表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
規約違反者と監視AI 〜目覚めた未来で、人間扱いされたくて〜  作者: 八汐
第七章 地下の英雄

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
74/116

第七十四話 熱の逃げ道

点検員待機室は、名前の通り狭かった。

壁際に折りたたみ式の椅子が並び、古い給水器らしきものが隅に置かれている。

天井の照明は一本だけ生きていた。

その光も弱く、部屋全体が薄い黄色に沈んでいる。

だが、主熱交換器入口側の点検室よりは涼しかった。

それだけで、少しありがたい。


「五分休憩です」


相馬が言った。


「装備確認、水分補給、温度確認。次は補助炉排熱連絡管です」

「名前からして嫌ですね」


康生が椅子に座りながら言う。


「はい」


森川が即答した。


「嫌な場所です」

「即答されると、余計に嫌ですね」

「現場では、嫌な場所を嫌な場所として扱った方が安全です」

「森川さん、かなり現場ですね」

「技術班ですので」


燈子も椅子に座った。

右腕をかばいながら、ゆっくり腰を下ろす。

左足を少し伸ばし、壁に背を預けた。

康生はそれを見て、少し安心した。

本当に座った。


「篠宮さん」

「はい」

「休んでますね」


燈子は少しだけ目を丸くした。


「はい。休んでいます」


アオイが言う。


「休息状態を確認」


燈子は苦笑する。


「そこまで確認されるんですね」

「必要です」

「必要なのですか」


康生が言う。


「必要です。篠宮さん、すぐ動きそうなので」


燈子は言い返さなかった。

代わりに、少し困ったように笑う。


「信用がありませんね」

「信用はしてます」


康生は言った。


「だから、無理するのも信用してます」


燈子は一瞬、返事に困ったようだった。

それから、小さく息を吐く。


「それは、あまり良くない信用ですね」

「はい」


アオイが答えた。


「良くありません」

「厳しい」


燈子は笑った。

その笑いは、さっきより少しだけ柔らかかった。

待機室の外では、配管の音が続いている。

主熱交換器入口側を少し開いたせいか、水の音が前よりも太い。

完全ではない。

けれど、流れている。

康生は左手を見た。

さっきの接続の感触は、もう薄れている。

それでも、手の奥に少しだけ冷たいものが残っている気がした。

規約違反者。

暫定外部保守端末。

限定承認。

変な肩書きが、また増えた。


「アオイ」

「はい」

「俺、今後ずっと規約違反者って表示されるのかな」

「練馬施設内では、その可能性が高いです」

「嫌だな」

「はい」

「そこは否定しないんだ」

「康生が不快に感じることは妥当です」

「妥当な不快感」

「はい」


燈子が少しだけ首を傾げる。


「でも、許可は出ています」

「限定ですけど」

「限定でも、前に進めます」


康生は燈子を見る。


「それ、やっぱり便利な言葉ですね」

「便利です」


燈子は素直に認めた。

相馬が時間を確認する。


「三分経過。次区画の確認をします」


森川が携帯端末に図面を表示した。

古い施設図面の上に、新しい手書きの注釈が重なっている。

補助炉排熱連絡管。

主反応炉を再起動していない今でも、補助炉は低出力で動いている。

施設の最低限の電力、環境維持、隔壁制御、外部接続室への電源。

その多くを支えているのが補助炉だった。

その熱を逃がすための管が、今回の第三候補だ。

森川が説明する。


「補助炉排熱連絡管は、補助炉から熱交換器側へ余熱を逃がす細い経路です。通常は自動で流量調整されますが、今は制御が不安定です」

「そこが詰まると?」


康生が聞く。


「補助炉の出力を上げられません。最悪、補助炉が保護停止します」

「補助炉が止まると?」


森川は少しだけ言葉を選んだ。


「この区画の電源がさらに落ちます。外縁への供給も、もっと絞られます」

