第七話 妨害された電波
一瞬だけ、村に静寂が戻った。
「……やった?」
康生は恐る恐る言った。
アオイが即答する。
「小型個体群の撃退を確認」
「言い方は固いけど、やったんだな?」
「はい」
康生はその場に座り込みかけた。
だが、村人たちの視線に気づいて、踏みとどまる。
見られている。
さっきまでとは違う視線だ。
警戒。
驚き。
恐怖。
そして、わずかな感謝。
「旧文明の機械を……」
「動かしたのか?」
「化け物が逃げたぞ」
「でも、やっぱり危ないんじゃ……」
ざわめきが広がる。
麻生守がゆっくりと近づいてきた。
康生は緊張した。
褒められる気はしない。
麻生は焼け焦げた装置を見た。
それから康生を見る。
「今のは何だ」
「えっと……害獣忌避装置を、ちょっと無理やり」
「旧文明の機械か」
「はい」
麻生の顔が険しくなる。
「村の禁忌に触れたな」
康生は言葉に詰まった。
「でも、使わなかったら門が破られてました」
「それを判断するのはお前ではない」
冷たい声だった。
亮太が間に入る。
「村長、今のがなければ前線は崩れていました」
「藤倉」
「事実です」
麻生は亮太を見た。
亮太は視線を逸らさない。
しばらく沈黙が落ちた。
やがて麻生は、低く言った。
「結果として助かったことは認める」
康生は少しだけ息を吐いた。
「だが、旧文明のものを勝手に使ったことは別だ」
「ですよね」
「軽い返事をするな」
「すみません」
麻生の目は鋭いままだ。
「お前は、ああいうものを扱えるのか」
康生は迷った。
扱える、と言っていいのか。
さっきのは、ただ穴を見つけて無理やり動かしただけだ。
「扱えるというより……」
「より?」
「抜け道を探すのが得意、というか」
アオイが補足する。
「彼は規約違反者です」
「補足が悪意ある!」
麻生の目がさらに細くなる。
「規約違反者?」
「いや、今のは昔の話で」
「旧文明の法を破った者か」
「法というか、ゲームの利用規約というか」
「何を言っているのか分からん」
「俺も説明してて情けないです」
麻生はしばらく康生を見ていた。
信用はされていない。
むしろ、より警戒された気がする。
だが、即座に排除しようとする空気ではなくなった。
少なくとも、役には立つと見られた。
それが良いことなのか悪いことなのか、康生には分からなかった。
その時、見張り台から声が上がった。
「待て! 森の奥、まだ何かいる!」
村人たちの空気が一瞬で凍った。
亮太が盾を構える。
麻生が振り返る。
康生も、村の外へ目を向けた。
夕焼けの森。
逃げ散った甲殻犬たちの向こう。
木々が揺れている。
ゆっくりと。
重く。
先ほどの小型個体とはまるで違う動きだった。
「アオイ」
康生の声が低くなる。
「何がいる」
アオイの瞳が光った。
「大型敵性個体を確認」
村中の空気が止まった。
大型。
その言葉の意味を、康生はさっき聞いたばかりだった。
小型と中型は、防人が倒す。
大型は、防人が倒すものではない。
足止めして、位置を送り、防衛隊が海上から撃つ。
それが、この村の決まり。
この国にかろうじて残った仕組み。
麻生が叫んだ。
「無線小屋! 防衛隊へ打電しろ!」
「はい!」
無線小屋の中で、機械が唸った。
古いランプが明滅する。
アンテナの先端が、夕焼けの中でかすかに震えた。
通信士らしい男が受話器を握る。
「こちら北部第七防人村! 大型敵性個体を確認! 座標送信準備!」
ざざ、と雑音が鳴った。
男は眉をひそめる。
「こちら北部第七防人村! 大型敵性個体を確認! 防衛隊、応答願う!」
ざざざざざ、と音が荒れた。
康生は無線小屋を見た。
嫌な予感がした。
アオイの瞳が、わずかに細くなる。
「通信異常を確認」
「異常?」
「広域ノイズが発生しています」
「防衛隊に届いてないのか?」
「現時点では不明です」
無線小屋から、男の焦った声が飛んだ。
「村長! 応答がありません!」
麻生の顔が険しくなる。
「再送しろ!」
「再送しています! ですが、雑音が強すぎます!」
「予備周波数!」
「切り替えます!」
男が機械のつまみを回す。
別のランプが点く。
だが、返ってきたのは人の声ではなかった。
