輸送車両は荒れた道を進む。

やがて、灰色の雲の向こうに、白いものが混じり始めた。

最初は、埃かと思った。

だが、それは風に流れながら、ゆっくり落ちてくる。

雪だった。

康生は窓の外を見た。

「降ってる」

アオイが答える。

「はい。降雪を確認」

「三沢も?」

「進行方向の降雪強度は上昇傾向です」

「数字は?」

「聞きますか」

康生は少し考えて、首を横に振った。

「やめとく」

「良い判断です」

車窓の向こうで、荒れた地面が少しずつ白くなっていく。

北へ向かうほど、世界の色が抜けていく。

東京地下の灯りは、もう見えない。

代わりに、雪が降っている。

静かに。

何かを隠すように。

何かを待っているように。

目的地は、三沢基地跡。

力を使うためではなく。

力を見張るために。


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