「つまり、練馬を直す前に、練馬の最低限の命綱が細くなる」

「はい」

「嫌な場所ですね」

「はい」


森川はもう一度頷いた。


「嫌な場所です」


アオイが補足する。


「補助炉停止時、接続室、外縁門制御、居住区空調、浄水系の補助電源に影響が出ます」

「それ、止められないじゃん」

「止める選択肢は推奨されません」

「じゃあ、熱いまま見るしかない」

「はい」


康生はため息を吐いた。

必要のない呼吸だった。

だが、最近はもう、ため息として使っている。


「人間っぽい無駄機能だな」

「康生の心理安定に寄与しています」


アオイが言う。


「なら、無駄じゃないか」

「はい」

「たまにいいこと言う」

「記録しました」

「そこは覚えて」

「努力します」


休憩は終わった。

相馬が立ち上がる。


「移動します。作業時間は短く。温度が上がるようなら即時退避」

「了解」


防衛隊員たちが答える。

燈子も立ち上がろうとした。

康生とアオイが同時に見る。

燈子は少しだけ動きを止めた。


「案内だけです」

「はい」


康生が頷く。


「武器は?」

「持ちます」

「使わない?」

「使わないようにします」


アオイがすぐ言う。


「曖昧です」


燈子は言い直した。


「使いません。必要な場合は、防衛隊に任せます」


相馬が頷く。


「こちらで対応します」

「はい」


燈子は短く答えた。

少しだけ、不満そうだった。

けれど、引いた。

康生はそれだけで十分だと思った。

補助炉排熱連絡管へ向かう通路は、さらに狭かった。

今までの区画より天井が低い。

壁の配管がせり出し、すれ違うのも少し気を遣う。

床には古い断熱材の欠片が落ちていた。

奥へ進むほど、熱が濃くなる。

防護面の内側が曇りそうになる。

康生の身体が汗をかくわけではない。

だが、視界が重く、空気が肌にまとわりつくようだった。


「暑い」


康生が言う。


「区画温度、三十四・二度」


アオイが答える。


「湿度は?」

「八十一パーセント」

「聞かなきゃよかった」


森川が計測器を見る。


「この先は通信も少し悪くなります。金属壁と熱交換器の遮蔽で、内部連絡が途切れることがあります」

「通信遮蔽ありってやつか」

「はい」


アオイが言う。


「私との近距離通信は維持可能です。ただし、練馬施設管理系との応答遅延が増加します」

「規約違反表示が遅れるなら、少し嬉しい」

「監視は継続されます」

「嬉しくなかった」


通路の壁面端末が点滅する。


――暫定外部保守端末、移動確認。

――規約違反状態、監視継続。

――補助炉排熱区画、接近。

――区画温度、上昇。


康生は端末を睨んだ。


「律儀だな」

「記録は大事です」


千田が言った。


「千田さん、完全にそっち側ですね」

「記録があると、後で困りません」

「たしかに」


通路の先に、小さな点検口があった。

扉というより、ハッチだった。

人が立って通るような場所ではない。

腰を屈めて入る、狭い保守用の入口だ。

その横に、古い警告表示がある。


――補助炉排熱連絡管。

――高温注意。

――滞在制限。

――自動保守機械使用推奨。

――人員侵入、非推奨。


康生は表示を読んだ。


「人員侵入、非推奨」

「推奨されないだけで、禁止ではありません」


森川が言う。


「現場の嫌な解釈だ」

「ですが、今回は人が入らない方がいいです」


森川はハッチの奥を照らした。


「内部が狭すぎます。防衛隊装備では入りづらいですし、熱がこもっています。遠隔保守機械を使います」

「あるんですか」

「あります。動けば」

「最後に不穏な条件つけないでください」


森川がハッチ横の収納箱を開けた。

中には、細長い機械が収まっていた。

四本の小さな脚。

前方にカメラと小型アーム。

背中には耐熱ケーブル。

虫のようにも見える。

康生は少し引いた。


「うわ」

「保守用小型走行機です」


森川が言う。


「見た目が虫っぽい」

「狭所用なので」