低く、ねじれたような音。
ざざ、ざざざ、ざ――
まるで、誰かが遠くで笑っているような雑音だった。
村人たちの何人かが顔を青くする。
「黒塔だ……」
誰かが小さく呟いた。
康生はその言葉を聞き逃さなかった。
「黒塔?」
亮太の顔が硬くなる。
「森の奥にある、近づいちゃいけない遺構だ」
「そのせいなのか」
「分からない。けど、昔からあの辺りは方角も無線も狂う」
アオイが告げる。
「ノイズ発生方向、大型個体の進行方向と一致」
「つまり」
康生は喉を鳴らした。
「大型が来て、防衛隊を呼ぼうとしたら、その大型が来た方向から通信妨害が出てるってことか」
「概ね正しいです」
「最悪だな」
森の奥から、太い脚が現れた。
一本。
二本。
いや、もっとある。
多脚。
外骨格。
複数の口。
アオイの説明通りのものが、夕焼けの中に姿を現す。
甲殻犬の群れが小型なら、これは違う。
家ほどの大きさがあった。
村人の誰かが、小さく悲鳴を上げた。
麻生の顔からも血の気が引く。
それでも、すぐに声を張る。
「防人は門前へ! 弓は牽制! 非戦闘員は奥へ下げろ! 無線は打ち続けろ!」
「村長!」
無線小屋の男が叫ぶ。
「防衛隊から応答なし! 座標送信も失敗しています!」
その声で、村の空気が変わった。
小型の群れとは違う。
今度は、本当にまずい。
康生にも分かった。
本来なら、ここで海の上から光が飛んでくるはずだった。
レールガンか、高出力レーザーか。
とにかく、人間が正面から戦わなくて済む何かが。
でも、来ない。
呼べない。
届かない。
亮太が一歩、門の前へ出た。
盾を構える。
だが、その盾があまりにも小さく見えた。
康生は、焼け焦げた忌避装置を見る。
もう使えない。
次の穴は、ない。
いや。
康生は一度、消えたはずの半透明パネルを思い出した。
黒い背景。
緑色の文字。
見たくもないほど見慣れた、自作違反ツールの画面。
自分は、昔からそうだった。
正面突破できないなら、穴を探す。
塞がれているなら、別の経路を探す。
禁止されているなら、なぜ禁止されているのかを見て、その裏側を探す。
最低だ。
本当に最低だ。
だが、その最低な癖で、さっき小型を押し返した。
「……アオイ」
「はい」
「俺がさっき聞いた、制限解除ってやつ」
アオイは康生を見た。
「現状での自前解除は推奨しません」
「だろうな」
「使用した場合、構成体崩壊確率が高すぎます」
「じゃあ他に手は」
「検索中」
アオイの瞳がさらに強く光る。
数秒。
その数秒が、やけに長かった。
大型個体が、ゆっくりと村へ近づいてくる。
地面が揺れる。
防壁の木材がきしむ。
無線小屋からは、歪んだ雑音だけが流れ続けている。
そしてアオイが言った。
「旧軌道送電衛星、一基の残存信号を確認」
康生は顔を上げた。
「衛星?」
「はい。稼働率は低いですが、軌道上に生存しています」
「それ、使えるのか」
「照射可能範囲に入れば、外部マイクロウェーブ供給による制限解除が可能です」
「いつ入る」
アオイは即答した。
「十一分二十秒後」
康生は大型個体を見た。
門までの距離。
村人たちの怯えた顔。
盾を構える亮太。
通信不能の無線小屋。
こちらを睨む麻生守。
十一分。
長すぎる。
「……それまで耐えろってことか」
「はい」
康生は乾いた笑いを漏らした。
「軌道力学、空気読めよ」
「不可能です」
「知ってるよ!」
大型個体が吠えた。
複数の口が同時に開き、森の空気が震える。
村の鐘が、また鳴り始めた。
康生は拳を握る。
強くない。
戦えない。
本来なら、防衛隊が倒す相手だ。
だが、その防衛隊には届かない。
なら、十一分稼ぐしかない。
十一分稼げば、何かが起こる。
たぶん。
起こってくれないと困る。
「亮太!」
「何だ!」
「十一分だけ持たせろ!」
亮太が振り返る。
「簡単に言うな!」
「俺もそう思ってる!」
アオイが淡々と告げる。
「正確には十一分十八秒です」
「今そこどうでもいい!」
夕焼けの村に、大型個体の影が落ちる。
無線は死んだ。
防衛隊は呼べない。
海の向こうから光は来ない。
だから、三百二十七年後に再起動した規約違反者は、初めて、誰かのために時間を稼ぐことになった。