「虫苦手なんですよね」


アオイが言う。


「これは虫ではありません」

「分かってるけど、見た目の問題」


千田が覗き込む。


「便利そうです」

「千田さんは平気そうですね」

「靴下を濡らす心配がありません」

「やっぱり基準そこなんですね」


森川が保守機械を床に置き、電源を入れる。

機械の脚が一度震えた。

小さな駆動音が鳴る。

だが、すぐ止まった。

森川の顔が曇る。


「起動不良です」

「やっぱり」


康生が言う。


「今、やっぱりって言いました?」

「言いました」

「気持ちは分かります」


森川は機械のカバーを開けた。


「蓄電セルが弱っています。予備セルはありますが、通信ケーブルの被覆も傷んでいます」


アオイが覗き込む。


「短距離運用なら可能。ただし、途中で通信途絶の可能性があります」

「通信途絶したら?」

「回収不能になる可能性があります」


康生はハッチの奥を見る。

狭い。

暗い。

熱い。


「俺が入るのは?」


全員が康生を見た。

アオイの声が低くなる。


「推奨しません」

「まだ何もしてないだろ」

「推奨しません」

「二回言った」

「必要です」


燈子も言う。


「石田さんが入る場所ではありません」

「篠宮さんに言われると、説得力が微妙ですね」

「私は案内だけです」

「今の返しはちょっと強い」


相馬がハッチを見た。


「人が入る場合、装備を外す必要があります。緊急時の退避も難しい。私も推奨しません」


森川も頷く。


「遠隔機械を直して使います。入るのは最後の手段です」


康生は両手を軽く上げた。


「分かりました。言ってみただけです」


アオイがじっと見る。


「康生の発言には、実行意図が含まれる場合があります」

「信用ないな」

「過去実績によります」

「反論できない」


燈子が少しだけ笑った。

その直後、咳き込むように息を止めた。


「篠宮さん?」


康生が見る。

燈子は首を横に振る。


「大丈夫です。少し、熱が」

「大丈夫じゃない人の言い方です」


燈子は黙った。

アオイが即座に解析する。


「篠宮燈子、体表温度上昇。疲労蓄積。休息不足」

「言われてますよ」


康生が言う。

燈子は困ったように笑った。


「案内は、ここまでで大丈夫です。この先は図面で分かります」


森川がすぐ頷く。


「はい。ここからは技術作業です。篠宮さんは通路側で待機を」


燈子は何か言いかけた。

だが、康生とアオイと相馬の視線を見て、やめた。


「分かりました」


それだけ言って、一歩下がった。

アオイが言う。


「発言と行動の一致を確認」


燈子は苦笑した。


「ありがとうございます」


保守機械の応急修理が始まった。

森川が蓄電セルを交換し、相馬の隊員が耐熱ケーブルの被覆を補強する。

アオイは機械の制御系に接続し、動作確認を進めていた。

康生は横から見ている。


「こういうの、手際いいですね」


森川が手を動かしながら答える。


「壊れているものを、完全に直す時間はありません。動くところまで戻します」

「通る場所だけ直す」


康生が言う。

森川は少し驚いたように顔を上げた。


「その通りです」

「防衛隊から学びました」


相馬が短く言う。


「全部直す余裕はありません」

「ですよね」


アオイが保守機械を起動する。

小さな脚が、今度はしっかり動いた。

カメラが前後に動き、アームが小さく開閉する。


「保守機械、起動。通信状態、不安定ながら維持」

「行けそう?」


康生が聞く。


「行けます。ただし、途中で停止した場合は回収が困難です」

「その場合は?」

「別手段を検討します」

「俺が入るは禁止?」

「禁止です」

「今度は推奨しませんじゃないんだ」

「禁止です」

「強くなった」


保守機械がハッチの中へ入っていく。

映像が携帯端末に映る。

狭い管路。

赤茶けた金属。

ところどころ剥がれた断熱材。

奥へ進むにつれて、映像が少し乱れる。

水ではない。

熱の道。

排熱連絡管の内側は、熱で焼けたような色をしていた。

森川が画面を見ながら操作する。


「入口から二メートル。異物なし。温度、高めですが許容範囲」


アオイが補足する。


「局所ピコマシン濃度、上昇」

「どのくらい?」


康生が聞く。


「防人村旧施設周辺より低い。ただし、この区画内では高い値です」

「俺の右手に影響は?」

「現在、構造安定率は微増」


康生は右手を握った。

たしかに、動かしやすい。

嫌なほどに。


「良くなってるのが怖いな」

「過信しないでください」

「分かってる」


映像の奥で、何かが光った。

森川が操作を止める。


「今の、見えました?」

「見えた」


康生が画面を覗き込む。

暗い管路の壁に、細い銀色の筋が走っていた。

水滴ではない。

金属光沢に近い。

それが、壁のひび割れをなぞるように広がっている。

アオイが解析する。


「自動補修用微細構造体の残留反応。高温環境下で活性化している可能性があります」

「また自動補修」


康生が嫌な顔をする。


「今度は詰まり?」


森川が映像を進める。

保守機械がさらに奥へ進む。

映像が乱れ、音声にノイズが混じる。

そして、管路の先が銀色に塞がっていた。

壁から伸びた細い金属の筋。

断熱材の繊維。

黒い粉。

それらが膜のように広がり、排熱の通り道を狭めている。

完全には塞がっていない。

だが、熱が逃げるには細すぎる。

康生は思わず言った。


「蓋してる」


森川の声が低くなる。


「排熱を逃がす管に、補修膜が張っています」

「漏れを塞ごうとした?」


アオイが答える。


「推定。微細な熱膨張亀裂を補修対象として認識し、補修構造を形成。その結果、排熱流路を狭窄」

「直そうとして、また塞いだ」

「はい」


康生は額に手を当てた。


「ほんと、旧文明施設さあ」


森川が小さく息を吐く。


「補助炉排熱が弱い理由は、これですね」


相馬が聞く。


「除去できますか」


森川は画面を見たまま答える。


「保守機械のアームで少しずつ削れます。ただ、全部剥がすと、元の亀裂から漏れる可能性があります」

「塞ぎすぎても駄目。剥がしすぎても駄目」


康生が言う。


「面倒くさいな」

「はい」


アオイが言う。


「適切な開口率を確保しつつ、亀裂部の最低限の補修を残す必要があります」

「職人技じゃん」


森川が少しだけ笑った。


「機械でやるには嫌な作業です」

「人が入るのは?」

「禁止です」


アオイが即答した。


「分かってるよ」


康生は画面を見る。


「練馬施設管理系。補助炉排熱連絡管、補修膜の部分除去。低権限保守操作で承認できる?」


壁面端末が遅れて反応する。


――要求、受領。

――通信遅延。

――暫定外部保守端末、規約違反状態。

――補助炉排熱連絡管、補修構造検出。

――補修構造、保護対象。

――除去、非推奨。


「非推奨」


康生が言う。


「施設は補修膜を守ろうとしています」


アオイが答える。


「でも、それが詰まらせてる」

「はい」


康生は端末を見る。


「排熱が逃げないと、補助炉出力が上げられない。補助炉が止まったら生命維持系に影響。災害時保守条件で、排熱確保を優先」


アオイが続ける。


「補修構造の全面除去ではなく、流路確保に必要な部分除去。亀裂部補修は残存。低出力補助炉運転継続を目的とする」


表示が揺れる。


――災害時保守条件、照合。

――補助炉排熱能力、低下。

――生命維持系、影響あり。

――補修構造、保護対象。

――排熱流路、必要。

――条件付き部分除去、許可。

――除去率、上限四十パーセント。

――作業監視、継続。


康生は息を吐いた。


「四十パーセントまで」


森川が頷く。


「十分かは分かりませんが、やる価値はあります」

「やりすぎるなってことですね」

「はい」


保守機械の小さなアームが動く。

銀色の膜に先端を当て、少しずつ削る。

映像の中で、細かな粉が舞う。

熱で揺らぐ空気の向こうに、膜の縁が剥がれていくのが見えた。

じりじりと時間が過ぎる。

誰も大きな声を出さない。

森川は操作に集中している。

相馬は計器を見ている。

千田は通路の奥を警戒している。

燈子は少し離れた壁際で、本当に待機している。

康生は時々、それを確認した。

ちゃんと待っている。

それだけで、少し安心できた。

アオイが言う。


「除去率、十二パーセント」

「まだ十二か」

「慎重な作業が必要です」

「分かってる」


映像が一瞬乱れた。

保守機械の動きが止まる。


「通信落ちた?」


康生が身を乗り出す。

アオイがすぐ答える。


「近距離通信低下。熱ノイズと金属遮蔽の影響」


森川が操作盤を叩くように確認する。


「応答が遅いです。機体はまだ動いています」


映像の端で、銀色の膜がわずかに震えた。

アオイの声が鋭くなる。


「補修構造が再形成を開始」

「再形成?」

「除去された部分を、微細構造体が再補修しようとしています」

「削ったそばから戻してるのか」

「はい」


康生は思わず端末を見る。


「練馬施設管理系、補修構造の再形成を止めろ。部分除去許可の意味がない」


表示が遅れる。


――要求、受領。

――補修構造、保護対象。

――再形成、通常動作。

――停止、要上位権限。


「上位権限」


康生は嫌な顔をした。


「またそれか」


アオイが言う。


「低権限保守モードでは、自動補修系の完全停止はできません」

「じゃあどうする」


森川が画面を見つめる。


「再形成より早く削ると、削りすぎます。遅いと戻ります」

「面倒すぎる」


アオイが少し間を置いた。


「補修系に、別の補修対象を提示します」

「どういうこと?」

「現在、補修構造は除去部分を損傷として認識しています。流路側ではなく、亀裂部の補強を優先させれば、開口を維持できる可能性があります」

「誘導するのか」

「はい」

「できる?」

「康生の承認が必要です」

「また俺」

「はい」


康生は端末に左手をかざす。


「練馬施設管理系。補修対象を再指定。流路中央部ではなく、管壁亀裂部の補強を優先。流路断面の確保を災害時保守条件に設定」


アオイが補足する。


「排熱連絡管、最低流路断面を保守制約として追加。補修構造形成禁止領域を仮設定」


表示が乱れる。


――要求、受領。

――規約違反状態、監視継続。

――災害時保守条件、参照。

――最低流路断面、仮制約。

――補修対象、管壁亀裂部へ再指定。

――形成禁止領域、仮設定。

――低権限保守モード、条件付き反映。


「通った」


康生が言う。

アオイが答える。


「通りました」

「規約違反でも、案外言えば通るな」

「限定承認の範囲内です」

「便利なのか不便なのか、本当に分からない」


森川の画面で、銀色の膜の動きが変わった。

流路を塞ごうとしていた細い筋が、管壁のひびへ戻っていく。

中央の開口が、少しずつ広がる。

保守機械のアームが、それに合わせて余分な膜を削る。


「除去率、二十六パーセント」


アオイが言う。


「排熱流路、回復傾向」


森川の声にも力が戻る。


「温度、下がり始めました。補助炉側の熱滞留が少し抜けています」


相馬が計器を見る。


「補助炉出力、安定」


康生は画面を見続けた。

銀色の膜は、完全には消えない。

消してはいけない。

亀裂を塞ぐために、必要な分だけ残る。

だが、中央には細い道ができていた。

熱の逃げ道。


「完全に剥がさないんだな」


康生が言う。


「はい」


アオイが答える。


「塞ぐものも、残す場所を間違えなければ役に立ちます」


康生は少し黙った。

塞ぐもの。

塞ぐ側。

燈子の言葉を思い出す。

壊れないように、塞ぐ側です。

塞ぐことは、悪いことではない。

ただ、塞ぐ場所を間違えると、流れまで止まる。

康生は通路の壁際にいる燈子を見た。

燈子は静かに待っていた。

武器は持っている。

けれど、構えてはいない。

今は本当に、案内だけだった。


「篠宮さん」


康生が呼ぶ。


「はい」

「ちゃんと待ってますね」


燈子は少し不思議そうな顔をした。


「はい」

「助かります」


燈子は一瞬だけ目を伏せた。


「…はい」


短い返事だった。

だが、それ以上はいらなかった。

森川が声を上げる。


「排熱連絡管、流路回復。三十四パーセント」


表示にも文字が出る。


――補助炉排熱連絡管、流路回復。

――回復率、三十四パーセント。

――補修構造、再指定済み。

――最低流路断面、仮維持。

――補助炉排熱能力、改善。

――低圧循環試験条件、充足。


康生は表示を見た。


「低圧循環試験条件、充足」


アオイが頷く。


「三候補の暫定処置により、冷却循環系の低圧試験が可能になりました」

「主反応炉は?」

「まだ起動できません」

「ですよね」

「ただし、起動試験前の第一段階には進めます」


燈子が静かに言った。


「前に進めるんですね」


康生は少し笑った。


「限定で」

「限定で」


燈子も小さく笑った。

森川が保守機械を後退させる。

映像がゆっくり戻ってくる。

熱で揺らぐ管路を抜け、狭いハッチの入口へ。

機械が外へ出た瞬間、森川がほっと息を吐いた。


「回収できました」

「そこも大事ですね」


康生が言う。


「はい。置き去りにすると、次の詰まりになります」

「嫌な現実」


保守機械は、黒と銀の粉で汚れていた。

虫のような見た目は相変わらずだったが、少しだけ頼もしく見える。


「見た目は嫌だけど、よくやったな」


康生が言う。

アオイが反応する。


「保守機械への愛着を確認」

「確認しなくていい」

「記録します」

「だから、しなくていい」


通路の壁面端末が点灯する。


――冷却循環系、暫定処置完了。

――低圧循環試験、実行可能。

――暫定外部保守端末、承認待ち。

――規約違反状態、監視継続。


康生は表示を見て、もう一度ため息を吐いた。


「最後までしつこいな」

「監視は継続されています」


アオイが言う。


「知ってる」


森川が言った。


「低圧循環試験は、接続室か中央制御補助端末から実行します。ここでやるより安全です」


相馬が頷く。


「一度戻りましょう。全員、温度負荷を確認。篠宮さんも」


燈子は素直に頷いた。


「はい」


康生は少し驚いた。


「今、素直でしたね」

「休むと、少し判断が戻るみたいです」


燈子が言う。

康生は思わず笑った。


「それ、重要な発見ですね」

「記録しますか」


燈子がアオイを見る。

アオイは即答した。


「記録しました」

「早い」


通路を戻り始める。

熱はまだある。

湿気もある。

低い機械音も続いている。

けれど、さっきより少しだけ違っていた。

配管の奥で、熱が流れている。

水が流れ、熱が逃げる。

眠っていた炉は、まだ目を覚ましていない。

それでも、その身体の中に、熱の逃げ道が戻った。

康生は右手を握った。

少し動きやすい。

それが良いことなのか、悪いことなのかは分からない。

ただ、今は使わない。

使わずに済んだ。

それが一番よかった。


「戻ったら低圧循環試験か」

「はい」


アオイが答える。


「高出力運用は」

「禁止」

「右手異常時は」

「停止」

「単独行動は」

「しない」

「低圧試験時は」


康生は少し考えた。


「…焦らない」


アオイが一瞬だけ黙った。


「良い回答です」

「お、褒められた」

「記録しました」

「そこは覚えてくれ」

「努力します」


燈子が小さく笑う。

森川も少し笑った。

相馬は何も言わなかったが、口元だけ少し緩んでいた。

冷却循環系は、完全には戻っていない。

再循環枝路は二十二パーセント。

主熱交換器入口側は三十七パーセント。

補助炉排熱連絡管は三十四パーセント。

足りない数字ばかりだ。

けれど、ゼロではない。

限定でも、前に進める。

康生たちは、低圧循環試験のため、接続室へ戻っていった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